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映画「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」感想 もう、MCU見るより、断然こっち!

どうも。

今日も映画レビュー、いきましょう。これです!

「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」。現在世界で大ヒット中です。アメリカやブラジルでは先々週から公開されていますが、日本では今週末からだと聞いています。

 これ、先週末に息子と娘と一緒に観に行きました。上の子が今、日本で言うところの小学5年生で、彼の周りはもうみんな見てるというので急いで見に行きましたが、これ

文句無しにカッコいい!


陳腐な言い回しに放ってしまうのですが、これ、今のこのご時世のクールな部分にこだわって作ったような、もう一切の無駄のない鋭角的な作りなんですよね。弛緩した隙みたいなものが全くないというか。2019年、あれから4年近く経っていることにも驚いてしまうんですけど、これの前作に見た時に感じたカッティング・エッジさが摩耗するどころか、さらに磨かれ、洗練された感じがするんですよね。 

 あまり概論んばかり言って具体論に踏み込まないのも良くないので、さっさと話を進めましょう。

 これ、今回、大筋を話しておきますと

このシリーズは、「いろんなユニヴァースに存在するスパイダーマン」が集結する特徴を持っているんですが、前回はそのいろんなスパイダーマンたちが団結して戦う感じだったんですけど、今回は、そのいろんなスパイダーマンたちにも組織みたいなものがあって、そこにしきたりが存在し、それを破ることが許されない。しかも、その掟というのが、「それ、本当にスーパーヒーローなのかよ」という、恐ろしい代物で。

 今回は、そこで苦悩する主人公マイルズを

お互いの気持ちが近づいてきているグウェンが支えようとする、というストーリーの流れです。

・・・という話の流れも面白くはあるんですが、それ以上にこの映画、優れているのは一つは見せ方、もう一つが舞台設定です。

①アニメの映像表現が先鋭的で、これ見るとあえて人間の役者の演技、見なくても良いと思える


これと同じことは

https://note.com/themainstream/n/n0d55dd444067

4年前に書いた1作目のレビューでも感じたことなんですけど、マーヴェル自体が今、本当にやりたいのは、アメコミの原点に立ち返ることなのではないのかな、と思ってます。

  それはやっぱり、アヴェンジャーズの「エンドゲーム」で、スタン・リーが長年見返したいと思ってた「漫画だからと言って低い文化に見られる」「漫画も文学と同等の価値を持つものだと認めさせたい」という願望が、ハリウッドからのそうそうたる役者の数々で豪華な形で達成されたと思うんですね。これ以降もMCUから面白い映画も出てくるかとは思うんですけど、やっぱり「エンドゲーム」で一つの山を登りきった感はどうしても出てしまうし、猛烈な勢いでの作品制作で、大体の映画のパターンもわかられてしまっている。しかもそれこそ、「大のハリウッドの大物アクターたちが、コスプレして、もっともらしい大義名分つけて戦ってる様」というものが、そろそろ客観的に見てかっこよくないものに見えてくるんじゃないか。そういう不安を僕は少し前からかかえてまして

 その違和感をこの投稿でも書いてます。特に「ブラック・ウィドー」見た時にそれを強く感じたんですけど、「ものすごく優れた俳優たちや監督を揃えて、コスプレまでして作る映画なのか、これ?」と思ってしまったんですね。もっと映画として、役者や監督が表現すべきものがあるだろ?何でわざわざ、スーパーヒーローの存在を媒介させる必要があるんだ?と。実はそう思ってしまってから、MCU見るのが楽しめなくなってたんですよね。

 そこいくと、このスパイダーバースのシリーズは、もうワクワクしかないんですよ。もう、マーヴェルの映像制作陣が手ぐすねひいて待ってたのかなと思わせる、映像表現の斬新さ。まばゆいばかりのデザイン、イメージの瞬間瞬間のかっこよさ。これに目が奪われるんですよね。

例えば、こういうバトルのシーンひとつとっても、空間にブラックホール見たいのができて、そこをかなりの速さで空間移動するんですけど、こういうのなんて実写でアニメのように作るのはかなりの難易度だし、ましてやその移動のスピード感に至っては、アニメの映像表現には絶対かないません。人間の体を動かす重力の重たさがどうしても省けないわけですから。

 それに本来、「絵の文化」から生まれてきたものじゃないですか、スーパーヒーローって。だったら、映画に乗せて話を文学的にだったり、シェイクスピアの演劇見たくすることもできるとは思うんですけど、でもアメコミって本来そういうものではなく、話と絵柄のケミストリーで子供引きつけてきたわけじゃないですか。だとしたら、先進的な映像表現極めるのは一つの大きな手ですよね。

正直な話、最近の極度に大仰だったり、無理矢理笑わせに走る、ちょっとマンネリ化もしつつもあるコメディっぽさといい、MCU、かなりパターン化もされてきていましたからね。そこに一石を投じるかのような刺激がスパイダーバースにはありますね。

②現在、最高の青春映画


後、個人的にこれは間違いないと思うので言いますが、この映画、現在最高の青春映画だと僕は思ってます。

何がいいって

主人公のマイルズの設定が絶妙なんですよ。ハリウッド、かなりポリこれにうるさくはなっているんですけど、なぜかティーン・ムーヴィーの主役に黒人少年が置かれることが少ない。あったとしても、それは黒人コミュニティを描くことに終始しがちで、ジェネラルなものにはなりにくい。

 そこをこの映画は、「アメリカ社会全体の縮図」の世界の中で黒人しゅねんが主役なんですよね。しかも、ただ、黒人というだけでなく、黒人とプエルトリカン、ラテンとのハーフという設定がすごく現在のアメリカ社会的なリアリティがあるんです!

 もう、だってラテン系の人口、アメリカだと黒人、超えてますからね。20%くらいあるんじゃなかったかな。黒人が12%のところ。ラテン系もハリウッドで主役になること、黒人以上になかったですからね。その意味でこれ、すごく画期的なんですよね。

で、その彼を音楽で支えているのがメトロ・ブーミンによるサントラ。音楽に関しては、もうトラップが全米1位までは取れなくなってきてるので、2018年の前作に比べるとやや賞味期限は切れ気味ではあるんですが、そのトラップの中ではベストの類のメトロ・ブーミンが、そこまでトラップトラップしてない、次のシーン見据えた感じに音を仕上げてて、この映画に必要なアップ・トゥ・デートな感覚をキープしてます。

 これ、次作もあるわけですけど、もしかしたら、この次はレゲトンになってる可能性はありますね。やはりそこはラテン系の母親を持つ子供でもあるわけですから、そっちに行ったとしても全然不思議じゃないし、むしろ、その可能性の方がある気がしてます。

あと、グウェンの設定もクールなんですよね。ロックバンドのドラムやってたり。しかもバンドメイトの女の子たちはみんな黒人だったり。しかも、社会的なアウトサイダーだったり、すごくエモっぽいんですよね。

 こういうエモくて、一般的な女の子から距離とった雰囲気の女の子像って、ビリー・アイリッシュだったり、昨今のサッドガールズ・インディの流れでようやく可視化されてきたものですけど、そこをヒロイン像として投影している。相手男性は、さっきも言ったようにマイノリティのハーフ。これもすごく現代的なんですよね。

これにこれまでで一番近い設定と言ったら

あって、せいぜいこれですね。90年代にわずか1シーズンだけで終わった伝説のドラマ「My So Called Life」。これは、クレア・デーンズが演じるヒロインは若干、今のサッドガールズを先取ったイメージ案ですが、相手役、これをジャレッド・レトがやってたんですが、彼がグランジ少年だったんですよね。かなり2人してアウトサイダー感は出てるんですけど、でも、白人同士だったり、クレアがグウェンほど世からはみ出した感じがなかったり。これが一番近く感じられるんだから、このスパイダーヴァースの設定、かなり振り切ってるはずなんですよね。

 これに関しては僕、ロックファンではありますが、ロックを音楽に使って欲しいとは思いませんね。そうすることによって確実にダサくなると思うので(笑)。リアリティがないんですよね。まさに、女の子が暗めのロックを奏でるとか、そういうシチュエーションならわかるんですけど。それが今の音楽シーンにまさに反映されているかな。

それを後押しするように

ピーター・パーカーが「疲れたおじさん」なのも象徴的なんですよね。前作もそうでしたが、それは今作でも同様です。今のアメリカ社会における白人男性の立ち位置をいみじくも象徴してしまってます。これ、音楽でも今、本当にそうだからな。

 そういう意味でこれ、「世相の表現」的にも本当に優れた作品なんですよね。


・・こういう感じなのですが、日本公開、大いに期待していいと思います。あんまりネタバレになることは言わないようにしましたが、一言だけ

エンディング、びっくりしますよ!


お楽しみに(笑)!









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