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全オリジナル・アルバム FromワーストToベスト(第32回) デヴィッド・ボウイ その1  28位〜11位

どうも。

1月8日はデヴィッド・ボウイの誕生日、そして今度の10日は彼が宇宙へと還って5年が経ちます。そこで

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当ブログ恒例、FromワーストToベストはデヴィッド・ボウイを2回にわたってやります。彼のオフィシャルのオリジナル・アルバム25枚にプラスαで3枚つけた計28枚をランキングにしました。

果たしてどういう結果になったか。早速ワーストから見てみましょう。

28.II/Tin Machine (1991 UK#23  US#126)

ワースト28位はティン・マシーンのセカンド・アルバム「II」。これはもう、不調だったボウイの底の底ですね。この前のも全く曲が覚えられないくらい印象の薄いアルバムでしたけど、このアルバムではこともあろうに「メタルかよ?」みたいな長いギター・ソロまであって、ボウイっぽさが微塵もありません。この時期はアー写で口ひげ生やしたり、挙げ句の果てにはプロモ来日した際、片岡鶴太郎の「鶴ちゃんのプッツン5」に出演するという、歴史的な汚点があったり(笑)。たまたまチャンネルいじってたときにその姿を見たトラウマはいまだに忘れません(笑)。どん底の底の時期ですね。よってワーストです。

27.Tin Machine/Tin Machine (1989 UK#3 US#28) 

続いてワースト2がティン・マシーンのファースト。ソングライティングのスランプを解消すべく、原点に戻ってガレージ・バンドを組んで、これ、出た当初は評判よかったんですよ。ただ、聞いてみると、なんか、ただ3コードでガチャガチャ鳴らしてるだけでバンド・サウンドにこれといった特徴がないんですよね。ガレージ・ロックといったって、しっかり楽曲やギター・サウンドの個性、アピールしないといけない音楽なんですが、このアルバムにはそれが根本的に欠けてます。ボウイ自身もかなり迷っていたのかな。

26.Black Tie White Noise (1993 US#1 UK#39)

そしてワースト3が「Black Tie White Noise」。ティン・マシーン解散後の初のアルバムです。このアルバムは「レッツ・ダンス」以来となるナイル・ロジャースとの共作ですけど、このタイミングでナイル・ロジャースでなくてはならない理由もわかりませんでしたね。それが示す通り、サウンドの方向性がこのアルバム、見えません。90s初頭からのUKのグラウンド・ビートとか多少トリップホップとかインディ・ダンスとか、その当時のクラブの流行りっぽいことやりたかったのかもしれませんが、そういうものとしては悪くはないものの一過性のものにすぎず、ボウイが今後「これでやっていきたい」というものが見えません。プラス、曲が本当に記憶に残らないんですよね。やはり、この時期もまだ苦しかったのだと思います。

25.Tonight (1984 UK#1 US#11)

そして「Tonight」がここに入ります。これがボウイ・ファンのあいだでは一般にワーストとされるんですけどね。たしかにそれもわかります。とにかくエイティーズのギッタンバッタンな恥ずかしいアレンジが目立ちますからね。「これ、本当にボウイがやったの?」と信じがたい曲が目立ちますからね。加えて、ビーチボーイズの「神のみぞ知る」とイギー・ポップとの「Lust For Life」でのカバー曲でもあるタイトル曲など、オリジナルでない曲が9曲中3曲。なんか、これまで早いサイクルで作品出してきたペースを守りたくて無理やり出した感じですね。これ、ボウイがもう少し冷静だったなら出さなかっただろうし、今の感覚だったらせいぜいEPで終わるべき作品だったんだと思います。ただ、それでもワーストにしなかったのは、そんな中でも名曲「ラヴィング・ジ・エイリアンズ」とシングルヒットした小粋なロックンロール「ブルー・ジーン」の2曲があるため。ここから不調とは言え、まだ「伝説の片鱗」はここでは見られます。

24.Never Let Me Down (1987 UK#6 US#34)

そして、その次に出た「Never Let Me Down」がここですね。これも曲のレベルは典型的な80sオーヴァー・プロデュース・ポップであり、全体で聞くべきものはありません。ただ、曲の寄せ集め感が強かった「Tonight」よりはまだアルバムの統一性はあるし、シングルになった「Day In Day Out」やタイトル曲、「Time Will Crawl」は光っているので、この3曲のために捨てがたいアルバムではあるんですよねえ。このアルバムの1年前に出た映画の2曲、「アブソルート・ビギナーズ」に自身主演の「ラビリンス」の「アンダーグラウンド」、なんなら1985年のミック・ジャガーとの「ダンシング・イン・ザ・ストリーツ」あたり一式まとめて収録してたら、もしかしたらポップ・アルバムとしてはそこそこ楽しめたものになっていたかもしれません。

23.1.Outside (1995 UK#8 US#21)

23位は「1.Outside」。これは「Black Tie White Noise」のあとにボウイがナイン・インチ・ネールズにはまったあと、感化されて作ったアルバムですね。このアルバムは本来、猟奇殺人者をテーマに5部作になるはずで、ブライアン・イーノを共同プロデュースに迎えるなどしてそれなりにやる気で、このアルバムのツアーをNINとジョイントでやるなど気合も入ってたんですけど、肝心な曲が面白くなかったんですよね。それこそトレント・レズナーの後追い感が目立って「ボウイらしさ」があるようで実は感じられなかったんですよね。ボウイ、クールな流行りを押さえるのは死ぬまで定評あったすごい人なんですけど、吸収・消化がこのアルバムではいまひとつでしたね。曲も「Hallo Spaceboy」「The Hearts Filthy Lesson」以外に印象に残っていません。

22.David Bowie (1967)

22位は、ボウイ本人としては公式にカウントしたがらないデビュー・アルバムです。ボウイはこの前にもデッカとパイから、ブリティッシュ・ビート・スタイルのシングルを全部で6枚出していて、売れずに苦労してました。まだ、その頃は10代だったからまだ仕方なかったとは思うんですけどね。で、これが20歳で出る頃には、1967年らしい、サイケなバロック・ポップになっていました。たしかに、このままでアーティスト・イメージを築き上げるのはちょっと難しいとは思うんですけど、ストリングスをバックにした、その当時だったらビージーズあたりに近いポップ・サウンド、これはこれで悪くないです。統一感もありますしね。そこまでのちのボウイと比較しなければ素直にいいアルバムだと思って聞けます。まあ、「Love You Till Tuesday」の「チャン、チャン!」みたいな、その後だったら絶対ありえないエンディングとか、かわいくて笑っちゃうんですけど、好きですよ。

21.Pinups (1973 UK#1 US#23)

順位は高くはないですけど、もう、ここからは好きなアルバムばかりです。21位は「ピンナップス」。これはジギーで一世を風靡したボウイが、一台グラムロック旋風の中で発表したカバー集です。当時、なんかめちゃくちゃ酷評されたらしいんですけど、僕には正直、その理由がわかりません。選曲、最高なんですよ。ザ・フーやキンクスにはじまり、シド・バレット期のピンク・フロイドの「See Emily Play」にAC/DCのヤング兄弟のお兄さんのいたイージービーツの「Friday On My Mind」、ほかにヴァン・モリソンのゼムにプリティ・シングスですからね。ブリティッシュ・ビートの最高どころ選んでてセンスいいんですよ。エッジの強い曲ばかりでかっこいいし、そこに自分らしいひねりもあるし。僕みたいなブリティッシュ・ビート、ガレージロックのマニアには間違いなく刺さるし、このあたりを知らない人にも興味を持たせる内容になってると思うんですけどね。

20.Earthling (1997 UK#6 US#39)

20位は「Earthling」。95年の「1.Outside」につぐインダストリアル/エレクトロ路線ではありますが、こちらの方では当時大流行していたドラムン・ベースにトライしたことでリリース当時、話題になったものです。当時ボウイは50歳。まだ、この頃のロックでは長老で、オルタナ勢を引き連れたおおがかりなバースデイ・コンサートも行ったので「いくつになっても若々しい感性を持っている」と評価されたものです。このアルバム、前作と同じくやっぱり「流行りの後追い感」はあったものの、曲そのものの良さも戻ってきているアルバムでしたね。「Little Wonder」「Deadman's Walking」、そして以後のツアーの定番曲になる「I'm Afraid Of Americans」(これは今週起きたことを思うとゾッとする歌詞)などは光ります。このままこういう感じでいくのかと思いきや、次でガラッと変わってしまうのがまたボウイです。

19.The Buddah Of Suburbia (1993)

19位は「ブッダ・オブ・サバービア」のサントラ。これ、サントラ扱いなので、通常のオリジナルには含まれていないので、大事な意味を持つ作品なので入れました。というのは、これ、ボウイ自身が「このサントラを作っている時にソングライティングの調子が戻ってきた」という発言をしてるんですね。サントラなのでこれ、インスト部分とかも多分に含まれてはいるんですけど、たしかに彼自身が主張するように、このタイトル曲だとか、「Strangers When We Met」といった曲で、強いメロディの力が戻ってきてるんですよね。この旋律的な美学がしっかり安定して戻ってくるのにさらに時間がかかりますが、ここが起点になったという彼の自説は僕も正しいと思ってます。ちなみにこれは映画というよりBBCのミニ・シリーズです。僕は未だに見たことありません。

18.Reality (2003 UK#3 US#29)

18位は「Reality」。これは2004年にボウイが久方ぶりのジャパン・ツアーをやったときのアルバムです。僕はこのツアーが、残念ながら僕の人生でちょっと大変な時期だったので行けてないんですが、ボウイのすごくいい時期です。この前作のツアーからの復活こそが、彼の晩年までの最盛期を支えたと言っても過言ではないと思います。このツアーでは前作のツアーからのバンドメンバーがしっかり固定され、「New Killer Star」に代表される、ボウイらしいねじれたセンスの妖艶なロックンロールで全編構成されています。前作のツアーがとにかく好評だったので、さらにライブ映えする曲を1年のインターバルで追加したようなイメージですね。ただ、そんな中で「Bring The Disco King」で、遺作「Blackstar」につながるようなジャズをやっていたことが今振り返ると注目されます。

17.Space Oddity (1969 UK#17 US#16)

17位は、実質的デビュー・アルバム。タイトルは本来「David Bowie」なんですが、それだとさきほどの1967年のアルバムと混同するので「Space Oddity」とさせてください。これのタイトル曲は、もうこの時代の彼の大ホームランというか、コズミック・サイケデリック・ロックの大傑作曲ですね。エルトン・ジョンの初期の傑作を作ったガス・ダッジョンとともに、テープ操作とスリリングなストリングスを駆使して、壮大かつ未来的な音空間を見事に構築。宇宙からの光景をレポートするトム大佐(メイジャー・トム)もその後のボウイの楽曲に頻繁に登場する人気キャラクターにもなりました。この1曲の存在だけで上位に入る価値があるといっても過言ではないんですが、他の曲は、よく書けてはいるものの、振り返るとまだ発展途上のフォークロックの趣ですね。ただ、次作以降での再起爆発の準備はできつつある感じではありますね。

16.Lodger (1979 UK#4 US#20)

16位は「ロジャー」。日本だと「間借り人」の邦題のイメージで覚えている人も少なくないかと思います。これはいわゆる「ベルリン三部作」と言われるやつのラストを飾るアルバムで印象はいいです。トニー・ヴィスコンティ、ブライアン・イーノとのトリオに加え、ギターにエイドリアン・ブリューまで入ってますからね。そして、ここから「DJ」「Boys Keep Swinging」「怒りを込めて振り返れ(Look Back In Anger)」の3曲が、この当時としてはめずらしいミュージック・ヴィデオも制作され、それゆえシングル・オリエンテッドなわかりやすい作品の印象ももたれてます。ただ、三部作の中で一番構成上、まとまりのいいアルバムではあるんですけど、シングルの3曲がそこまで突出した曲でないがためか、あまり強い印象には残らないアルバムでもあるんですよね。B面ほとんどインストという前2作の作り、ソロ・アーティストとしては異例の作りではあったんですけど、それゆえにもっと実験的な作風の方がこの場合はよかったのかもしれません。

15.hours (1999  UK#5 US#47)

15位は「hours」。これ、欧米のボウイ・ランキングで、特にクラシック・ロック系のものでこれを下位にしているものがあるんですけど、絶対に信用しないでください。それどころか、ボウイの復活はここからはじまっているし、ここからの復活がなければ、2016年に亡くなった際のあの巨大なボウイ・ロスは起きなかった。それくらい大事なアルバムです。ここでボウイが何をしたかというと、ズバリ「原点回帰」です。どの時期に戻ったかというと、ミック・ロンソンがギターを弾き始めた頃。アルバムでいうと「世界を売った男」くらいですね。それくらい、このアルバムではたおやかなギターのフレージングが目立つ、言うなればバーナード・バトラーがギターを弾いてた頃のスエードみたいな感触が、ちょっと成熟した感じで聞かれます。この頃からボウイのヴィジュアルもすごくナチュラルで、自分が50歳を超えて年をとったことを自然と受け止めたような感じになります。ただ、この自然体な地への足のつけ方がより彼らしさを引き立たせ、ここからの快進撃につながります。惜しむらくはアレンジが若干、前作までの感じを引きずっているところですが、次作からの快進撃の準備がここでできます。それが証拠に2014年に出た3枚組ベスト盤「Nothing Has Changed」にここから3曲が選ばれています。

14.Diamond Dogs (1974 UK#1  US#5)

14位は「ダイアモンドの犬」。このアルバムはタイトル曲、そして「レベル・レベル」の2曲があるので、イメージとしてはグラムロックを思い浮かべる人もいるかと思うのですが、これは過渡期の作品ですね。そのB面となると「1984」という、この次のアルバムからの、俗に「プラスチック・ソウル(白人によるソウルという、ボウイなりの自嘲)」路線に突入することになります。このソウル路線は、この次に出るライブ盤「David Live」でさらに強調されることにもなります。やはりこのあたりの曲の存在はボウイにとってはかなり大事なのでそこまで低い順位にはできないし、実際作品としては悪くないんですが、この前作まで割と確信を持って作品を発表してきたボウイにとってはちょっと珍しい手探り感がここでは感じられますね。

13.Young Americans (1975 UK#2  US#9)

13位は「ヤング・アメリカンズ」。その「ダイアモンドの犬」で模索を始めたプラスチック・ソウルを、その当時のソウル・ミュージック最大の聖地だったフィリデルフィアで録音して形にしたのがこのアルバムです。そういうこともあり、このアルバムではドラムにスライ&ザ・ファミリー・ストーンのアンディ・ニューマーク、サックスにデヴィッド・サンボーン、バック・ヴォーカルにルーサー・ヴァンドロスと、このアプローチをするのに最適な豪華ミュージシャンを集めボウイ流ソウルを展開し、タイトル曲、そして初の全米1位にもなったファンキーな名曲「フェーム」を生むなど大きな収穫もありました。ということでこれ、一つのサウンド・コンセプトのアルバムとしては成功してるんですけど、ただ、「ボウイのブラック・ミュージックの最高の形」は僕はこれではないと思ってます。

12."Heroes" (1977 UK#3 US#35)

12位は「"Heroes"」。「ヒーローズ(英雄夢語り)」の邦題で記憶している人も少なくないかと思います。これはいわゆる「ベルリン三部作」の2枚目です。ここではヴィスコンティ、イーノに加えて、ギターにキング・クリムゾンのロバート・フリップですよ。彼のちょっと不協和音っぽい、とりわけ高音域でひっかくようなギターはこのアルバムだけでなく、以降のボウイのアルバムにも影響を与えていると思います。これ、A面だけなら、最高傑作のひとつですね。「Beauty And The Beast」「Joe The Lion」はグラム以降の、後年のボウイのシグネチャー・サウンドとなったギターが聞かれるし、そこにトドメ刺すように、「1日だけなら英雄になれる」というボウイ史上最大のポジティヴ・メッセージをもったタイトル曲がくる。もうガツンとくるわけなんですけど、B面がなあ。前作に引き続いてのクラウト・ロックの影響を受けたエレクトロのインストなんですけど、前作ほどの完成度の高さと、タイムレスな輝きには欠けるというか。「Moss Garden」でボウイが琴を弾くなど日本人には嬉しいネタもあるんですけどね。あと、最後の曲だけヴォーカルに戻るのも個人的にはあまり好きじゃないです。前作のB面とこのアルバムのA面だったらキャリア史上最高傑作だったかも。

11.Heathen (2002 UK#5 US#14)

そして11位に「Heathen」です。「hours」での原点回帰を受け、ボウイはその次のアルバムを、60年代の駆け出し時代に書いた曲のカバー+新曲という構成で「Boy」と言うアルバムを出す予定でしたが、これが中止。さらには音もリークされてしまいます。これにショックを受けたボウイはレコード会社を移籍。アルバムを急ピッチで作って出したアルバムがこれだったんですけど、これは会心作でしたね。グラム直前期に「"Heroes"」「Scary Monsters」のテイストを足したみたいな「王道ボウイ・クラシックス」の趣の成熟したロックンロールでボウイ、鮮やかに復活です。さらにこのときに新バンマスのジェラルド・レナード、復帰したアール・スリック、歌える黒人女性ベーシストのゲイル・アン・ドーシー、元デュラン・デュランのスターリング・キャンベル、グラム期のメンバーだったマイク・ガーソンのメンバーで固定した安定のバックバンドとともにワールドツアーを大成功させます。僕もモービーとのツアーをニューヨークで見たんですけど、本当に後光がさしてるというか、半端なくかっこよかったです!背筋があんな針金通ってるみたいにまっすぐな人、いまだに見たことがないし、このときの中分けのサラサラ髪が貴公子風。しゃべると優雅なブリティッシュ・アクセントで照れ笑いしながらよくしゃべるのがまたセクシーでね。この頃から心臓発作だったり投げられたロリポップが目に刺さった2004年に休止するまでフェスにもよく出てましたけど、本当に盛況でした。そこから長く活動止まりますが、この余韻が活動復活後に効いてくるわけです。


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