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全オリジナル・アルバム fromワーストtoベスト (第42回) ビージーズ その1 24位〜11位

どうも。

今日と明日、久しぶりにfromワーストtoベスト、行きましょう。

今回のアーティストはこの人たちです!

はい。先日、ドキュメンタリー映画が公開され、日本でもかなり好評だったようですね。ビージーズ。彼らの22枚のオリジナルと2枚のサントラを対象にした24枚のアルバムを、ワーストからカウントダウンしていきましょう。

まずはワーストから。

24.Life In A Tin Can (1973 US#69)

ワーストの24位は「Life In A Tin Can」。輝かしい黄金期がある一方、駄作もそれなりに少なくない(すみません)ビージーズですが、僕はこれがワーストですね。この時期ってフォーク期の終わり。彼らってヴォーカル・ハーモニーのグループだからフォーク似合いそうな気がするでしょ?そうでもないんですよ。フォークになると、音楽のアイデアが途端に減っちゃう悪い癖があってですね。これがその一番悪い例で、本人たちも迷ってる感じでし。ここを打開して、あの華々しいディスコ・イヤーズに近づくわけです。あと、悪いことは重なりまして、このアルバム、ジャケ写もダサいです。

23.One (1989 UK#29 US#68)

ワースト2位は89年の「One」。ここからは実は彼ら最後の全米トップ10ヒット曲「One」も出てて、一見悪くなさそうなんですが、これ、全体で聞いたら、なんのエッジもひねりもない凡庸なアダルト・コンテンポラリーでつまんないんですよ。やっぱ、リズムものだったり、ロック色濃い曲で売れてた人たちなので落ち着き切ってるだけだと面白くないんですよね。

22.High Civilization (1991 UK#24)

ワースト3位は「One」の次作「High Civilization」。ぜんさくよりアップテンポが多い分、まだ良いんですけど、無難なアダルト・コンテンポラリーすぎて、面白くはないですね。これ、前作から2年で急いで作って、これで当時所属のワーナーと切れてるんですけど、もしかしたら早く終わらせたかったのかもしれないですね。ここでも「出口ない」感がありますね。

21.Staying Alive/Soundtrack(1983 UK#14)

21位は「ステイン・アライヴ」のサントラ。非常に悪名高く、これをワーストに選ぶと思った方もいらっしゃるかもしれません。これ、かの「サタディ・ナイト・フィーヴァー」の続編なんですけど、ジョン・トラヴォルタ扮するトニー・マネロがディスコからなんとエアロビに転身するという、「えっ、え〜」なストーリーが不評でした。ただ、この時期のビージーズって、ディオンヌ・ワーウィックの「ハートブレイカー」、ケニー・ロジャーズとドリー・パートンの「アイランド・イン・ザ・ストリーム」の外部提供ビッグ・ヒットもあったので、ソングライティング的に決して不調ではなかったんですよね。ただ、アレンジが80年代という時代にあわなくなっていた。そこはたしかだったと思います。

20.Size Isnt Everything (1993 UK#23 US#153)

20位は「Size Isnt Everything」。最後のレーベルとなるポリドールでの第1弾アルバムですね。ここではぜんさくまでのような80s的なシンセを使ったサウンドから、リズムのループを使ったシンプルなデジタル・サウンドに移行してますね。音に隙間ができた分、彼らのメロディの良さはより生きるようになったかと思います。曲そのものがスマッシュ・ヒットした「For Whom The Bell Tolls」などを除くとまだ戻りきってる感じはしないんですけど、ここで何かを掴んだ感じはあります。それが次作でのチャート的なカムバックへと結びつきます。

19.The Bee Gees Sing And Play 14 Barry Gibb Songs(1965)

 19位。これタイトルが長いですが、「ビージーズ、バリー・ギブの14曲を歌う」と題したプレ・デビュー作。メンバーまだ全員10代です。彼らはこの前から音楽活動していて、地元オーストラリアでは2歳年長で長身のバリーが、小柄な双子の弟のロビンとモーリス従えて、その当時はニール・セダカみたいなアメリカン・アイドル・ポップスを歌っていたりしてました。ただ、このプレ・デビュー作画出る頃には髪はリーゼントのままだったんですけど、ビートルズへの傾倒が伺え、とりわけ1963年のイギリスのようなゆるやかなマージービートを聞かせています。インパクトはまだ薄いんですが、学習というか、目標とするものを体得する能力の高さはこの頃すでに感じさせます。

18.Spicks And Specks (1966)

18位は、19位のアルバムの次に出た「Spicks And Specks」。これがプレ・デビューの2作目ですね。この頃になると、さすがに時代が時代なだけに前作のマージービートから進んで、ビートルズというかホリーズに近いスイートなブリティッシュ・ビート、はたまたバーズを筆頭にして前年1965年にはじまったフォーク・ロックの影響を感じさせる作品ですね。ここに入ってるタイトル曲が本国オーストラリアで5位に入るヒットとなったことが、翌1967年に拠点を本格的にイギリスに移しての活動につながります。まだデビュー後の完成度こそありませんが、着実に力はついてます。

17.To Whom It May Concern (1972 US#35)

17位は「To Whom It May Concern」。70年代のフォーク路線の2枚目のアルバムですね。ここからは「Run To Me」という、全豪、全英でトップ10、全米でトップ20に入った名バラードがあって、この曲は僕もすごく好きなんですけど、あとがなんか続かないですね。雰囲気は悪くはないし、これまでの勢いの杵柄で良い瞬間もあるんですけど、それがだんだん消えかかってる雰囲気もあって、それが次作をワーストにした理由にもなってます。

16.Trafalgar (1971 US#34)

16位は「Trafalgar」。人によっては上位にするアルバムだと思います。これが70年代前半の本格的なフォーク路線の最初のアルバムで、ここからは「How Can I Mend A Broken Heart」の全米ナンバーワンも生まれてます。この曲はアル・グリーンによるカバーヒットもでてます。ここからのビージーズは、タイプでいうとブレッドとかクロスビー・スティルズ&ナッシュみたいな路線になるんですけど、この路線だと結構当たり外れがあるというか、初期のビートルズ風バロックポップとか、全盛期のホワイト・ソウル・ディスコと比べるとインパクトと一貫性が弱いんですよね。ゆえに僕の評価はあまり高くなりません。

15.Mr.Natural (1974 US#178)

15位は「Mr.Natural」。これはワーストにしたアルバムの次の作品ですね。ここで彼らは、プロデューサーに60sのアレサ・フランクリンなどを手がけたアリフ・マーディンをプロデューサーに迎えるんですね。サウンドそのものはフォーキーなものではあったんですけど、歌い回しや曲の構造はソウルっぽい感じになってて。アコースティック・ソウルというか、ある時期のジェイムス・テイラーみたいになりましたね。ここも前作同様、セールス的には大失敗だったんですけど、彼らとしては、ここで次に向けての何かを掴んだようなかんじがします。

14.Living Eyes (1981 UK#73 US#41)

14位は「Living Eyes」。この時代って本当に流行のサイクルが早くて、「サタディ・ナイト・フィーバー」のブームからわずか3年、その次のアルバムも大ヒットしたから、わずか2年ですよ。その間に「もうブーム終わった」
と見切られたら、信じられないくらいに売れなかった、すごくかわいそうなアルバムです。ただ、内容が悪いわけではなく、この前年にバーブラ・ストライザントのアルバム「ギルティ」を手がけていたこともあって、シティ・ポップ調の安定したアダルト・コンテンポラリーなんですよね。そういう作品としては決して悪くないんですよね。ただ、先行シングルの選曲をどう考えても間違えたというか「愛はトライアングル」というすごい中途半端な曲選んで、これが大コケしちゃったんですよね。サビ前に叫ぶ変な曲で。この当時日本はまだTDKのCM契約が残ってて、この曲がかかってたんですけど、それでも日本でもイマイチでしたね。

13.Still Waters (1997 UK#2 US#11)

13位は「Still Waters」。当時、僕がそこまで熱心にチャート追ってたわけではなかったことも影響してますが、このアルバムがビージーズの最後のカムバック・アルバムなんですよね。これまでジリ貧状態だったところから、全英では2位、全米でもTOP10目前のところまで戻ったわけですからね。これ、なんでかなと思ったら、このアルバム、アコースティック・ソウル作なんですよね。70sのディスコ黄金期を考えるに、あれがそのまま成熟したら、この雰囲気が相性良くなるのはある意味必然だったのかもしれません。プロデュース陣もアリフ・マーディン、デヴィッド・フォスター、そしてラファエル・サディークまでと、新旧の大物が揃い踏みしてますからね。

12.Cucumber Castle (1970 UK#57 US#94)

12位は「Cucumber Castles」。これは非常に珍しい形態です。ちょうどこの頃に、グループのセカンド・ヴォーカリストだったロビンが脱退。ビージーズはバリーとモーリスのデュオになってしまいます。このときに二人、どうしたかというと、これまでのビートルズ色濃厚なバロックポップから、かなりレイドバックしたカントリーやスワンプ・ロックなどの土着的な乾いた感じをサウンドに導入しています。ここまで南部っぽい感じは、あとにも先にもこれだけな気がします。一方、ロビンはビージーズのバロックポップ路線をソロで引き継いだんですが、すぐにビージーズに復帰。その後に至ります。


11.Idea (1968 UK#4 US#17)

11位は「Idea」。1968年発表の正式デビューから3枚目のアルバムです。この頃の彼らはサウンドの方向性がきわめてしっかりしていて、「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」の頃のビートルズのサイケデリック・ポップ路線をただしく継承しているかんじがありました。サウンドの方はそこから大きくは離れないんですけ、このサードから勢いフォークを意識したテイストが加わっていきますね。また、この頃、ビージーズはヒット曲を牽引した存在でもあって、ここからも「獄中からの手紙」や「I Started A Joke」などの代表的な名曲が生まれています。これを経て、この次に彼らの初期の総決算が生まれたわけです。










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