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短期カウントダウン連載 2010年代にロックが大失速した2番目の理由 2つの「90年代的感覚」の名残がロックの足かせに

どうも。

では、昨日の続き、「2010年代にロックが大失速した理由」、いきましょう。

昨日は「スターの長期不在」や「新しいギター・サウンドが出なかった」ことなどを「第3の理由」としてあげましたが、今回、それ以上に大きいナンバ−2の理由として僕が挙げるのは

90年代的音楽感覚の完全終焉

これを2つの観点から上げていきたいと思います。

「?」

そういう皆さんの反応はわかります(笑)。これを今から説明していきます。

まず、「90年代」の象徴的特性、その一つについて言及しましょう。

①過度に進みすぎたジャンル分け

これが「2010年代のロックの足かせになった」ことについてですね。

90年代というのは、ポップ・ミュージックが急激に多様化した時代です。クラブミュージックなんて毎年のように新しいジャンルが出てきて、外資系のCD屋のコーナーが日に日に拡大して、渋谷あたりだと専門店作らないと追いつかないような、そんな感じもありました。

「ロック」も、それまで割と全体を包括できていたものが、細かくいろいろと出てきたものです。まず、「オルタナティヴ・ロック」が「メタル」やら「クラシック・ロック」と明確に分かれ、そのオルタナなり、メタルなりにいくつものサブ・ジャンルができていったでしょ。

そして2000sにはフェスの需要の問題から、オルタナティヴ・メタルと呼ばれる類のラウド・ロックが、オルタナティヴ・ロックから完全にメタル方面にジャンル分けされて、そこから残されたオルタナティヴ・ロックは「インディ・ロック」と呼ばれるのが普通になりましたね。

ただ、こうしているうちに

皮肉にも、インディ・ロックの表現、かなり限られたものになってしまいました!

インディ・ロックって、元々は「インディペンデント(独立した)ロック」なわけだから、表現の自由さで勝負できてたジャンルのはずなんですよ。それが、ジャンルわけにジャンルわけを重ねた結果、かえって様式美っぽくなってしまいました。

今、「インディ・ロック」って言った場合に思い出すのって、ロウファイ・ギターバンドだったり、ガレージロックっぽいのだったり、ポストパンクリバイバルっぽいものだったり、インディ・フォークって感じしません?それって、2000年代から変わってないんですよ。

これは僕個人もちょっとガッカリだったとこで。だって、ロックって「年代で中心となるサウンドが変わって当たり前の音楽だった」じゃないですか。60年代、70年代、80年代、90年代、00年代って、それぞれの年代のロックの音ってあったのに、2010年代はそれがなかった。これじゃ、面白がられないのも、無理はないかもしれません。

僕、思うに、これはジャンルわけされていく中で、いろんな音楽をトライする可能性が剥ぎ取られてしまったからじゃないか、と思ってます。例えば、ラウド・ロックとの暖簾分けに関しても僕は、マッチョでミソジニアス(性差別者的)なアティチュードさえ取り除かれればそれでよかったのに、「激しい音全般」がインディ・ロックから取り除かれている印象になってしまった。ああいうのも残念だったし

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このケイシー・マスグレイヴスとかミランダ・ランバートのアルバムみたいに「それ、カントリーに分類しちゃうの?ロックで全然いいじゃん!」って作品のようなものがロックファンに聞き損なわれたり

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もはやどう聞いてもロックにしか聞こえないマイケル・キワヌーカの新作みたいなものが、人種のイメージの影響で「ソウル」と括られてしまうことでロックファンが聞き逃すような可能性が大きいこととか、ありますからね。

僕に言わせてもらうなら、「インディ・ロックのファンだって、同じようなサウンド、飽きてるんじゃないの?」と言いたいですけどね。ジョイ・ディヴィジョンとかヴェルベット・アンダーグラウンドがルーツにあるようなタイプのバンドばかり聞きたいわけじゃないだろ、と思います。

だからなんでしょうね。

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The 1975みたいな、音楽ルーツが他の、典型的なインディ・ロックバンドのそれからはみ出したようなバンドがウケてるのは。だから、そういう、頭が固くなってしまっている悪い意味でのインディ・ロック・ファンからは彼らは「ポップ」などと揶揄もされることもあるんですけど、「オマエらよりマティの方がよっぽど音楽マニアだよ」と言いたくもなりますけどね。The 1975みたいなバンドが多く出てくることで、インディ・ロックそのものがもう一回ちゃんと再定義され直されるべきです。

そして、90sの感覚で、現在のロックの音楽的、今度はむしろ精神的な足かせかな、になっているものとしては

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②カート・コベイン・シンドローム

これが2010年代のロックバンドのアティチュードに逆効果になっていたと思います。

カートが、「ロックスターなんかになりたくない」と言っていたのは、ロックでアルバム1000万枚売れてたスーパースターがいた時代です。その時に、その昔の絵に描いたような、さっきも言及しましたが、金満バッドボーイ体質のマッチョなミソジニアスなロックスターに一石を投じたから意味があったわけです。そういうロックスターが当たり前だった時代に、普段着で女性やLBGTに非常に好意的な新しいロックのカリスマが出たからこそ意味があったものです。

だけど今って、ロックで最も売れる人って、どれくらいですか?ビルボードの年間ベスト・アルバムの100位に入るロックのアルバムなんて何枚あるんですか?もう、音楽のスターに「バンド」なんて全くいないじゃないですか。

さらに言えば、もう「ロックで売れたから」と言って、にわかビリオネアみたいな態度とらなくても全然良くなった時代だし、「売れることを恐れる」なんてことをしなくて良くなった。いや、むしろ、「ロックの産業地盤沈下」考えたら、売れるヤツの方がむしろ歓迎なんですよ。

それなのに

バンド側がむしろ「売れること」を必要以上に警戒してるような感じがあった

そこが問題なんですよね。もう、そんな時代、とっくに終わってたのに。

これ、とりわけmyspaceからピッチフォークがインディのバンド推してた時に顕著だったんですよね。時代でいうと2007年から12年くらいかな。このころがですね、今、告白してしまうと、僕自身がロックに一番ノレなかった時期なんですよね。

とにかくピッチフォークが推すバンドが地味すぎて泣けてました(笑)。サーフブームとか、あのへんの頃ですね。この時期に好きなバンドって多分、人から言われないと思い出さないです。っていうか、実際僕は推してないですから。映画とテレビに逃げてたし、本音言っちゃうと、だからこのブログができたようなものなんですけどね(笑)。

2000sのNMEが推したバンドって、普段着だけど華はすごくあったんですよ。ストロークス、ストライプス、キラーズ、キングス・オブ・レオン、リバティーンズ諸々いっぱいいましたけど。それは彼らがスター作り慣れてたからだと思うんですけど、ピッチの好むバンドって、とにかく地味だったでしょ?アーケイド・ファイアとかボニーヴェアとかヴァンパイア・ウィークエンドとかフリート・フォクシーズとかあの辺りは音楽的才能は別格でしたけど、その他はなあ。

そんな中で、その世代では一番華があると思ってた

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このMGMTみたいなバンドのモジモジした感じがすごくもどかしかったです。「そんなに心配しなくても、どうせニルヴァーナの5分の1も売れないから、フツーにポップなことやれよ!」と思うのに、なんかもう、ひねくれ倒してメジャーの契約ムダにするようなアルバム出してね。あれ、見てて全然カッコ良くなかった。そんなことより、「シーンに影響力のあるアルバム作れよ」と思ってイライラして見てました。ようやく去年のアルバムで考え直したか、再スタートみたいな感じになってますけど、遅すぎです。

だから、2010年代の前半のピッチフォーク読んでて、「こんなバンド、売れるわけないじゃん。スター作るのヘタだな」と思って読んでたんですけど、案の定、インディ・ロックの時代、終わりました。

それにとって変わったのは何か

女性と黒人

ズバリ、これでしたね。

何がそれを可能にしたか。それは

彼らの方に言いたいこと、主張したいことがあるから


これは、2010年代の世の中がプログレッシヴにリベラル化したことが関係あると思うんですけど、それが音楽にも見事に反映されてますよね。それは、とりわけこの5年くらいの音楽シーンに如実に表れていると思います。

実際

インディ・ロックも、今や女性アーティストに救ってもらっている状態ですからね。

今、バンドで「面白い」と思う存在が出たら、たいがい女性になってますからね。それを裏付けるように、ギターの売り上げも今や女性が引き上げている統計上の事実もあります。僕としては大歓迎ですけどね。

こういうことで何がわかるか、つまり

「売れすぎたらよくない」なんて考えを持っているのは、結局、白人男性だけだった

ということなのかな、という気がします。「カートの反抗したポイントがどこだったのか」を見誤って、時代による修正をかけないから、こういうことになります。

・・・と、これが今の現状のロックシーンだと思います。この理由、イギリスと日本の音楽ファンだけで見れば、これが一番の理由でいいかもしれません。

実際、イギリスだと、こういう時代感覚に即した、「通な音楽ファンが好むもの」を可視化したBBCの放送みたいなものもあるし、日本でもロッキンオンみたいなメディアが完全にクラシック・ロック化している割には洋楽ファンがむしろ時代の波について行っているような感じがします。

で、その中で面白い音楽の流れはできているし、それ自体は全然恥じるべきことでもない。R&B/ヒップホップや、先進的な女性アーティストとインディ・ロックを混ぜて楽しむような聞き方も、批評的な感性もったリスナーでできている人も少なくないです。

ただ問題は

そういう現状がほとんど一般に知られていないことです!

それを阻むものは何なのか。それこそが「1位」の理由です。次回、おそらく明後日だと思いますが、それについて書こうかと思います。

















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