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「90年代ロックのイノセンスの象徴」としてのスティーブ・アルビニを愛し、そして離れた理由

どうも。

これ、話そうかどうか迷ったんですけど、しておきましょう。

スティーブ・アルビニが先週亡くなりましたね。その際にすぐに追悼しなかったのは、すでに企画「ロマンティック・コメディ強化週間」を頓挫させたくなかった、というのが一番の理由ではあったんですけど、なんか少し彼について語るのがちょっと気が引けるところがあったといいか。ここ数日、いろんな方が彼に熱を入れて熱い追悼をされているのをたくさん見たんですが、どうもそこに同じようには加われないなというのがありましてですね。

そこまでの人気がある理由もよくわかるんです。僕もある時期まではすごく熱をあげた人ではあるので。彼がプロデュースを手掛けたニルヴァーナに関しても、90sいっぱいまでは「In Utero」こそが一番で、それこそがカートが一番表現したかったことなんだ、くらいに思ってました。

あの頃、特に「In Utero」出た93年から2000年くらいかなあ、ちょっと自分でも過剰に「本物のロック」とか「ピュアなロック」とか、そういうのを強く求めすぎてたところがあって。それはやはり、カートが「ロック史の流れを変えたアルバム」というのを作ったあとに、それに対して背を向ける「In Utero」を作って、そこにも心が落ち着くことなく、結局命を自ら落とすというドラマに至ってしまったからですけど。そんな気持ちを強く絶妙に駆り立てる演出をはからずもしてしまったのが、剥き出しのままの、ヒリヒリしたアルビニのサウンドだったことはまちがいないです。

アルビニという人は「プロデューサー」という、普通なら裏方でサウンド面を手助けする音楽職人にある立場の人ながら、彼自身が作る音の方がアーティスト本人を超えて、攻撃的で鋭角的な主張もつ、極めて稀な存在というか。パンク系のプロデューサー、数多くいますけど、そこまで思わせる存在ってなかなかいないですからね。なんかギョーカイ人っぽく椅子の上にふんぞり返る感じじゃなく、自分から親身になってアーティストと共に歩む感じがあるというか。そういう感じが好きなタイプには絶対たまらないタイプだと思うんですよね。

それは彼自身のアーティストとしての出自だとも思うんですよね。自らシカゴのインディ・シーンでビッグ・ブラック、レイプマン、シェラックと、キリキリに研ぎ澄まされた音を出すパンク/オルタナ系のバンドを率いている存在でもある。また、そうしたバンドや彼個人のミュージシャンとしての活動を通じて、日本のアンダーグラウンドなバンドとローカルな小さなライブハウスで共演もしてしまう。そういう、アンダーグラウンドで草の根的な音楽シーンをしっかり知った末で音をならし、ニルヴァーナみたいな世界一にもなったバンドや、ピクシーズやPJハーヴィーといった、時代を超えてレジェンドと呼ばれるアーティストの代表作も手掛けたりして。そういう状態が90年代末まで続きましたね。90sの最後の方はチープ・トリックとかレッド・ツェッペリンのペイジ/プラントとか、僕が敬愛するレジェンドのエンジニアやったりもして。その頃までは本当に熱を入れあげたんですよね。

それは特に90s末に高まったかな。ちょうどあの頃はオルタナが「先進的な進歩的な音楽」として終わりそうになっていた時期で、ウッドストック99みたいはコンサバでマッチョでセクシズム全快な悪い方向にオルタナティブ・ロックが悪用、消費されて行きそうな危機感もあった。そうしたことで僕自身、より強く「商業主義にとらわれない本物のロック」みたいなものを求めたくなったんですよね。その頃に僕が個人的に付き合いのあったナンバーガールだったり彼らのコアファンの界隈にもそうした雰囲気があって、それが助長してたところもあったかな。ポストロックとか初期のエモとかにとそうした雰囲気あって。ソニック・ユースとかフガジとか、ニール・ヤングとかパティ・スミスとかそういう感じに憧れるのがカッコいいとか、そういうことを思ってたような、そんな時期でしたね。

それが、2000年のあるタイミングでガタッと僕のなかで崩れたんですよね。そんな自分がすごく苦しくなってむなしく見えはじめたというか。そういう聞き方をすることによって、自分の音楽の聴く幅を狭めてしまっていたというか。そのときちょうど30歳だったんですけど、そういう音楽の聞き方は、僕がそれまでの人生でしてきた音楽の聞き方ではなかったんですよね。もっと多彩なものをいろいろたくさん楽しみたいし、それを狭めて音楽に対して貴賤を付けすぎるみたいなことになったらばかばかしいじゃないかと。その瞬間にそういう聞き方、一切やめてしまったんですね。今現在も、一番戻りたくない音楽リスナーとしての自分もこのときです。

その影響があるからなのかなあ、あのときに自分が「ストイックだ、崇高だ、かっこいい!」と崇めてたようなものほど戻りたくなくなったところがあるというか。全然彼らのせいでもなんでもないのに、ニール・ヤングとかパティ・スミスとかソニック・ユースとか積極的に聴く気が20年くらい起こらなくてですね(苦笑)。あの当時のポストロックとかも食指が伸びなくてですね。

それがアルビニにも及びましたね。彼の作ってた音源の、非常に強い癖が耳につくようになってきててすね。「何を聴いても、ドラムのパターン、全部同じじゃないか」とか、そういうことを思うようになったんですよね。あと、エルヴィス・コステロも後に同じ指摘するんですけど、「音量バランス、おかしいよな」とか、あといちばん強く感じたのは「メロディを生かす音の録り方、あまり出来ない人だな」とか、そういうことも感じだしたりもして。そういうことを思い出して、距離をおきはじめたところは本音いうとありましたね。

今でも、たとえばピクシーズなら「Gigantic」って曲に関してはアルビニより断然ギル・ノートンだよなとか、「PJハーヴィーの最高傑作がRid Of Meって人は、彼女のその後のアルバム
聴いてない人だろうな」とか、さらには「あまりにもカート自身が作りたがり、それに乗せられた人のナラティブに振り回され過ぎてたかな」ということも思うようになってたりとか。「Nevermindができたときにカート、別に不満なんて言ってなかった」とか「あれで売れたいと言ってた」とかの証言も読んでるし、「結局は自分のライブに自分が嫌ってるタイプのヤツが来たことで動転して、その理由をNevermindに八つ当たりしてただけなんじゃないか」とかとも思い始めて。あと、生前最後の曲になった「You Know You're Right」聴いて「大して変わってなかったんじゃん!アルビニ・サウンドうんぬんってなんだったんだよ」と拍子抜けしたりしたこともありましたね。

あとは、僕のサウンドに対しての根本的な好みの問題ですね。僕はやっぱり、アレンジャー・タイプのプロデューサーの方が好みなので。それでいったらデイヴ・フリッドマンとかジョン・ブライオンといった、デジタル・サウンドにもオーケストラ・アレンジも多才に出来るタイプの方が好きなので。アルビニの場合、アーティストと等身大で奇才ではあるとは思うけど「職人」と呼ぶほど器用な人とは思わないし録音に関してはアレンジャーというよりエンジニア寄りの人だと思うので、そこのところの好みの違いはどうしても出るんですよね。

そんなこともあり、実は00s以降、僕はアルビニに距離をとってました。戻りきらないうちにまさかの訃報を迎えたわけです。

ただ、90sのときに彼のサウンドをこよなく愛し信奉したことは確かだし、いまだに強く愛される理由もわかります。もう少し時間がたって客観的に聴く気が出来たら気持ち的な再接近もあるかもしれません。ただ、それだけアルビニという存在は、「商業的な妥協とか制約と関係なしに、自由で本音なのがカッコいいんだ」とロックの自由さがなにより尊ばれた時代に選ばれた存在だったような気が今でも僕にはしてます。

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