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チャーリー・ワッツ逝く 「ロック界の長老」が刻み続けたストーンズ、そしてロックンロールのグルーヴ

どうも。

いやあ、本当に悲しい。

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ローリング・ストーンズを半世紀以上にわたって支え続けた名ドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなってしまいました・・・。本当にショックです。

 僕がタイミング的にチャーリー・ワッツのことを知ったのはこの時期です。

かなりの大成功を収めた、1981年から82年にかけての全米ツアーですね。この頃に日本の洋楽でも「スタート・ミー・アップ」がチャートの上位に行くヒットになっていて。日本でもこのツアーはすごく話題になっていて。

 ちょうど、その頃、小学6年生だった僕は洋楽雑誌を買うようになって、ミュージック・ライフ読み始めたんですね。あの雑誌って、すごく資料生に富んだ雑誌で、毎月、アーティストの誕生日をカレンダーで紹介してくれてたんですね。で、ロックのいろんなこと知りたいと思ってたからむさぼるように調べたんですけど、

おっ、この人、40歳だよ!

・と、僕が見つけた人、その人こそ、チャーリー・ワッツでした。

 今となっては信じられない人も少なくないかもしれません。ですが、1980年代前半の時点において、ロックやってる人で40代なんてほとんどいなかったんです。ノリとしては、プロ・スポーツみたいな感じですよね。40近くなったら、もうやってる人が誰もいない。そういうものだと思っていたから、ロック・アーティスト、40になったら引退するのかと思ってました(笑)。

 だから、そのときから、僕の中でのチャーリーのイメージって、「ロック界の長老」でずっとあり続けたんですよね。まあ、でも、それも説得力あったというか。

だって

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ずっと、このイメージだったわけでしょう?ミック、キース、そしてロニーの三人がどう見ても「永遠のやんちゃ少年」然とした姿勢を変えようとしない中、ひとりだけ、ビシッとスーツも髪型も整えた「大人」として君臨し続けたわけですからね。やっぱ、その意味でも「長老」だったわけです。

 加えて1941年生まれって、音楽界広しと探して見てもボブ・ディラン、それから今は亡きディープ・パープルのジョン・ロードくらいのものでした。あと、正確なこというと、ストーンズの中でもビル・ワイマンの方が年そのものは上ではあったんですけど、ビルが若作りだったことや、僕が聞き始めたときにすでにそうだったんですけど、ストーンズにあまりコミットしなくなってて存在感、かなり薄くなってたので、やっぱりチャーリーこそが「ストーンズの中の兄貴」なイメージ、どうしてもあったんですよね。

 そういうイメージあったものだから、チャーリー、僕だけでなく、ずっと年齢引き合いに出されて語られ続けましたよ。あの当時、まだ、さっきも言ったように40でロックをやってる人がいない世界でしたからね、「40過ぎてチャーリーはちゃんと叩けるのか」とか、ずいぶん、ネタにもされたものです。

 しかし、「ちゃんと叩けるのか?」どころの話ではありません。この「ロックの長老」、その時代はなんと40年も続くことになったわけですから!

 今なんて、「ロックで40代」なんて当たり前だし、むしろ、その年齢の方がロックのイメージとしてピンと来るくらいですよね。だって今や、ラッパーとかアイドルでも40代いて不思議じゃない世界のわけですから。だけど、時代の宿命か、今から考えたらずいぶん若い時期に長老扱いされ、それが途切れず、そのイメージを亡くなる80歳まで40歳分も高めてしまった。このことに関してはチャーリー、そしてもちろんミックやキースの貢献も本当に大きなものだと思っています。

 そして、チャーリーといえば、そのドラミングですよね。若い時分だと、なかなかその良さに気づかなかったものです。だって、あの当時は「いかに力強く叩くか」「誰が手数が多くてかっこいいか」なんてことに気がつきにくい年代でしたからね。本音言うと、80sの頃にストーンズのよさは恥ずかしいくらい何もわかってなかったです。

 でも、昨日


この曲の入った「アンダーカバー」って83年のアルバム聴いたときに、チャーリーのリズムの対応ぶり、すごいな、と改めて感じて。このアルバム、ロックンロールのみならず、レゲエ、アフリカン・ミュージックに対応した、ストーンズの中でもダイヴァーシティの強いアルバムなんですけど、チャーリーのグルーヴ感覚がいかんなく発揮されてるなと思って感心してたところです。

 リアルタイムで「チャーリーのドラムってかっこいいな」と気がついたのはこの曲でしたね。

1994年のこの「Love Is Strong」。時代的に90sって、80sのゴテゴテしたサウンドから脱皮して、余計なものをそぎ落とす音が主流になったんですけど、チャーリーのここでの手首のスナップ使ったスネアの軽やかなアタック、それこそスネアの皮の部分の振動までタイトに聞こえる心地よいヒット。これ聴いて、すごくかっこいいなあと思いましたね。

そこからですよ。僕がストーンズを本格的に遡って聞くようになったのは。ここで、チャーリーの作る「タメ」であったり「間」であったり、直線的なたたみかけではなく、体全体をゆするようなグルーヴのかっこよさに気がついたのは。よくよく考えると、大好きなAC/DCのフィル・ラッドのドラムも基本、このチャーリーのスタイルを踏襲した、無駄のない的確な、かつグルーヴィーな叩き方なのに、それに長いこと気が付かずにいたんですよね。

 そのチャーリーのリズムの根底には、彼のルーツであるジャズがあります。1960年代当時、ロックに「叩き方」なんてものはなく、生まれたばかりのその音楽に、違う音楽をやってきた人たちがいろいろ工夫を凝らすことで発展していったものですが、まさにチャーリーはジャズの世界からやってきて、時代の宿命とともに、ミックやキースたちとともに、自分たちの経験値から結果的に「ロックのリズム」というものを生み出してきたわけです。そんな中でチャーリーのドラムというのは、そのジャズの経験値が生んだスウィング感、これが抜群に生きているわけなんですよね。でも、そうなって自然なんですよね。だって、チャーリーがストーンズでデビューしたの22のときなんですけど、それまではずっとジャズ叩いてきたわけですから。そうなりますよね。

 なので、僕が今、チャーリーの逝去とともに懸念するのは、こうした、ジャズとか他ジャンルの経験が豊富な人がロックからいなくなることで、チャーリーの持っていたスウィング感、グルーヴがロックの世界から喪失されていなかいか。ズバリ、そこなんですよね。やはり、ロックしか聴いてこなかったジェネレーションだと、そういうグルーヴが果たして本当に出せるのか。やっぱり不安にはなりますよね。「いろんなリズミカルな音楽にタイプできた上でロックも叩ける」というのが、やはり一番理想的ではありますからね。

 でも、若い人になればなるほど、いろんな音楽を勉強したいとも思うだろうし、熱心でありたいとも思うだろうから、そういう人がチャーリーのそうした側面に気がついて、その要素を吸収し、そこに彼らの世代なりの感覚を注ぎ込んで発展していったらいいなと思います。

 僕から今言えることは「長老、本当に長い君臨、ごくろうさまでした」ということと、「ロックに多大なリズムの遺産を残していただいてありがとうございます」ということですね。あと、このサウンドの要を失うことはストーンズにとっては甚大な損失になるとも思うのですが、今後に関してはミックやキースの意向を尊重していきたいと思う所存です。RIP








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