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テイラー・ホーキンスの急死を、ロラパルーザ・ブラジル出演予定の2日前の深夜に突然聞いた

どうも。

ロラパルーザ初日から帰ってきて、かなりぐったりきてます。50代に突入しての初フェスを3年のブランクを経て迎えるわけです。こたえます。

そして、そこに

フー・ファイターズのデイヴ・グロールの弟分、テイラー・ホーキンスの急死のニュースが飛び込んできました。

・・・これ、僕、初日終演後、長い列を並んで帰宅して、家に着いたの午前1時を回ってたんですよ。そこで、電池切れになってた携帯電話でツイッター確認して飛び込んできたのが


拡散されて入ってきたこのアナウンスでした。フー・ファイターズの音楽的にも、ムードメイカー的にも不可欠な存在であったことが綴られています。

 しかもですね、フー・ファイターズ、日曜のロラパルーザ・ブラジルのヘッドライナーだったんですよ。それだけに、「嘘だろ・・・」としか言いようがなかったんですよね。

 ただ、ブラジル国民より衝撃的だったのは、間違いなくコロンビアの人たちでしょう。ちょうどロラパルーザ・ブラジルの初日と同じ日、同国で「エステレオ・ピクニック」というフェスが同時進行してたんですね。フー・ファイターズはそこの25日のヘッドライナーです。テイラーの死など、誰も知る由もなく、フー・ファイターズは予定通り出演の予定で、お客さんも普通に待っていたんです。

この映像を見るに、ブラック・プーマのメンバーが2人壇上に現れて、「フー・ファイターズのテイラー・ホーキンスが急死したんだ」とのアナウンスを行ったようですね。

 こんなの、いきなり待ってたステージで聞かされたファン、たまったもんじゃないですよね。フェス体験で、こんなに最悪なもの、ないですよ・・。

 僕自身、いやロラパルーザ・ブラジルにとっても、テイラーの急死はただ単に「日曜のヘッドライナーのドラマー」というだけの死ではありません。

忘れもしません。ロラパルーザ・ブラジル第1回の2012年、初日にヘッドライナーをやったバンドこそ、フー・ファイターズです。この時、まだ出演者も少なかったから大盤振る舞いで、セット2時間30分もやったんですよね。今でも、この時のライブは語り草になってて、これまでブラジルにはこれ入れて2回目だったのに、以降、2回、今回で通算5回目のはずでした。

2015年にも、僕の家の近所のモルンビ・スタジアムに、僕の45回目のバースデーの前日に行きました。ちょうど日付が入れ替わって45歳になった瞬間にラストの「Everlong」になったのも、すごくいい思い出でした。

 このように、僕にも、サンパウロ市民にも、すごく印象に残る思い出を、この10年のうちにフー・ファイターズ、テイラー・ホーキンスは与えてくれていました。

 テイラーはバンドの実質ナンバー2でしたから

ライブで、こうして自らヴォーカルをとるコーナーも設けられて、バンド内で大人気でした。

 これ、フー・ファイターズにとっても、存続さえ危ぶまれるような深い危機ですよ。

 そこそもテイラーというのは

キャリアで名が知れたのは、最初はアラニス・モリセットのバックバンドのドラマーとしてです。1995年。そこに1997年、「フー・ファイターズがドラマーを探している」とのオーディションを受けたのがデイヴとの出会いでした。

「あれっ。君、どこかで見覚えが」「アラニスの後ろで叩いてたんですよ」「あ〜、わかった。あの、両腕振り上げて、こうやって叩いてるやつか」。ドキュメンタリーによると、これがデイヴとテイラーの最初の会話でした。それくらい、テイラーのこのポーズは象徴的なものでした。

「でも、俺のバンドに入るより、アラニスの方が儲からないか?」とデイヴに言われたようなんですが、テイラーが頼み込んでオーディションを受け、正式にドラマーになりました。

 当初、フー・ファイターズにとって、「ドラマー」は最大の難関だったんですね。それはデイヴ自身がニルヴァーナの頃、名ドラマーとして知られた人物だったから、ことドラムに関しては人一倍うるさかったんですね。事実、セカンド・アルバム「Color And The Shape」のセッションでは、初代ドラマーに90テイクだったかな、同じ箇所をやり直しさせた末、それでもうまくいかなかったので、結局デイヴが叩いた、トイういつわまであるほどです。

 テイラーの存在は、フー・ファイターズにとって、最も埋めるのが難しかったパズルを埋めた存在です。

 そのテイラーは2002年、デイヴがクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのツアー・ドラマーに夢中になりすぎていた頃、「自分たちが置き去りにされた」と感じたフー・ファイターズのメンバーを代表して、デイヴにフー・ファイターズの今後のあり方について迫った、という逸話もあります。

 こういう風にして、テイラーは、フー・ファイターズになくてはならない存在となっていたわけです。

 デイヴにとってはねえ。彼はニルヴァーナでドラマーをやってた頃にカート・コベインを失い、今度は自身のためにドラムを叩いていたテイラーを失った。それだけで本当に胸が痛いです。

この曲で締めることにしましょう。この「My Hero」は前述の「Color And The Shape」収録のため、レコーディングで叩いてるのはデイヴです。しかし、テイラー自身ももう何100回も叩いてる曲。そしてこれは、カート・コベインが去ったことを歌ったもの。テイラーがこの曲で最後に叩いたのがちょうど先週の日曜日でのロラパルーザ・アルゼンチンでのことでした。

フー・ファイターズを続けていくか否かはデイヴの一存で構わないと思っています。ですが、僕はなんとなくではありますが「テイラーは続けて欲しいのではないか」と思っているので、時間が多少かかっても構わないので、継続を願いたいです。RIP





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