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ジョンの追悼40回忌は、自分の洋楽歴40周年でもある

どうも。

今日は、やっぱりこの話をしておこうかと思います。

はい。おそらく音楽史上、もっとも有名な命日ではないでしょうか。1980年12月8日、ジョン・レノンがニューヨークで凶弾に倒れ、息を引き取ってから今年でちょうど40年が経ちます。

 これはねえ、僕もすごく昨日のことのように覚えています。

こういう追悼番組、日本でもすごくたくさんあってですね。二つ目のTBSのやつなんて、いきなりかけた曲が「イエスタディ」という粗相もあったりするんですが(苦笑)、とにかく日本のワイドショーまで騒いでいたわけです。

で、奇しくもですね、

この頃がまさに、僕の洋楽の聴き始めです!

断っておきますが、ジョンの訃報で洋楽に興味を持ったのではありません。厳密に洋楽に興味を持ち始めたのは、このひと月ほど前です。うちの姉が当時聴いていた九州朝日放送(KBC)のラジオ番組「KBC今週のポピュラーベストテン」という洋楽のカウントダウン番組です。この当時にこの番組で流行っていた曲といえば

こういう曲ですね。ホール&オーツは日本独自のシングルでしたね。ノーランズ、ものすごく大旋風でした。あとはもう、歴史的なポップ・クラシックですよね。こういう時期に洋楽聴き始めました。

 僕、小学5年生でしたけど、7つ上の姉が聴いてたこの番組が、なんでしょうね、突然かっこよく聞こえてきたんですよね。その前からも部分的に洋楽は知ってて、ビージーズの「サタディ・ナイト・フィーヴァー」、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」、クイーンの「バイシクル・レース」あたりは知ってたんですけど、自分から能動的に洋楽聴こうと思ったのは、この頃ですね。

 で、その番組と違う、もうひとつ聴いてたFM福岡の「今週のポピュラーヒットパレード」という番組で、当時上がってきていたのがジョン・レノンの「スターティング・オーバー」だったんですね。ビートルズは僕が小学校2年のときに、当時中2だった姉が最初に夢中になった洋楽アーティストなのでもちろん知ってて。それで「ああ、ビートルズだった人。ポール以外でもまだ健在なんだな(うちの姉は熱烈なポール・ファン)」と思ったのもつかの間の訃報でした。12月9日の朝日新聞の夕刊で知ったと思います。

 それからしばらくは、聞く番組聞く番組、全部1位はジョン・レノンですよ。あの当時、あればかりが巷から聞こえてきてましたね。あの曲だけじゃないな。それから1年ものあいだ

「Woman」「Watching The Wheels」も流行りましたからね。そこから1年はかなりのジョン・レノン・イヤーだったものです。

 この頃は、とにかく洋楽に夢中になりましたね。それもあって、小学校6年生、1981年という時が大好きです。いまだに人生ベストイヤーのひとつですね。これには、ちょっとした個人的時代背景があって。これ、今まで言おうとしてなかなか言い出せなかったことなんですけど、この4ヶ月前の1980年の8月に、僕の両親が離婚してですね。僕としては、当時の父親に恐怖心を抱いていたところがあったので、そうしてもらってホッとしたんですけど、その安堵の気分と、新しい家族への期待感と不安感が入り混じっていたころです。当時、母子家庭、まだ珍しかったですからね。

 そんなタイミングで洋楽がスーッと僕の中に入って来たというか。新しい友達を得たような気がしてね。あと、僕はもともとその当時までに「クラスで一番歌謡番組見てる自信」があったくらいに好きだったんですけど、親の離婚もあいまって、なんか精神的に一歩大人になったような、そんな気分もなんとなくあった気がしてですね。その年で洋楽を聞くようになったことで、だんだんクラスの友達と話も合わなくなってくるんですけど、その意味でも「洋楽の親友度」が高まっていたところもあるかもしれません。

 ただ、僕の洋楽史って、ロック史的にはひとつの切れ目でもあったんですよね。それはもちろん、ジョンのことでもあるし

この少し前にはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムも亡くなってて、それがもとでツェッペリンは解散します。この話を聞いたのがジョンの死のすぐ後で。「なんだ、せっかく洋楽聴き始めたのに、なんで死ぬんだよ!」と、なんか子供ながらにすごく悔しい思いをしたのを思い出します。ツェッペリンのことは、たぶん「マカロニほうれん荘」を読んで知ったと記憶してます。

 だからこそ

こういうデュラン・デュランみたいな、より若いスターに夢中になりはじめる理由にもなったかと思います。

で、ビートルズに話を戻すと、僕がジョンをディグるようになったのは、それから10年くらいしてからですね。CDでビートルズを聞くようになって、「リボルバー」を聴いてぶっとんだときからでした。それまで、うちの姉の好みでも、ラジオの企画の「ビートルズ・ベスト10」みたいな番組でも、上位占めるの、ほとんどがポールの曲、もしくは初期の曲ばっかりでしたから、「Tomorrow Never Knows」やら「I'm Only Sleeping」とか知らなくてですね。そこから大学2年のときに、ビートルズは全部揃えるくらいに好きになりましたね。

・・と、こういうことを思い出してセンチメンタルになっています。

特に「40年」なんて聞くと信じられないですね。もう、完全に「歴史上の人物」というか。もう10年たって50年にもなると、さらにそれが強まるんだろうな。なんか、自分の覚えている世界が、「社会の教科書」くらい遠くに感じられる日は、そこまで来てるんだなと改めて思います。

 





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