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そういや、「偉人伝のカルチャー」っていうのが、あったな

どうも。

本当は書く予定でいたネタがあったんですけど時間がなくなったので早く書けるネタで行きます。

そういえば思い出したことがあったのです。子供の頃、自宅に

こういう偉人伝がセットで家にあったものでした。うちの場合、7つ離れた姉がまとめて買い与えられていたので、書斎にどっさりあったんですよ。僕も姉ほどは読まなかったんですけど、それでもだいぶ読んでますね。

今ってこういう偉人伝って、

こういう風な漫画スタイルじゃないと売れないのか、ずいぶんポップになったものですけど、70年代の小学生にはこういう感覚は大人が許さなかったものでして

僕の家に一式あったこのポプラ社の偉人伝セットのように、こういう音楽教室の作曲家の肖像画みたいな表紙のいかついものが普通でしたね。

でも、このポップとは決して言えない挿絵でもですね、当時の子供にはベストセラーだったんですよ。なぜか?小学校で課題で与えられる「読書感想文」で重宝されるからです。僕も実際にうちのコレクションんを利用してよく提出してましたよ。ファーブルとかベーブルースでやった記憶があります。

この「偉人伝」の文化が幼いころからあるからなんじゃないかな、日本人って人をやたら崇拝する文化がありますよね。あれは欧米にはない文化です。うちの子供、そういう偉人伝、読んだことないし、書店に行っても子供向けのそんな書籍、見たことないですからね。

それだからかな、日本人って、やたら人を崇拝する癖がありますよね。昔からスポーツの大会で金メダルとか優勝とかするともう完全にそれ一色になるし、各メディアがその人の「いい話」を寄ってたかって集め、すぐに国民栄誉賞に結び付けようとするでしょ?今の大谷くんとかもすごいですよね。僕は、二刀流でなくとも、アメリカの殿堂入りの基準のひとつである500本塁打で行ける気がしてるので嫌わず応援してます。ただ、サッカー選手みたいに英語で話す努力はすべきですけどね、彼。

音楽でもありますよね。90年代の月刊カドカワとか、その頃からのロッキングオン・ジャパンとかのやたら字数多いインタビュー。「こんな扱いしたらアーティスト、調子こいてもおかしくないからやめればいいのにな」と思ってすごく嫌でした、アレ。僕が当時、インタビューにあまり積極的でなかった理由もそれでした。

音楽に関して言うと、欧米が21世紀に入ってセレブが売れるようになってきて、日本みたいな報道に移ってきたのが皮肉ではあるんですけどね。日本みたいにものすごい字数割いてのものとかはないんですけど、「楽曲やアルバムよりは個人」みたいな感覚が受け入れられてる感じになってるとこは否めないですね。

まあ、話が横道に逸れましたが、そんな子供時代の偉人伝のラインナップに

この人がいましたね。

まあ、何を指してるかは自ずとお分かりでしょうけど、幼いころから「偉人伝で紹介されてる人」と思い込んでたら、トラブルのもとになるのもわかりますね。疑わないでしょ?

欧米であまり人を偉人扱いしないのは、「人間は神様ほど偉くない」という心情があるからなのか、偉人とされてる人たちに得てしてダークサイドがあることがわかっているからなのか、崇拝することはまずないです。

今回の騒ぎでよくいわれている「奴隷商売人だった」というのも、欧米基準だとおそらく日本で偉人伝が出ている頃には知られた話だと思います。

ただ、日本って、学校教育で植民地とか人身差別の問題って扱われた記憶がないんですよね。70年代ですらそうでしたから。あれ、若い人の無知のせいにされていますが違います。昔から日本が弱いところです。多分、学校で教えると、太平洋戦争の際の日本の他のアジア諸国に対してやった問題、避けられなくなるからでしょうけど。

あと、人種問題についても甘いですよ。僕の周囲の日本人でも、公民権運動とかアメリカの19世紀から20世紀初頭の奴隷性や人種差別に関して、ソウル・ミュージックとかヒップホップに詳しい人以外に問題意識持ってる人、圧倒的に少ないですもん。実際、日本の映画好きのコミュニティ入ったことありますけど「それでも夜は明ける」が僕より年上の人たちがちんぷんかんぷんだったり、BLMのときに怒った黒人の暴動ばかり理不尽だと憤る人が日本で多かったりしますよね。

だから今回の問題も「コロンブスを知らない知識不足」のせいにされがちですけど、そうじゃないですよ。あれ、差別される側の気持ちがわからないことに対しての根本的な問題ですから。

仮に自分が人から発見されたときに人間扱いされなくて、未開人として一方的に扱われて、よそからやってきたエラそうな人たちのために下手になって働いて・・ってなったら良い気はしますか?そういう問題です。

あと、とりわけこうした、「人を支配してきた人たちのナラティブによる歴史」観に国際的に修正がかかってきてる時勢なのに、日本の高校の社会科教育、いまだにメソポタミア文明からはじめて近代、現代が入試に間に合わず「自分でやっといて」扱いにするでしょ ?歴史って「それが今にどう繋がっているのか」を学ぶための学問です。それなのに、その一番肝心なところを学ばなくさせているのが日本の社会科教育でもあるんですよね。ここは前から思っていますけど、なんとかならないものかと思います。

なので今回の問題は、Mrsグリーンアップルという「今時の若い、無知なバンド」ということに一方的にされがちな存在だけのせいではなく(彼らもそこからまなぶべきではもちろんありますけど)、日本のこれまでの社会的なあり方ゆえに起こったものだと個人的には思いたいです。

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