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Ще не вмерла Україна

はじめに。以下の文章は一ヶ月以上前に書いたものです。アップすべきかどうか物凄く迷い、決めきれずにいたのだけれど、ウクライナ情勢について自分が何を思い、感じているかを記しておくべきだと思い、アップすることにしました。他者に何かを伝えたり訴えたりするというより、容赦の無い現実に激しく揺さぶられている自分を俯瞰するために書いた文章であるということを予めお伝えしておきます。

以下、本文です。

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本題に入る前にいくつか。

数日前にTwitterとYouTubeにクラシックギターでのウクライナ国家の演奏をアップしたので、ウクライナ情勢についての俺の考えはおわかりと思います。

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戦争が終わり、ウクライナに平穏が訪れるまでは、このTシャツでライヴをし続けることに決めた。

「いかなる理由があれ、武力で他国に侵攻することは許されるべきではない」というのが俺の考えです。今回の文章はその考えに基づいて書きました。断定的な語調で書いたので、眉を顰める方、不快に感じる方もいると思います。啓蒙目的の文章ではないので、無料部分を読んで微妙だなと感じた方はそこでログアウトすることをお薦めします。

有料部分に自宅での演奏動画のURLを貼ってあります。ウクライナ国家(TwitterとYouTubeにアップしたものと同じ動画です)、プロテストソングのカヴァー2曲(Sting「Russians」とJohn Lennon「Imagine」、自作曲2曲(「tears in the morning」と「メランコリー(part2)」)の計5曲です。

最後に。このテキストの売上は全額ウクライナへの寄付に充てさせて頂きます。

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「ロシアにもロシアなりの正義がある」、か。ロシア軍による蛮行が連日のように暴かれていく最中でよくもまぁそんなことが言えるなと思う。
誰にだってその人なりの正義がある。それは確かにその通りだ。ウラジミール・プーチンの言い分は俺には全く理解出来ないが、それでも彼なりの信念に基づいた正義なのだろう。たとえそれが歪で邪な思想であっても、心の内に留めておくだけならば他者がとやかく言うべきではない。思想・信条の自由は人間の尊厳を支える上での基本的な条件だからだ。が、実際に行動に移すのならば話は別だ。
仮にプーチンの言い分が正しかったとしても、正義の旗の下でなら何をしても許されるというわけにはいかない。物事には限度というものがあり、越えてはならない一線がある。そして個人の正義が必ずしも社会における正義とイコールではない。武力でウクライナに侵攻した時点でプーチンは、ロシアは越えてはならない一線を既に越えている。そして今この瞬間にもウクライナの民間人が殺されているのだ。にも関わらずロシアなりの正義とやらに目配せをする人たちが少なからずいる。とても正気だとは思えない。
ここまでの文章でピンとこないのであれば、試しに「ロシア」の部分に「ヒトラー」を代入してみたらいい。「スターリン」でも「麻原彰晃」でも「植松聖」でも構わない。「ヒトラーにもヒトラーなりの正義があった」などと表明することは、つまりナチスドイツが行ったジェノサイドやポグロム等の蛮行に一定の理解を示すことに等しい。それがどれ程無意味で馬鹿げた物言いか、わかってもらえるだろう。

河瀬直美という人については映画監督だということしか知らないが、今後この人の作品を観ることはないと断言しておく。ウラジミール・プーチンにも一定の理解を示すフェアネスを重んじるレディ。本気の発言なのか逆張りなのかは俺には知る由もないが、今直ぐロシアに飛んでプーチンのケツの穴でも舐めてくればいい。武力で他国に侵攻して、民間人を虐殺することを悪だと言えない知識人、文化人とその発言や表現物に、俺は一切の価値を認めるつもりはない。

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