Try and see what happens.

とりあえずやってみよっか。

 何か一つのことを専門にしたり一生懸命取り組んでいると、日々向上したいという気持ちにあふれる。しかし何事も一本調子に右肩上がりに向上するわけは無く、立ち止まったり逆行したり。その結果、ことあるごとに、ああだめだ、うまくいかない、失敗した、とネガティブな気持ちを抱く機会も増えていってしまう。ありがちです。
 どうしたら失敗したとき、ネガティブにならないで済むのでしょうか。

 先日、実家の母に教わりながら、ちりめん干支人形に初挑戦しました。20センチx10センチ程の絹の古布の端切れで丑の型をとって縫い合わせて、ひっくり返して中に綿を詰めて、目や耳など細部を縫い付け、背中に飾り布や綱を渡して、縁起の良い正月飾りの出来上がりです。母が型紙どおりに布を切っておいてくれたので、私はまずはチクチク縫ってひっくり返して綿をつめるだけ。裁縫とは無縁のほぼ初心者の私。言われた通りに進めるだけで、コツも何もわからない。綿を詰める段階になって、縫い方がずれていたり綿の詰め方が甘いと、丑さんの顔がとんがってしまったりふにゃふにゃになったりする!と気が付く。綿も最初に一番奥までしっかり詰めないと後から修正するのは難しい。なるほどねー。やってみないとわからないことだ。そして綿を詰めるだけだと思っていたが、好みの見栄えになるようにうまく詰めるのは結構むずかしい。そう気付いて、もっと綿を足してみたり一度にたくさん入れようとしたり入っている綿をずらそうとしたり試行錯誤していて、ふと気が付いたら、なんと、白い丑の顔が自分の指の油で薄汚れてしまっているではないか! これはびっくり。なるほどねー。洗ったきれいな手で、あまり触らないようにしてさっさと作らないと薄汚れてしまうんですね。売り物のちりめん細工とか、どんな小さくて単純なものでも素人仕事では無いのね。やってみないとわからないことです。 あれ?この時は、失敗した!くやしい!という気持ちは全く湧かなかった。ほう、なるほどねー、と、やる前には予想しなかった結果を面白く受け入れていました。
 日本語のレッスンがうまく行かなかったときに感じる挫折感と何が違うのだろう?
 あ、それはやる前の期待値なんじゃないかしら。日本語のレッスンは、準備もするし、生徒がこう反応するだろうと予想も立てている。だからそのとおりにならないと失敗したと判断して落ち込む。でも、初めてのちりめん細工は、何の期待や予想も無いので、うまく行かなかったことも失敗とは認知されず、新しい発見としてプラスの経験と認知されるのだ。 そっか。失敗したときにはいつも「なるほどねー。こうすると予想通りじゃなくて、こういう結果になるのか。」と発見したと考えればいいのかな。

 「やってみる」という言葉は、そもそも「やる」+「見る」なんだから、やった後、具体的にどんな結果だったのかをじっくり「見る」ことも「やる」行為と同じぐらい重視しなくちゃ。 
 どうでしょうか。この方法で何でもポジティブに考えられるようになるといいな。

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