「ゼロ・グラヴィティ」の感想

 もう何度この感動的なシーンを見かえしたかわからない。

https://www.google.co.jp/search?q=gravity+last+scene&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja-jp&client=safari#fpstate=ive&vld=cid:0589cf23,vid:2EMOVUZPJSM,st:

 はじめに中国語のガイダンスが流れるがなぜか彼女はスペイン語で「No hablo Chino」と言い、そのあと日本語で言えば「どれにしようかな、かみさまのいうとおり」にあたる「Eeny meeny miny moe」と子供のように発する。ここで言語と年齢を超越した生命の歴史がはじまるのはお決まりだ。バラバラに砕け散った宇宙船は精子、地球は卵子である。生命のはじまりである海に突入して、浮上時にカエルが映るのには笑顔と涙が出てしまった。わざわざ言うけれど、海から誕生した生命は進化してついに両生類になり、はじめて陸上に出てきたときにその「重力」のために膝をついたのだ。スティーブン・キングが「これは生命讃歌の物語だ!」と言っていたことを思い出す。
 エンドロールまで見れば、やはりアメリカと中国の資本でも脚本は違うことに気づく。フランス系の名前ばかりだ。ベルギーとかスイスとかアフリカなのかもしれないけれど。
 そうすると、登場人物はたった三人の密室劇であり、もともとは戯曲のようなものだったんじゃないかと想像する。確かめてないが、サルトルの「出口なし」あたりを彷彿としませんか。宇宙に出ても、どこに行っても、人間が与えられた状況のなかで歴史をくりかえしていくことの必然を語るのはオリエンタリズム以後のヨーロッパ人に共鳴する日本の人間には涙なくは見られない。


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