なまえのないかいぶつ

2019年ウィンブルドンジュニア、望月慎太郎が日本人として初めて優勝した。
試合終了後、この興奮冷めやらぬ中、私は偶然望月くんを見かけた。このチャンスを逃すまいと群衆を掻き分け近づいていき、望月くんにサインをお願いした。彼を近くで見ると試合中よりも幼く見え、恥ずかしそうに、サインを書いてくれた。

私は彼を日本人として誇りに思った。ジュニアの実績は当てにならないというが、彼にはこれまでの日本人選手にはないオーラとスター性を感じた。彼が今後ATPツアーで優勝を果たすことは、誰の目から見ても明らかだった。

彼はまだサインらしいサインはないようで、一字一句、力強く自分の名前を目一杯色紙に書いた。日本人だけでなく、地元イングランド人も含めて数十人のファンが並んでいたが、彼は1人ひとり丁寧に対応していた。彼はプレースタイルから分かるように、真面目な好青年だった。


サインの後、軽く望月くんと会話した。私がフリーのスポーツライターであることを伝えると、望月くんはジョコビッチのファンで、彼のようなスター選手になりたいと興奮気味に語っていた。身震いがした。私は知っている、奴が、セルビアの生み出した史上最悪のモンスターであることを。

望月くんは、ジョコビッチを見かけたことはあるが、まだ直接会話したことはないという。私は複雑な気持ちになり、本心を伝えることはできず、君ならなれるよと励ました。

10年ほど前、私はジョコビッチの最初のコーチである、エレナ・ゲンチッチに取材をしたことがある。彼女はジョコビッチの幼少期についてこう回想した。

ジョコビッチがチームメイトとの練習中にこのような出来事があったという。試合形式の練習で、ジョコビッチの放った鋭いバックハンドが、ネットに出ていた練習相手の顔面に直撃した。練習相手の女の子は痛みで顔を抑えうずくまり、ずっと泣いていた。それをジョコビッチは興味深そうに側で見ていたという。

"ボールが顔に当たると泣くものなのか。"

彼は感情が欠落していた。彼にとって感情とは本で読む知識と同じだった。人が死ねば泣き、冗談を言えば笑う。ジョコビッチは周りの反応を見ながら、違和感がないように感情を選択しているだけだった。彼にとって感情は後天的に会得するものだった。

チャールズ・ダーウィンは1872年に'Facial Expression of Emotions in Man and Animals'という本で、顔に表れる感情は、人種や文化に関係なく、普遍的なものであると主張した。これは心理学の専門家、カリフォルニア大学サンフランシスコ校教授であるポール・エクマン*1の調査により明らかとなっている。調査の結果、西洋人と接していないどの民族でも感情の表情は一致していた。これまで他人の表情を一切見たことがない、先天性の盲人であっても、だ。
*1アメリカのテレビドラマ'Lie to Me'主人公、カル・ライトマン博士のモデル。

しかし、ジョコビッチはこれは当てはまらなかった。彼は我々ホモ・サピエンスの枠に収まっていなかった。

ジョコビッチがドイツに留学する前日、テニスコートの壁にはこのような殴り書きがあったという。

"ぼくをみて ぼくをみて ぼくのなかのかいぶつがこんなにおおきくなったよ"

ジョコビッチはもうエレナの手に負えなくなっていた。

2019年ウィンブルドンは最後に男子シングルス決勝を残していたが、私は足早にロンドンを後にした。試合を見ずとも結果は分かっていた。

ジョコビッチはいつも通り優勝した。

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