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百舌鳥古墳群

今日も堺市で仕事。その前に、堺市役所21階展望ロビー。

北。右奥はあべのハルカスか。

奥が大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。木の茂った丘にしか見えない。

仕事終わって、BISTRO ベズ。フランス田舎料理で、美味しかったし、入ってくる光が心地良い

百舌鳥古墳群
子どものころからずっと行きたかった百舌鳥古墳群、つまり仁徳天皇陵にはじめて行ってみた。といっても、暑いし、陵墓は近づいても全貌は見えないので堺市立博物館に行った。

古墳の展示が良かった。大きな古墳が作られるようになったのは、ヤマト王権の成立と中央集権化の証拠である。

乳岡古墳 4世紀末頃
仁徳天皇陵 5世紀中頃
履中天皇陵 5世紀前半
反正天皇陵 5世紀前半

ヤマト王権が当初は有力豪族の連合・競合だったのが、いつごろから天皇といえる同族内での王権の継承になり、また、現在の皇室につながるのはいつごろかなど、興味を喚起してくれる

『宋書』による5世紀(400年代)ころの倭の五王の記述により、このころに日本に中央集権国家が存在したことは確認されたり、稲荷山古墳、江田船山古墳の鉄剣の銘から、471年に21代雄略天皇の存在が考古学的に実証されたりする

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