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乳がんと心の関係

人間ドックでシコリが見つかり、私は今まで自分の中でストレスになっていたと思われることをできるだけ排除した。

しかし、認知症の母の世話は休む訳にはいかない。毎日、認知症に良い薬膳を作り、週1で母を預かりスーパーに連れて行ったり、お風呂に入れて、エアロバイクで運動させ、週末は認知症を改善する薬膳ジュースや母の好きな薬膳デザートを作り、ピラティスをさせていた。

母が泊まりに来た際、私が乳がんのシコリが再発したことは伝えたが、特に反応はなかった。そして、最近姉と再開した従兄弟のヒロシ君の話をした。ヒロシ君は、産まれた時から手足が麻痺し、車椅子で生活をしていた。私は、ヒロシ君が小さい時に自由に遊ぶ子ども達を見て「俺だって好きでこうなったんじゃない」と言ったのを覚えている。ヒロシ君が姉に音声メッセージを送ってきたので、それを母に聞かせると、母は脳が目覚めたように話しだした。母の姉が、他の赤ちゃんが歩き出すのに、いつになっても歩けない小さなヒロシ君を背負って、あちこちの病院やマッサージや、治ると聞けば新興宗教までもすがる思いで連れて行ったそうだ。ヒロシ君は、最近、たった一人の残された家族である兄を亡くした。しかし、その兄の子がヒロシ君を訪ねてきて、ヒロシ君にはその子の5人の子ども達である甥っ子や姪っ子という新しい家族が与えられた。

母は、人それぞれの人生があり、それを受け止めて生きていくしかないと言った。「人は人、自分は自分」というのが、昔からの母の教えだった。

私は、ヒロシ君の前向きで精一杯生きている姿に励まされた。自分は、まだ精密検査もしておらず、シコリが悪性と診断されたわけでもなく、苦しんでいるわけでもないのに大騒ぎしていた。50歳も過ぎれば、周りも変わってくる。人それぞれの人生を生きている。私は、35歳で末期ガンで亡くなった友人のアニタのことを思い出した。彼女は、いつも明るく、人を励まし、生かされていることを神様に感謝していた。私もアニタのようになりたいと思った。

その週末のクリスマスイブに、母と教会のキャンドルサービスに行った。母は、昔は教会のクリスマスコンサートに来ても爆睡していたのに、この日は一緒にクリスマス賛美の歌を歌っていて、メッセージも真剣に聞いていた。

メッセージでは、偶然にも車椅子の女子学生の話がされた。彼女は生まれた時から足が不自由で車椅子生活だった。なぜ、自分だけこんな風に生まれてきたのか悲しみ、人生の希望を失っていた。その彼女に学校の先生が、この聖書の箇所を良く読んでみなさいと勧めた。

[ヨハネの福音書 9:1-3]

さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。

彼女は、何度も何度もこの言葉を読み返した。そして、自分の障がいは、神のわざが現れるためだと思えるようになり、そうだとしたらこの障がいは、神様から自分だけに与えられたギフトだと思えるようになった。それから彼女の生き方は大きく変わった。

私は、この話を聞いて、自分の乳がんのことを思った。私も彼女と同じように人と同じ人生を歩めない自分の状況に希望を失っていた。しかし、神様は私に敢えてこの状況を与えたのだ。そしてそれは、神のわざが示されるために。私は、初めて自分が乳がんになったことを神様からのギフトだと思えるようになって感謝し、これから神様がなさろうとしていることに心がワクワクした。そして、この1年毎日、神様の乳がんの癒やしの印を見せてくださるようお願いしていたことに気づいた。

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