不運とは何か考えてみた
不運続きと思う今日この頃。不運について考える時間が多くなった。
不運には「自分の力ではどうにもならない不運」と「自分の力で何とかなったかもしれない不運」の2種類があると思う。
私の不運が続くきっかけとなったのは、私が信頼できるサイトではないところに個人情報やクレジットカード情報を入力し、詐欺被害に遭ったことだ。これは、気をつけたら防げたことなので、後者にあたる。
昨日も、少し考え事をしていた瞬間車に轢かれそうになった。これも、気をつけていたら防げたかもしれない。車の運転手の不注意と私の不注意が重なった不運。
これら、後者にあたるタイプの不運は、自分が気をつけていない時でも、たまたま運良くやり過ごすことが出来てきたという経験に基づく行動によるものが多い。私は、これまで、信頼できることを確認しなくても、ネットショッピングで失敗したことはなかった。多少ボーッとしていても車に轢かれそうになることはなかった。
慣れてきたからこその失敗。要領よくやるコツをつかんだと自分で勘違いしたことによる失敗の類かもしれない。
こんな風に痛い目にあって、はじめて身を引き締める。今後、私はネットショッピングには注意し過ぎるほどになるだろう。
前者の「自分の力ではどうにもならない不運」というものは、例えば、通り魔事件の被害者になったり、誤解を受けて虐められたり、生まれた家庭環境であったり。これらに共通するのは事前に予測するのが困難であったということだと思う。事前予測し、対策を立てることが出来ない類のもの。
「あのとき、通り魔事件の現場に行きさえしなければ」とか、「自分がどうしていたら虐められなかったんだろう」とか、「こんな家にさえ生まれなければ」などと色々考えても、どうしようもないことだ。
今の私には、前者の不運も後者の不運もごちゃまぜに続いている。
出来ることは、前者の不運を減らせるように、少し気を張って生きることなのかな、と思う。
不運の連鎖が止まったら、また気を少し抜いて生きたいのだけれど。
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