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最後の最後に0を出してしまいました

 鏡餅が、あるじゃないですか。餅と、みかんで構成されている。その中でも言及したいのは、本当の餅とみかんを使っているやつじゃなくって、プラスチックを餅とみかんの形にしている、鏡餅の「てい」を取らせているやつなんですけど。ああいうのって、その「てい」を保つために、中に個包装された切り餅が入っているのがスタンダードだと思うんですけど、その餅の賞味期限ないし消費期限が過ぎていないかお宅を訪問して調べて、その家の人に教えてあげるっていう、そういう仕事を、この四月から始めることになりました。

 その仕事を受け持ってる企業って軒並み福利厚生の面が良くないって聞くけど大丈夫かって聞きたい気持ちはやまやまだと思うんですけど。

 先日、年に一度の学生落語の大会「策伝大賞」に出場するため岐阜まで行きました。去年初めて参加して二回目、そしてもう四回生なので最後の参加になります。今回の演目は「ジャズ息子」(川柳川柳さん作)。というかその前に、名前を成田屋 茶々丸(なりたや てぃてぃまる)と言います。お茶は英語でティーと言いますから、それで。去年策伝に出場した際、袖で待機されている講座名のアナウンス役の方に何回も名前の読み方を確認されて申し訳ない気持ちになったのですが、今年はそういうこともなく逆に心配になりました。

 単刀直入に言いますと、本番は大きなミスもなくやりきったと思うのですが、反応がうーん、といった感じでした。自身が置いてたおもろポイントがあまり伝わらず、当然それに照準を合わせて盛り上がりを作っていたので、最後までつかめずに6分間が終わってしまいました。でもまあ「これでお願いします」と言って提出したものがこの感じなら、それが答えです。演目中会場を見渡せる場面が何度かあったので審査員席も見ていたのですが、しかめ面だったような。それじゃあもうだめじゃん。0か100かみたいな噺を出さないと勝てないな、と思っていたら普通に0の方を出してしまいました。作戦自体は成功しています。エーン。

 自身の出番が終わってすぐに後輩の聖護院論波くんの出番があって観に行ったんですが、客席から相当気持ちのいい反応があったので、なんか感動しました。親が息子の頑張る姿見てなる感情ってこんなもんなんかな。いやまあ、そんなに育てた覚えもないんですけど。でも最初見てた時よりも相当成長してて、何よりその成長を促すものが「矯正」、つまり元のキャラの良さを潰すようなものではないことにすごい嬉しく思いました。見終わってから何度も大きく頷いてしまった。殊にお笑いにおいて、元からある自分の良さを潰す必要は全くもってない。せっかく持ってるバロメータを無理やり変えても、何より自分が楽しくない。そう思います。そう思ってたらもう最後の策伝でした。やっぱり気づくのが遅いな。でも後輩がそれに気づけるようなことを自身の表現でやりとげたのを見れたのが嬉しすぎる。

 あともう一つ嬉しかったこと。自分のやってる落語が他の人に刺さっていたことです。会場で突然青学落研の方に声をかけていただいて、去年の落語を見ててそれが面白かったということや、それがあって今回の予選の落語も見ていただけていたことなどを聞きました。これは凄まじく嬉しい。見知らぬ方に届いている感覚が全くなかったのがこの大会だったので、よかったなあ、意味あったなあ、としみじみ。風の噂ですが以前寄席で共演したよしみで阪大の方にも少し知られているようで頭があがりません。ありがとうございます。頭もあげられないし、足向けて寝れない対象が多くて、いっつも布団をルーレットみたいにくるくる回しながら寝ています。うそです。

 そんな想いの中、次の日に決勝を観覧したんですが、これ自分が上がれる舞台じゃなかったなと、強烈なインパクトがありました。慣れていないながらも一生懸命やっていたこととのズレや足りなさををひしひしと感じました。これは大学生活懸けてやらんとだめだ。表現ひとつから構成まで。ちょっと自分がやっていたことは中途半端だったなと思わされました。これはいい刺激です。と思ったらもう大学卒業です。すみませんまだ卒業は確定していませんが、まあ卒業です。

 なんでもかんでも気づくのが遅いのが自分の性分なのですが、落語においても存分に発揮されました。これにて落研での生活は終了です。ありがとね〜。みんな〜。

 気持ち入ってないなとか思いました?なんで文章だけでわかるんですか?すみません、ただただ後味悪い感じで終わらせてしまいました。人生なんてこんなもんです。意味わかんねえタイミングで人生語ってんじゃ、ねえよ。


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