曽根の肖像画

 とんちを、とんちという意識を持って発揮している時点でもうズルだろ。「誰がどう考えてもこうだろ」を嬉々として避けているだけで、別にかまされた側も「やられた」って思わなければいいんだよな。「やられた」って顔したらとんちする側もつけあがるし、よくないよ本当に。普通に考えたらわかるでしょう、を頭に叩きつけられてきた人間はこう感じるのである。

ということを幾度となく考えながら夜を過ごしてきたんですけど。

 ギャル曽根さん(以下、曽根)の顔って、誰も正確には思い出せないんですよ。直近のテレビかなんかで見て、見終わったらもう顔を思い出せない。こういう事実に直面して、みなさんが落ち込むとか、そういう必要は全くなくって、それがスタンダードというか、普通そうなんですよ。私自身も、曽根の瞳が青色であることとかは流石にわかるんですけど、それ以上細かいことは思い出せない。これに気づいた私はすぐに、全く無作為に選ばれた男女50人に対して調査を行い、調査の対象には以下のようなことを行なっていただきました。

①曽根の顔を全く見ずに描く
②曽根の出演しているテレビ番組を見ながら、曽根の顔を描く
③曽根の出演するテレビ番組を見終えたあとで、すぐに曽根の顔を描く

 なので、一人3回、曽根の肖像画を描くことになります。曽根の肖像画を3回も描くことってなかなか無いですよね。いかにも、調査らしい調査です。この結果、調査を行なった人の大半が、①と③で曽根の顔をほとんど描くことはできませんでした。(顔のパーツを一部描く、髪や顔の輪郭のみ描く等のケースが多く見られ、その全てが曽根の特徴を捉えられていないものでした)そして②の場合の肖像画は、全員が顔を描くことができましたが、驚いたことに、出来上がった肖像画の顔は全て異なるものであった、という結果になりました。ここから、”ギャル曽根”は一種の概念的存在であり、見ていると思い込ませているその顔は、それぞれが考える「ギャル」と「曽根」を掛け合わせた自身の認識を当てはめているだけなのではないか、ということがわかります。しかし、どうして全員が”ギャル曽根”という名前や存在自体を共有できているのかは全く不明です。

 この調査が終わって、今家に”ギャル曽根”の肖像画が50枚ぐらいある状態なんですが、これどうすればいいですかね?自分にとっては全然知らない人の顔なので持っているのがなんとなく気まずいです。調査終わりにみんなに持って帰ってもらったらよかったな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?