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桜の名所

 私が思う、桜の名所は2つ。と言っても、ふたつとも観光地のような代物ではなく、地元にかなり根ざしていて、名前があるような場所ではない。

 そのうちのひとつ、大学に入学してから二年間通ったバイト先の近くにある桜。車道と歩道の間には水路が引かれており、歩道側からは水路に向かって所々階段が伸びている。桜の散る頃には水路一面に桜の花びらが、水上の藻に引っかかりながらも流れてゆくのである。バイトの行き、帰りに一駅分歩いて、この道を色んな感情の中でよく歩いていた。気持ち的にまずい時期もあって、散る桜を見ては「あららら」と思い、満開の桜を見ては腹を立てていた。

 その水路には時々、鴨がいることがわかって、なおグッとくるものがあった。うおーと思いながら時々そこにいるのを少し遠くから目線を送るだけの日々が続いていたにも関わらず、ある日、今までとは類を見ないほどの近さの一匹がそこに。申し訳ないが、どうしても写真を撮りたいと思った。今までくつろいでいた鴨、異様な目線をある方向から受け取り、あとずさる。完全に背を向ける。警戒を解くことのないまま、かつ、逆にこちらには気づいていないようなふりをして気遣いながら、離れてゆく。その情景を強烈に覚えている。そんな思い出が作用し、その場所はついに私にとっての桜の名所に相成ったのである。バイトをやめてからも桜の季節になったらほぼ毎年行くようにしていて、今年も行きたいと思う。

 とはいえ、元バイト先そのものは潰れてしまった。それも私が辞めてから半年も経たずに潰れてしまったのである。よく乗る電車の車窓から見えて知った。でもやっぱりそこには思い出の「もや」がかかっていて、電話対応で涙を流した若い私の影が、くっきりと映っている。私にとって、思い出を引き戻す作業はどうしても必要であり、それはもう呪いに近いのだけれど、その呪いに生かされている瞬間もしばしばあるのだから、困ったものです。

 「早く抜け出しなさいよ」と、心の中の真理お姉さん(真理をズバズバっと言ってくれる、スーツをぴっしりと着たお姉さん)が言う。でもまたそのお姉さんも、同じ境遇にあって、がっつりと呪いにかかっているのでした。あのね、言うだけってのは、そろそろやめにしましょうよ。

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