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「これ、クロディーヌも赤じゃない?」

5th Anniversary フェア

今日は昼からTLが大興奮でしたね。もちろん私もこの情報には驚きでしたよ。販売予定の6月は劇場版公開から丁度3周年にもなりますし、めばちさん描き下ろしの、卒業の匂いがする素敵なイラストを売るには最適な時期ですよね。どうしたものか、何年も経つのにスタァライトから卒業する気のない私たちに最適なグッズです。まったく商売がうまい!

それはそれで本題に入りましょう。私は以下のツイートを見かけ、心の底にしまっていた疑問とまた向き合う事になってしまいました。

生田輝さんのツイート

感の鈍い私は、このツイートを見てやっと「そうか!花束結んでるリボンの色、各自の進路と繋がってるんだ!」と気付いたんです。それだけならよかったものの、間もなくして疑問が心の中に浮かびました。「これ、クロディーヌも赤じゃない?」と。

いや、私だって正解はわかています。これ、新国立組、ワールドカンパニー、エースクラスでしょう?わかってますって私だって。でもなんか納得いかないんですよね。#4でそう分けたのは、聖翔の他にも舞台少女が出てたし、そうするのが一番わかりやすく分ける方法だったから納得いきます。だけど、この9人で分けるなら3:3:3にした方がバランスが取れて良いんじゃないかと言うのもあるし、多分誰にも共感される事は無いだろうと既にわかってるけど、前から抱いてた疑問である「クロディーヌは世界へ旅立ったとは言えなくないか?」と言う、妄想に基づいた自分だけの認識が、どうしてもそれを拒んでいます。

『行くって言うか、帰るって言うか……』

クロディーヌは自分がフランス人である事を強く主張しています。日本人でもあるけどフランス人でもある彼女は、それを自分のアイデンティティーとして受け入れてるでしょう。だから彼女に取ってフランスは海外ではありません。海の向こうになる、もう一つの自分の故郷です。その辺の詳しい設定なんてわからないし私の妄想レベルに過ぎない話ですけどね。

私が解釈してるクロディーヌの話をする為に

少し関係のない話になりますが、昔見た漫画の話を少ししたいと思います。それは作者の海外生活のエッセイみたいな漫画で、パリで会ったフランス人の女性が登場する訳ですが、彼女はフランス人だけど母が日本人でした。パリで生まれてずっとパリに住んでいた彼女だけど、幼い頃から周りから距離感を感じていたと言います。勿論それは彼女の外見からですね。日本人の血が流れているから、普通にフランス人としてではなく外国人として見られる事が多いと。その経験が積み重なり、母と自分だけが他の人と違う顔をしてる事に疑問を抱いていて、自分は他の人たちとは違うと思っていた幼い頃、初めて日本に行かれた時の経験を作者に話します。当時の彼女に取って日本は、母と自分と同じ顔をした人たちだけが住んでいた国だったと言います。やっと自分の故郷に来れたような気分になり嬉しくなった彼女はお出かけして一生懸命練習した日本語を街で初めてあった人たちの前でお披露目するのですが、そんな彼女に返ってきたのは「日本語がすごくお上手ね、どこから来たの?」だったらしいです。

クロディーヌみたいに複雑な設定を持ってるキャラは安直ですけど自分のアイデンティティーに対して悩みがちです。それは過去にも今も恐らく未来にも続くでしょう。そんな思いをさせているこの社会の一員である私も例外ではありません。昨年ジブリ美術館に行った時の事ですが、そこは海外から来る観光客にも大人気な観光スポットで、その日も既に入場列から外国人が結構見られました。館内で何度かすれ違った西洋人の子供たちに対しても深く考えず何処から来たのかなーと何となく一人で思っていたのですが、グッズコーナーでまたすれ違ったあの子供たちは完璧な日本語を使っていたのです。私はその場で間違いなく外見だけで判断したんです。また逆パターンの経験もあって、京都のイオンモールでは何度も外国人から英語で声を掛けられたりしました。おそらく私があの子共たちを外見だけで判断したのと同じですよね。私が日本人と似てる東洋人ではなかったとしたら、イオンモールで声を掛けられる事は無かったと思うんです。質問する相手として店員でもない私を選んだのは、あの人たちも外見だけで私を日本人だろうと判断したからに違いありません。自分達と同じく海外から来た観光客に聞いたって無駄ですから。

C`est moi La star!

それらが重なり、クロディーヌにも似たような経験があるんじゃないかと言う考えが、以前より深まってるのが現状です。そういう要素を捉えて、クロディーヌをふたかおと結び付けたSSを書いたり、前から考えてたはいました。聖翔でフランス人としてあろうとしたようにtheatre du flammeでも日本人であろうとするんじゃないかな?とか、どこにいてもここが自分の居場所だと心掛けるんじゃないかな?など。だからクロディーヌは香子や華恋と一緒の立ち位置で自分の道を行くものとして扱われたらいいなと言う考えに辿り着いたのです。

公式と解釈違いを起こす。

本当に無駄ですね。何にもならない。noteのしょうもない素材にしかならない。皆さんは私を反面教師にして、もっと前向きで正しい考え方をしてください。それが良いと思います。だけど、やっぱり自分も思いは変えられないものです。

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