山田時子『女子寮記』・飯沢匡『崑崙山の人々』・岸田国士『椎茸と雄弁』

『女子寮記』(報告者:日比野啓)

第3回民衆芸術劇場(第一次民藝)公演
1948年 8月17日〜31日、三越劇場 
演出:岡倉士朗、出演:平野威都子(由美)、大島和子(文子)、志村洋子(朝子)、北林谷栄(喜代)、望月美恵子[のち優子](きく子)、阿里道子(芳子)、斎藤美和(村田クニ)、桜井良子(喜代の姉)、加藤嘉(舎監)、多々良純(小使)、村上冬樹(雅彦)、委員長宮田(滝沢修)、ほかに奈良岡朋子<初舞台>

東宝から独立しての第一回目の公演だったが、観客の入りは50%だった
大笹吉雄『日本現代演劇史 昭和戦後篇I』532頁

『世界評論』第4巻第2号(1949年7月)掲載(同号には「福本イズム」を唱え戦前の日本共産党の理論的支柱だった福本和夫の戦後復帰第一作「日本農業資本主義の諸問題」序説・第一部・一や河上肇「獄中秘曲――獄中日記抄」が掲載)

劇評

 舞臺を觀て先づ察したのは演出家の氣苦勞である。裝置では三越の小さい花道が効果的に使はれてゐたことを認める。俳優陣、男は舎監の加藤嘉が三幕ずつと出る役だが格別特色もない。小使の多々良純が工風の跡を見せてゐる。委員長の瀧澤修は大詰に現れる舊芝居でいへば座頭役者の付合ひ役、流石の瀧澤もこれでは藝の見せどころがない。森雅之と山口淑子は映畫で身體があかないのだらう、休演。女優は賑やかである。阿里道子は賑やかすぎる。北林谷榮が持前の粘液性演技で三十近い女事務員の平凡だが幾分陰翳のあるタイプを描出してゐるのと、大島和子の宮村と云ふ浮浪性の娘が柄をよく生かしてゐるのとが印象に殘つた。
 ——結局、この上演は自立演劇の塀の固さを思はせた。さまざまな角度から、この塀を飛び越えない間は自立演劇は職業演劇の糧にはなれさうもない。
高岡宣之「「女子寮記」の塀」『日本演劇』第6巻第9号(1948年9月)

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