見出し画像

「ボレロ 永遠の旋律」誕生の裏には

8/9(金)~公開するのは「ボレロ 永遠の旋律」です。「ボレロ」は、あまりにも有名なので、あらためて語る必要はないかもしれませんが、パリ・オペラ座で初演されて以来100年近く、数えきれない音楽家が演奏し続けてきました。2種類の旋律が楽器を替えて繰り返されるという、斬新かつシンプルな構成が聴衆の五感を虜にし、17分間の作品を、カタルシスに満ちた壮大なフィナーレへと誘います。
 しかし、その魔の曲と言われる「ボレロ」作曲の裏には、偉大な作曲家ラヴェルの苦悩があったのです。いやラヴェル本人はこの曲を憎んでさえいたのです。
 1928年<狂乱の時代>のパリ。深刻なスランプに苦しんでいたラヴェルは、ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼されますが、一音も書けずにいました。戦争の痛み、叶わない愛、母との別れ、引き裂かれた魂に溺れるように作り上げていったのが「ボレロ」です。それは、自身の想いに反するものだったのです。


 アンヌ・フォンテーヌ監督は、よりリアルにとラヴェルの実家での撮影を熱意で持って実現し、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団による「ボレロ」の演奏に加え、名曲の数々を披露、元パリ・オペラ座のエトワール、フランソワ・アリュが見事な跳躍で踊る「ボレロ」など、クラッシクファンならずとも、見逃せない名場面が続きます。
 5年前に上映した「クレッシェンド 音楽の架け橋」は、イスラエルとパレスチナから音楽家を目指す若者たちを集めて結成された和平オーケストラがコンサートで演奏する一曲がこの「ボレロ」でした。憎しみをぶつけ合う中で、魂の演奏が実現します。
また、9/28~公開する「パリの小さなオーケストラ」では、移民の女の子が、パリの名門音楽院に編入して、指揮者を目指しますが、その中で象徴的に演奏される曲もまた「ボレロ」なんですね。現在の辛い状況を見るにつけ、映画や音楽の文化では、できることもあるのだと思わずにいられません。その「ボレロ」の誕生秘話をお楽しみください。


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?