ダメなものはダメ【7/26】
・死刑のニュースが2つ流れてきた。
・「国家が人を殺した」という事実で言うとこの2つの刑の執行は変わらない。もちろん一方は国家の民主化勢力で一方は凶悪犯なわけなのだが。
・かつて高校の教育実習の際、死刑制度についてディスカッションをする授業を行った。高校生に限らず、死刑を容認する日本人は割合としてかなり多いらしい。「法律で決まっているから」「極悪な犯罪者を社会に戻すのは怖い」「無期懲役は税金の無駄」などはよく聞く意見。
・容認の理由はどれも「確かにそうだ」と思いながら、「そうだけれども」とも思ってしまう。
・ちなみに私は死刑反対。なぜなら「人殺しはダメ」だから。非常にシンプル。どんな形であれ人が人を殺すことは許されないと思っている。だから、国家による人殺しを止めるためなら法律は変えるべきだし、社会に戻すのが怖いなら無期懲役にすべきだし、税金は使うべきだと思っている。
・念のために行っておくが、私は加藤死刑囚を擁護しているのではなく、死刑制度を非難しているだけ。彼の犯した罪はあまりにも大きく許されることでは決してないので「罰せられる」べきだ。しかし「殺される」べきではなかったと思っている。
・刑に反対する人もいろいろ意見を言っている。冤罪の可能性なんてものがよく出てくるが、この意見はあまり私は賛同できない。「じゃあ、どうみても現行犯のやつは死刑でいいの?」となるから。
・様々な反対論の中で一番私が納得したのが「犯罪はその人(死刑囚)だけではなくいろいろな原因が絡み合っているのだから、その人だけを処罰するのは違うのでは?」という意見。今回の秋葉原の件についても、そもそも彼の心がゆがんだ理由は彼だけに責任があるのだろうか。
・一番下の引用は犠牲者の父親の声。「人生の挫折、そして犯罪を自分のおかれた環境のせいにするなら、それは償いではないので死刑になっても仕方がない。」でも、環境が原因じゃなく犯罪を犯す人なんているのだろうか。
・自分も被害者遺族になったら、意見が変わるのだろうか。自分の大切な人を奪ったやつを死刑にしてやりたいと思うのだろうか。ちなみに死刑容認論で一番嫌いな理由が「遺族感情」。お前は遺族じゃないだろ。大切な人を失った人間の気持ちがお前なんかにわかるか、と思ってしまう。逆に、遺族に「死刑容認」と言われるのは仕方がない気もしてしまう。もちろん「人殺しはダメ」という私の信念は変わらないが。
・死刑容認の理由で一つだけなるほどと思ったものがある。それは「憎しみの連鎖を、国が肩代わりして断ち切る」という意見。凶悪犯罪者を社会に野放しにすると、憎しみを持ったものが復讐を行う。そしてさらに別のものが復讐を…。この連鎖によって犯罪が増加することを、死刑によって食い止める。死刑が行われないと、逆に被害者が増えてしまうという理論。
・なるほどとは思ったが、同時になんて人間は愚かなのだろうか。
・ミャンマーの議員が死刑になった記事から引用。
・凶悪犯の人権は軽視されて良い?「対話を通じて平和を追求する義務」が凶悪犯個人には適用されない?
・ああ、やっぱり人殺しはダメだ。本当にそれだけ。つらつらと書いてきたけど、無差別殺人だろうが死刑だろうが人は人を殺してはいけない。なんか、こう、自分の根源から理屈抜きでそう思う。
・はい、この話はもう終わり!
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