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橋本治「権力の日本人」&「院政の日本人」とインテリジェンス

橋本治さんの「権力の日本人」と「院政の日本人」は、わたしが大好きな本ですが、インテリジェンスのあり方を示す好例でもあります。特にわたしが気に入っている箇所の一つは、「権力の日本人」の第6章「主権者の欲望」です。

小学校から高校にかけて、日本史の勉強をする中で、「院政」は必ずとりあげられるトピックだと思います。そして、院政はなぜ始まったのかということについては、まずほぼ全ての教科書で、『後三条天皇(だったり白河天皇)が摂関家から天皇親政へと権力を奪還するために荘園整理令を出し院政を始めた』という類いの説明がされていると思います(違ってたら、すいません)。これがいかに正しくインテリジェンス的な分析に基づかないnarrativeに過ぎないのかということを、橋本治さんは、まさに正しくインテリジェンス的な分析にもとづいて、明快に解きほぐします(橋本さんの意図はインテリジェンス云々とは全く関係ありませんが(笑))。

「正しくインテリジェンス的な分析」の第一歩は、事実を時系列に沿って並べる(いわゆる)クロノロジーを作成することです。橋本さんは、(橋本さんが典拠している原典の全てが明らかにされていわけではありませんが)「古事伝」や「扶桑略記」「平家物語」などを丹念に読み解き、後三条天皇の譲位前後の精緻なクロノロジーを作成し、これに基づいた分析を行っています。ちょっと、クロノロジーの一部を挙げてみます。

1065年(後冷泉天皇21年)、新しく荘園を作ることが禁止される。
1069年(後三条天皇2年)、後三条天皇の即位式に先立ち、再び荘園整理令が出され,同年に記録荘園券喫所が設置される。
1071年(後三条天皇4年)、源基子が実仁親王を出産。同年、基子が再び懐妊するが流産。その後、三たび懐妊。年末の12月、後三条天皇が譲位し白河天皇が即位、源基子の子である実仁親王が東宮になり、後三条天皇は院庁を設置し院政を開始。
1072年(後三条天皇5年)、1月、源基子が輔仁親王を出産。4月、後三条上皇が重病となり、5月に死亡。

橋本さんの分析はつぎのとおりです。

1071年に後三条天皇が譲位し院政を開始する約6年前、しかも後冷泉天皇の時代に既に荘園整理令が出されていて、荘園整理令などを通じて摂関家から権力を奪還することを目的とするだけなら、後三条天皇は院政を開始する必要はなかった。また、後三条天皇は実際には院政を5ヶ月しか行っていない。一方、後三条天皇は源素子をとても愛していた(3年間に3回懐妊しているくらい)。となると、クロノロジーから浮かび上がるのは、「愛する女と,その女から生まれた皇子への愛を全うしたい」という、「個人的な欲望」こそが、後三条天皇が院政を開始した「根本の動機」である。

いやあ、実に素晴らしい!インテリジェンス云々は、ちょっと置いといて、はじめてこれを読んだとき、わたしは、歴史が人間ドラマだというのは本当にそうなんだなーと深く深く実感しました。「権力の日本人」と「院政の日本人」は、こういう新鮮なスペクタクルに満ちあふれたスリリングな2冊です!

さて、インテリジェンスとの関係に戻ります。もうおわかりのとおり、事実を時系列に並べて虚心坦懐に眺め直すことで、そこには、通説とは全く異なるストーリーが見えてきます。これこそ、正しくインテリジェンス的な分析の第一歩です(ま、橋本さんの分析が本当に真実かどうかは後三条天皇に訊くわけにいかないので、ほんとうのところはわかりませんが)。

しかるに(とか、なんか堅苦しい接続詞ですが)、国際関係などについての様々な分析を目にすることがありますが、多くの分析は、この橋本治さんの「正しくインテリジェンス的な分析」の真逆をいっているパターンがままあるように思います。つまり、あらかじめなんらかのストーリーが分析者の頭の中には存在していて、そのストーリーにあてはまるように事実がピックアップされる、というパターンです。特に、わたしが個人的に「こういう分析は要注意だぞ」と思っているのは、「仮面ライダー的世界観に基づくストーリー」です。それは,それぞれの国またはプレイヤーに「仮面ライダー」と「ショッカー」のような役割分担があらかじめ決められていて(分析者は、そのことには無自覚であることがほとんどなように感じます)、それを証明できるような事実だけが証拠として並べられているような分析です(「仮面ライダー的世界観は、流石に、文字どおりそこまで単純な分析はないですよ(笑)。例えです例え。)

以前、岡田斗司夫さんが「世界征服は可能か」という著作の中で、「世界征服」という目標がいかにコストパフォーマンスが悪い(!)目標かということを解き明かしておられましたが、どんな国のどんな為政者であれ、世界征服ということはないにせよ、覇権だとかなんだとか抽象的な目的のため「だけ」に行動していると安直に考えるべきではなく、多かれ少なかれ、自分のため、自分の家族のため、自分の仲間のため、自分の国のためになにがしか「よかれ」と思って行動している、という目線は最低限きちんと意識することが大切だと感じます。ただ、ここら辺は、わたしの個人的趣味も混ざっちゃってますけどね。だからこそ、上記のような橋本さんのストーリーに心惹かれるわけですし。なんにしても、丹念に追いかけられたクロノロジーに基づいて考えることは、とてもとても大切なことだと思います。

橋本治さんが「院政の日本人」第3章で紹介しておられる遠山美都男さんの「大化改新」で語られた「大化改新の真の黒幕は軽皇子である」ということについての、日本書紀の記述から作成したクロノロジーに基づく分析も大変に鮮やかなものですけど、長くなるのでここでは紹介しませんが、ほんとうにとても素晴らしいです。

インテリジェンスって,途方もなく地道な作業なんだと思います。

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