見出し画像

you will be missed, 2020

友達と一緒に大学のブログを書こうとか言ってたのに、結局年末にのリフレクを慌てて一緒に書く、みたいな形になりました。shoutout to my friends reading this hehe
____________________________________

今年は自分の社会的なラベルが二転三転する一年となったにも関わらず、精神面では今までで最も安定しつつ、ゆっくり成長できたのではないかと思います。冬から春まではまだ高校生だったのが信じられません。夏はフリーターとして、コロナに振り回されながらのらりくらりとやっていました。秋からは一転し地球の反対側に位置する大学にオンラインで通っていました。とりあえず、順を追って、できるだけソフト面での成長にフォーカスを置きながら振り返ってみますね。

2020年の年明けは泣いて始まりました。海外大学出願のためのエッセイ諸々の作業は、塾に寝袋を担ぎ込んで寝泊りするくらい根詰めてやっていました。大好きな先生にハグしていただいた時は、生まれたばかりの子羊みたいな気分で、ひたすら自分の弱さを垂れ流していました。今思えば、そういう甘え方が許された時期としては最後だと思うので、素直に人の温かさを享受しておいてよかったなと思います。


喉元過ぎれば熱さ忘れると言いますが、正直この寒い冬(とそれ以前)は将来の自分を戒め、支える記憶として永遠保存されました。それでも、終わってみると燃え尽き症候群というか、2、3月何をしていたのかほとんど思い出せないくらい、ぼっと過ごしていたのではないかと思われます。一つハイライトとして挙げるなら、実家に子犬を迎えたことです。シェルターに初めて出向いた時は、その場で契約する気など全くなかったのですが、どうゆうわけかその子を選び、マロンと名付け、今では実家の中心になっています。


4月からは社会から与えられた自由を楽しんでいました。新宿地上200mのレストランで絶景を横目に、ウェイトレスとして甲斐甲斐しく働き、自分でお金を稼げるのは新鮮で充実した経験でした。今まではレストランなどに行っても、食事を運んできてもらったり、当たり前のようにサービスを受けていたわけですが、いざ自分が提供する側となると思ったより難しい。下手な結論ですが、レストラン等にいくと今まで以上にサービスしてくれる人の行動に注意を払い、感謝するようになりました。


夏はメンターや家庭教師、つまり自分の知っていることを教える・提供する立ち回りでいることが多かったです。自分の知っていることを、相手にわかりやすい言葉で伝えるのってとても難しいなあって痛感しました。また、自分の感覚がいかに他人に理解してもらいにくいかという事実を突きつけられた気がします。そんなこんなで、海外進学を目指す日本の高校生に対し、エッセイ添削や自己分析のメンタリングを計3週間ほどやっていたのですが、私の生の言葉が響くと言ってくれた子達が何人かいました。感情論の説明のどこがピンときたのか、私は一生わからないのですが、夏が終わっても続く先輩後輩の関係が築けたのはかなり嬉しいことでした。万人受けはしなくても、少数派に圧倒的にいい影響を与えることができれば存在価値として無ではないのかも。あと、家庭教師として、どんな教材・スライドだったらいいかなと色々工夫して、その結果が教えている子の反応でフィードバックとしてモロに帰ってくるプロセス、かなり面白かったです。昔好きだった物理の先生に、「なんで教師なんて仕事してんの」という失礼な質問をぶつけたことがありますが、教え子さえ素直なら楽しい仕事かもしれません。


そのほか、夏までに一気に大人の自覚が芽生えたと思います。選挙での投票、仕事のためのメイク、などなど通過するうちに、自分のなりたい女性像というのを意識し始めるようになりました。また、本を読み始めました。個人的な定義で「ちゃんと生きてる人」はみんな本を読んでいるので、真似したらもうちょっとはまともに生きられるのではないかと思った次第です。


さて、大学が、留学生の一年生はキャンパスにこれないと公式宣言し、オンライン授業が始まりました。もう秋です。スケジュールとしては、日本時間の朝の授業が一つ、あとは夜の9時ごろから1時くらいまで授業がありました。私は意識的に真夜中の授業を避けていましたが、その中にとりたい授業がなかったといえば嘘になりますので、ちょっと惜しいです。何せ学期が始める前は臆病で、どんな授業をとっても絶対についていけず、成績も取れないと思い込んでおり、授業選択としてはかなり易しい授業を選んでしまった気がします。


今学期とったのは、哲学、ライティング、フランス語、生物&化学の授業です。哲学は、様々な哲学者の思想を使いました。ディスカッションを通して彼らの論理の立て方を、自分のargument を守るために応用する、という授業内容は実践的で楽しかったです。


ライティングでは、arguable なthesis を持つことの大切さを学びました。反論がある意見こそ、ちゃんと論理的にdefend する必要がある、逆に、そこで他人に納得できる論理を立てられたら意見として認めてもらえる、というのは個人的に安心する考え方です。うまく言葉にできないけど、手法と言葉遣い(またはデータ?)さえメイクセンスであれば、どんな研究内容でもargument でも、その本質を通すことはできるはずだ、と希望を持たせてくれました。


フランス語の授業に関していうことはあまりありません。とりま、グランゼコール行きたいー!パリ住みたーい!ココシャネルかっこいー!Marcel Proustを原文で読みたーい!こんなところです。


生物&化学で気づいたことは、学問の体系が授業全体を通して忠実に再現されていることです。これは個人的にかなり感動で、章ごとの繋がりを丁寧に説明してくれる教授は、私が今までなんとなくわかっていなかった分野の繋がりを架け橋してくれました。あと、研究始める背中を押してくれたのも、化学の教授です。


さて、時間が余った私は、課外活動に精を出し始めました。インターンとして関わりを持ったスタートアップ、ボランティアとして参加した、高校時代からお世話になっていたNPO法人、また大学でのラボ加入などで、素敵な方との出会いがたくさんありました。こうゆう人のこんなところいいな、と思ったことは、自分のなりたい像の要素としてちょっとづつ付け足していきました。

そのため、今年は今まで以上に、出会う人全ての内面・本質を知ろうと向き合ってきた気がします。決して相手をジャッジする意図ではなく、この人はどうゆう経緯を経て今の状況に出来上がったんだろう?という疑問が常について回っていました。


2021年へ

今年の収穫は、自分の人との関わり方に、ようやく安定した距離感を得られたことと、人生を通して守りたい仮説ができたことです。

高校時代はとにかく、日本から「脱出」したかった。とにかく今置かれている自分の環境から抜け出さないと、自分らしく生きられないと思っていたし、物理的にも精神的にも、当時の状態から一番遠いところに行きたかった。過去の自分と未来の自分を完全に切り離し、アイデンティティとしての連続性は完全に無視したいと思っていましたし、そのような態度は人への関わり方にも滲み出ていたと思います。


現在でも意識が外向きなのは相変わらずで、根本的な考え方は変えられないなあと思いますが、自分のためだけに頑張るのはもう疲れたこともあり、今年言語化できた思想及び人間関係で、一生大切にしたいなと思うものがいくつかあります。


昔と比べ自立した一年を経て、私は今まで誰かに守ってもらう立場から、誰かを守る立場に変わりつつあると思います。例えば、マロンと戯れる母の笑顔を、冗談抜きで数年ぶりに見たときは、これは私が守らなくては、と思ったし、習い始めて12年目を迎える茶道も、守らなくてはいけないもののリストに載っています。私がいうのも変ですが、客観的に、体系的な茶道はあと数百年ももたないと思っています。安土桃山時代には、政治にも権威を及ぼすことができた茶人は、江戸時代には儒者にreplace され、今では年々茶道人口が激減しています。そんな滅びゆくunpopular な文化のほんの一片にも貢献したいと思うのは、自分の稀少価値を実感したいという、酷く利己的な理由なのかもしれません。少し話が逸れてしまいましたが、要は、自分を自分のために高める理由は思い浮かばないけど、自分が誰かの役に立って少しでも使い物になるなら、もうちょっとちゃんと生きていこうと思うのです。

長い前置きになりましたが、2021は言い訳できない年になります。そして、圧倒的に強くなりたい。(なんとなく、自分のsoftieな形質は好きになれないのです。)しなやかに身軽で、真っ直ぐ真理を見抜ける人になりたいです。そのためには、とりあえず自分が使い物になる知識と研究のスキルを身に付けなくてはなと思っています。今までの縁を大切に、自分の仮説を忘れず、数字で結果を残す一年にして欲しいです。


学業:Aを保つ、難しい授業とる、サマースクールに通う、フランス留学の計画立てる
研究:研究グラントをとり一つプロジェクトを遂行させる、自分で論文を読めるようになる、
自己表現:何かしら書き公開する、月1でも油絵を上達させる、英語と日本語の本月1冊づつ読む
その他:茶道、ボランティアを定期的に続ける、アラムナイから学ぶ


散々みんなに嫌われた2020年ですが、同時に最も惜しまれる(時間そのものでもそれ以外のことでも)年ではないのかなと思います。予期しないことが多く、振り回されたと思う方も多いと思いますが、ひとまずお疲れ様でした。びっくりするくらい長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いありがとうございました。もし良ければ、読んだ感想聞かせてください。来年は新しい私をよろしくお願いします。良いお年を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?