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大師匠、金重尹郎コラージュ展"Kollage"開催!

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1979年に遠藤ミチロウと知り合って糞パンクバンド、ザ・スターリンを結成する直前まで、オレはアホなことに美術家を目指していたのだー!そして、もはやダレの言うことも聞かなくなったオレにも当時、大きな影響を与えたオトコが二人いる。もちろんまずは遠藤ミチロウ。そして、その直前に美術の師匠として、さらにはまだティーンエイジャーだったオレにとっては人生の師匠とも言うべき存在のオトコがいた。それが金重尹郎だ!

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直近の金重とオレ 糞爆


金重、という姓を聞いて、ん?と思った方もいらっしゃるだろう。そう、平安時代をその端緒とする長い備前焼の歴史のうち、江戸時代より、備前六姓、と崇められた金重家の末裔。しかも近代における備前焼きの中興の祖といわれる、人間国宝金重陶陽は尹郎の叔父だ!

場末のアダ花たるオレがそんな高貴極まりない御仁と45年も交友をあっためた結果、今回!

金重尹郎コラージュ展を開催する!

場所と期間は

3月5日(金)〜14日(日)

阿佐ヶ谷 ギャラリー白線

毎日13時〜20時(最終日17時)

期間中無休、入場無料

ギャラリー白線、といえばこれまで何度か宮西計三×ザ・スターリンのコラボ展も行ってきた場所。今回のコレクションは白線オーナーの斉藤慎次郎×オレのチームによるディレクションだ!

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作品例1un titled

作品例2 Lip

作品例3 Lemon

Tシャツ画像

会場では作品をモチーフとしたTシャツやポスターの販売も!

*"Kollage"はcollage(コラージュ)のCを「金重」の"K"に換えた造語

以下、作家挨拶とオレ挨拶(糞爆) よろひくぬー!

個展に寄せて
「コラージュは俳句だ」

ガキの頃から絵を描いたり物を作ったりするのが好きだった
勉強はからっきし出来なかった
大人になったら何かしらモノを造る仕事に就くのであろうとボンヤリと夢想していた
幸か不幸か夢想は現実となり、大学を卒業この方ずっとモノを造り続けてきた
自慢できる話ではない、其れしか出来ない無能人間なのである

僕の場合、大学では彫刻を勉強したのだが、家業が焼き物屋であったこともあり陶芸もやる
また芸大受験以来のデッサン大好き人間なので、主にドローイングも欠かすことなくずっと描き続けてきた

日本人は得てして「この道一筋」というのがお好きなようで、僕のようにあれもやりますこれもやります、というのは嫌われる
芸能人じゃあるまいし、嫌われようと何であろうと一向構わぬ
やりたいことをやって死んでいければ本望だ

今回の個展はコラージュ作品に限定した

コラージュに関心を待ったきっかけは、若いころ観たピカソやブラックの作品によることが大きい
しかし自分でコラージュに手を染めたのは1990年前後からだろうか、以来ずっと作り続けている

コラージュの場合「作品を作る」という意識はない
最近になって、僕のコラージュ論に「コラージュは俳句だ」というのがある
これをいちいち説明するとダラダラと長くなるので省略する
どうやら今、僕の理想のコラージュは俳句との関連性、共通性を求めて作っている節がある

ところがこれを基にいざ作るとなると、俳句が和歌に、和歌がポエムに、ポエムが散文になったりと始末に負えない

これでなかなか難しいのだ

しかし、ともかくしっちゃかめっちゃか作っていると「おや、これなかなかええやないか」
と思えるものも出来はする
それらが今回の出品作品になっている

今回の個展開催に当たっては「ギャラリー白線」の斎藤氏のご厚意によることが大きい
また、斎藤氏に橋渡ししてくれた朋友乾純氏にもひとかどならぬお世話になった

この場を借りて両氏に深く感謝申し上げる最後に、自称芸術家なるものは概ね「窮鼠」の生まれ変わりだ
かくいう僕とて「窮鼠」の見本みたいなものだただでさえ鬱々とした昨今の世情ににあって「窮鼠、コロナを食う」

阿佐ヶ谷から熱気をお届けしたい

ご高覧いただければ幸いです

                       二月吉日
             金重 尹郎

金重尹郎(かねしげ ただお) 1947年岡山県備前市生まれ 平安時代に遡る備前焼の歴史の中で、江戸時代に整備された「備前(窯元)六姓」のひとつ、金重家の末裔の一人。備前焼の中興の祖とされる金重陶陽は叔父にあたる。
東京藝術大学彫刻科卒業。現代美術作家として陶芸、彫刻、版画など多岐にわたる技法で精力的に創作を継続する一方、大阪・神戸で美術研究所を開所、多数の後進を育成している。
岡山高島屋、池袋東武百貨店、神戸大丸などでの作陶展のほか、個展・グループ展多数。


金重尹郎コラージュ展にあたり

       イヌイジュン 

       (パンク)ドラマー、(パンク)建築家
ろくでもないおれの人生にそれでも大きな影響を与えた男がふたりいる。糞パンクロックバンド「ザ・スターリン」をいっしょに立ち上げた遠藤ミチロウ。そしてもうひとりが金重尹郎だ。出会いは金重が最初に構えた美術学校が入居する、大阪・梅田の外れにある雑居ビルの3階から4階へ上る階段。おれが17歳だった当時、単なるイベント情報誌の枠を超えて関西の若者文化を牽引していた『プレイガイドジャーナル』に掲載された「山の向こうになにがあるか、行ってみないとわからないさ」。この、金重が主宰する「マルス美術研究所」の誘客コピーに騙されて訪れたものの1時間ほど不在だという。しかたなくおれはズタ袋から取り出した長短のテニスボール缶を裏返しに膝に挟んで、ドラムの練習なのか、それとも原始人の音楽演奏なのかにわかに判断のつかぬ行為に及んでいた。 小一時間後、階段を上ってきた痩せこけたハービーハンコックのような風貌の男はなにも問わずついてこいと告げ、(おそらくおれの腰まで届く長髪、破れたジーンズ、そしてテニスボール缶を叩いていたことからおれの用を理解したのだろう)アトリエで話すことに。金がないというおれに、授業料はいつでもいいから今から通えと言ってくれたのだった。美術家になろうと叩いた門戸だったが、それからの45年間、一切衰えることのない金重の作品の力とセンスに圧倒され続け、おれは劣等感しか感じることがなかった。
自身のコンポジション能力、フォルムに持たせるストーリー発想の訓練のためにと長年制作を続けてきた大量のコラージュ作品が一堂に会する今回の展覧会は寸分の隙もない構成、1本の線の始まりから終わりに至るまでの完全なデッサンの中にも、一種のゆとりさえ垣間見せる。そんな絶妙なセンスを楽しんでいただきたいと思う。



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