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「中央線は今日もまっすぐか?オレと遠藤ミチロウ のザ・スターリン生活40年」ウラ本!その1

去る6月26日、ザ・スターリンがめでたいのかどうなのか、40周年を迎えたその日、スターリン本の決定版(糞爆)、「中央線は今日もまっすぐか?オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年」が発売された。発売後1週間を経て、結果は意外と(糞爆)好評で、恐れられていたdisりはなく、おホメのお言葉を頂戴することが多い。みなさま、ありがとうございます。

中身はザ・スターリンが活動する以前、ミチロウとバンドを組んだ1979年あたりから、基本は解散の85年までのこと。それ以降、ミチロウが亡くなり、そしてそんなコロナでいろいろ腹のたつごく最近の話までもちょっと載せている。ミチロウの言葉も多く引用するが、それに対しておれが深堀りすると私憤集のようなことになるので控えた(糞爆)。まあ、40年も前の話、記憶が薄い部分は、資料を見たり、人に聞いたりして思い出すこともある。自分のことなのにあまりにデカい間違いがあると本としてどうなのかという問題も出てくるので、歴史上の事象はかなり綿密に調査もした。まあ、そのあたりはぜひ実際に読んでいただけるとありがたい。

そこでここでは本では書き洩らしたこと、本には書けなかったこと、本を書いたことで親しい人から指摘を受けたこと、などを少々書かせてくれ。

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なんともイカさない田園風景。そう、これがミチロウ も宮沢正一もオレも暮らしていた1980年のぶどう園だ!ぶどう園全体の入口から南に向かって見た絵だ。オレが本に載せようと思って描いたのだが、ダサすぎるので掲載するのはやめた(糞爆)。 真ん中の畦道にはヘビが出る。左右はぶどう畑。突き当たりの平屋が宮沢棟、左隣がオレ棟。さらに左隣がミチロウ 棟で、ミチロウ の部屋は北端だから、この3棟目のふたつの窓のうち、右側の窓がミチロウ の部屋だ。週刊文春のデタラメなイラストでイメージが狂ってるみなさんはこの絵で脳内を修正してほしい。でも別に修正しなくても人生には影響はない。オレ棟とミチロウ 棟の間は少し空いている。この間もちいさなぶどう畑になっていて、そこを渡ってミチロウ とオレは互いの部屋を行き来していたわけだ。

本では地引雄一、石垣章、酒井透らプロカメラマン、ヒゴヒロシの極秘写真などを掲載したが、糞のようなスナップはない。そこで3枚だけ、1984年の糞写真を見てみよう!

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8月26日だから大阪・キャンディホール4daysの最終日だ。初代Rogersドラムはツアー用に残していたのか?それともその赤いドラムセットにミチロウ、おれ、ヒゴさんがチューしてるからこれで最後の舞台だったのか?

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これは九州・四国ツアー。11月29日は小倉IN&OUTの翌日の四国への移動日だった。その11月29日、徳山から四国松山へ渡るフェリーだ。当時は本四架橋なんてないから、とにかく船でないと四国には渡れなかった。真ん中のオレの左隣はもちろん小野昌之、右はスターリンクルーリーダーの小山くん。この後、夕焼けになり、瀬戸内海の島々の影が綺麗で3人で瀬戸の花嫁を合唱した。大糞核爆

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これが年末の新宿ロフト3daysのファイナル、1984年の大晦日。ステージ後の打ち上げパーティーで小野とふたりでお茶目にスターリンを歌う姿。この時はこれでスターリンが解散するとは思ってなかった。マイクスタンドのマイクは抜かれていることに注目(糞爆)!

プロカメラマンのオフィシャルなやつもいいけど、こういうスナップももうちょっと残しておいたら良かったな。

さて、当時の小滝橋通りのロフトでのライブの前後など、80年ころ新宿でミチロウ と一緒のときは必ずと言ってもいいほど、ションベン横丁のつるかめ食堂でメシを食った。天ぷら定食だ。そのつるかめ食堂の店内を走り回ってた小学生がいま酢酸カーミンなどで大活躍のタツシくんだ。ぜひ本にも登場させたかったのだが、これを紹介するとややこしいことになるのでやめた。爆  タツシくん、これからもよろしくねー。

本に出てないといえば、晩年ミチロウがドラムとのデュオでやった数々のユニットを列挙するところに中村達也が出ていない。これはあとで関根真理を足したときになぜか消えてしまっただけで悪意はまったく有馬温泉(大糞核爆)。

その他、記憶違いもいろいろあるけどそれはまた次回ご報告する。


おいらは悲しい日本人

西に東に文明乞食

北に南に侵略者

中央線はまっすぐだ

ザ・スターリンのメジャーレコード会社からの第1作アルバム STOP JAPのタイトル曲、STOP JAPでみちろうはこう歌った。自身のアイデンティティである日本人を否定することはスターリンのコンセプトである自己否定の典型例。「中央線はまっすぐだ」は地理的に中野から立川までの中央線が直線であることをそのまま表現しているわけだけど、それを分断の象徴としてここに挿入した。いわばスターリンを象徴する一言だと思う。
中野、高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺、国立。中央線沿線はみちろうや僕をはじめメンバーが暮らし、そしてライブや練習に足しげく通い、スターリンにとって縁の深い場所だ。スターリンは解散し、晩年のミチロウはふるさと福島を直撃した震災を経て、歌のスタイルも思想も変わっていった。ぼくはそんな状況でもあの、スターリンをやったころの中央線は今もまっすぐか?ともう一度ミチロウに問いかけているのだ。

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