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【本の紹介】正しい供養、まちがった供養


記事を見ていただき、ありがとうございます(^^)

毎日暑いですね。

そろそろお盆の時期が近づいてきました。

お盆の時期には「先祖」に想いを馳せる季節でもあります。

その昔、おばあちゃんが生きていた頃、庭先で茄子やキュウリに足(?)をつけ、迎え火、送り火をしていたのをふと思い出しました。

そんな祖母も帰天して数年。

ばあちゃん。あの世で元気にしていますか?(^^

今回は、ごくごく簡単ではありますが、経典「正しい供養、まちがった供養」より、私が「すごいなあ」と思ったところを一部、紹介させて頂きます。

経典「正しい供養、まちがった供養」

こちらの、書籍は、「一家に一冊常備」が必須の大切な本です。

「あの世のこと」「供養のこと」は、学校ではなかなか教えてくれません。

本書籍は、体系的に、そして、分かりやすく「供養」について教えてくれています。

今更聞けない、供養の真実も、この1冊にギッシリ詰まっています。^ - ^

この時期こそ、ぜひご一読下さい。


幸福の科学の死生観と、一般的な死生観の明確な違い?

本の紹介のまえに少し小話を。

私も、これまで、いろいろな葬儀に参列させていただきました。

その中で、幸福の科学の死生観(葬儀)と、一般的なお寺の死生観(葬儀)の明確な違いがあることに気がつきました。※個人見解です。

一般葬儀は、「遺族の悲しみを和らげるため」に葬儀が行われるが、幸福の科学葬儀は、「故人がいかにあの世に還れるか」を軸足としている。

と、いうこと。すなわち、

遺族ファースト ➡ 一般葬儀

故人ファースト ➡ 幸福の科学葬儀


故人様に、最後までしっかり寄り添い、あの世の導きをする。(引導を渡す)のが、幸福の科学葬(供養)の大きな特徴ではないかと思います。


まちがった供養の問題点?

さて、経典『正しい供養、まちがった供養』の「まえがき」には、供養における3つの問題点が示されていました。

一つは、形式的な世間的な習俗として供養がなされても、僧侶側も遺族側も、あの世の霊も本当は信じていないため、個人が救われていないことである。 

二つは、「坊主宅配便」のようなサービスも始まって、宗教の権威が地に堕ちていることである。

三つ目は、本物の宗教的真理を知らないため、「商売」で間違った先祖供養をやっている「宗教」が、実は悪霊の再生産工場となっていることである。

『正しい供養、まちがった供養』まえがき

それぞれ、参考になる書籍や法話も記載いたします。

1)故人が救われていない

僧侶のほんとうの仕事とは、霊界入りしたばかりで、とまどっている魂に対して、死後の世界への導きを与えてやるということにあるのです。これが、引導を渡すということの意味なのです。形だけの読経をしたところで、死者は救われません。その内容を悟って、念として、伝えることが大切なのです。また、遺族に対しては、人生の目的と使命を教えてあげ、悲しんではいけないと諭す。それが、僧侶の仕事なのです。

幸福の科学出版/『黄金の法』より 参考

亡くなられた方が、救われないなんて、悲しいですよね。

死後の導きをキチンとしてあげるのが「宗教」の役割です。

2)宗教の権威が落ちている

「今、死んだ人を間違いなく天国に送れる宗教は、幸福の科学しかありません。『悟り』というものの中身が分かっていなければ、死んだ人を天国に送ることはできないのです。悟りとは、言葉を換えれば、『どうしたら、地獄に堕ちず、迷わずに天国に還れるか。その内容を知っていて、教えることができる』ということです。これが『悟りを得ている』ということなのです。」

ご法話/「いい人生とは何か」より 参考

「人は、死んだらどこにいくのか。」を話せない(または、わからない)僧侶の方も残念ながらいらっしゃいます。
「人は死んだら無になる」は絶対に間違いです。

近年では、散骨、AI読経や、バーチャルお墓参りまで。

安く、インスタントな供養が流行り、本来の宗教の役割が果たせていないことも事実だと思います。

3)間違った先祖供養が悪霊の生産工場になっている

先祖供養ばかりをする宗教も数多くありますが、そのなかには先祖ではない霊もたくさん来ていて、「悪霊の生産工場」になっているようなものもたくさんあります。

幸福の科学出版/『真のエクソシスト』より 参考

うーん。これはちょっと怖い。(O_O)
たしかに、「先祖供養」でお金を巻き上げている、よくない宗教の例もあるようです。

例えば、

「いま、あなたが不幸なのは先々代のおじいさんが地獄に行っているからだ。」
「その方に供養をすれば、あなたは幸福になれるから」

と言って、供養を進めていくスタイルです。

おじいさんの次は、おばあさん、それでもダメならもっと前の先祖まで…と、ウンびゃくまん単位の供養を進めていくというもの。
いわば、先祖供養を「お金儲け」に使っているということです。


これらのように、先祖供養における「問題」を指摘されておられます。

こうした問題への解決策として、この書籍が出されているわけです。

この世地獄の存在?

これらとは別に、経典『地獄の法』には、このような記述もあります。

今、私の最も、憂いていることは、八十億人に膨れ上がった地上人口が、やがては、地上を去ることになるが、その大部分が、天国、地獄も知らず死んでいくことになって、はたしてよいのかと。《中略》私からのメッセージは、まず「人間性の回復」ということになります。

幸福の科学出版/『地獄の法』より

「正しい死生観」を伝えられる宗教がいまこそ必要ということですね。

「天国も地獄も知らない(信じない)人を減らすこと」
「この世地獄を減らすこと」

これは、宗教の役割であり、仏法真理の役割でもあります。そんな、真実の世界を大川隆法総裁は、多くの書籍によって、説いて下さっています。

ええと…
前置きがながくなりましたが、中身に触れます(*_*;


ポイント3選

①まず、あの世を信じなければ供養はできない。

まず、大前提として、なんといってもこれです。

「あの世は100%存在します」

なにかしらのご縁で、この記事を読んでいただいている方にも、これだけは知っていただきたいです。

大切なことなので、もう一度。

「あの世は100%存在します」

「それなら証明してみせよ」

そう思われる方もいらっしゃると思います。

そう。「あの世がある」「死後の世界がある」なんて、だれも証明できません。

しかし、「あの世がないこと」を証明できた人がいないことも事実です。

「あの世がある」と思って生きることと、「あの世なんてない」と思って生きるのとでは、思考の出発点が変わってきます。そして、今の生き方すら変わっていきます。

私もそうでした。

「供養」をするにあたっても、どうか「あの世の存在」を信じていただきたいと思います。

②幸・不幸の原因は自分自身にある

本当の意味で先祖を供養し、彼らが浮かばれるようにするためには、遺された子孫が、常に先祖に対する感謝の念を持つとともに、人間としての正しい生き方、光に満ちた生き方をすることが必要です。これが先祖供養の前提なのです。《中略》子孫の側が、わが身かわいさ、浮世の生きやすさのために、「先祖が悪さをしないように」という思いで供養していると、そこに奪う愛が生じやすいのです。その結果、無反省な人間が生まれ、供養される側と供養する側が同質になることがあります。

「正しい供養、まちがった供養」P61

この観点は、すごく大切で、供養の本質と言ってもいいかもしれません。
先ほど紹介した先祖供養をお金儲けの道具にしているところとは一線を描く考え方です。

幸・不幸の原因はあくまでも、自分自身。
それは先祖も、自分も同じです。

③廻向(えこう)によって、先祖の苦しみを和らげる

廻向(えこうというのは、要するに、自分の持っている光を他の方に手向ける、自分の持っている愛情を他の方に手向ける、あるいは自分の持っている徳を他の方に廻してあげることを言うのです。

「正しい供養、まちがった供養」P111


先祖に対しての一番の供養は、「感謝」「愛念」を伝えることにあります。

決して「念力」や「法力」で故人をあの世に送ったり、供養したりするわけではありません。
遺された家族は、人間として、正しい生き方・光に満ちた生き方をすることで、故人も安心して浮かばれるわけです。


いかがでしたでしょうか。

すべてを語り尽くせませんが、「供養」ひとつとっても、非常に奥が深いものです。

供養のシーズンだからこそ、もう一度「あの世」や「供養」について学びなおしてもいいかもしれませんネ。

ぜひ、『正しい供養、まちがった供養』を読んでみていただけたらと思います。

皆様のご先祖様の、来世の幸福をご祈念いたします。^ 人 ^

ではまた。

K


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使用画像は
https://www.pakutaso.com 様
https://www.pexels.com/ja-jp/  様
よりお借りしています。
表紙の蓮は、私の写真を使用しています。
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