70年代の映画界 HOUSE

大林宣彦監督 商業映画第一作

30代の終わり頃

風景の綺麗なヨーロッパやハリウッドに出かけてはコマーシャルを作っていた。

その頃は、映画館で上映される劇場用の商業映画を作るというのは、東宝ならば東宝の社員、松竹ならば松竹、東営ならば東映という、映画会社という大企業がしっかりしていて、そこで自分のところで作った映画を、系列の映画館に流すという時代。

映画監督というのは、職能としての、映画会社のつまり社員であった。

もし自分が劇場用映画を作ろうと思うと、まず映画監督になる前に、映画会社の社員になる。

そして社員になって、運が良ければ監督部に回してもらって、年功序列で、40代、50代になる人もいる、それでデビューしていく。

そういう一種の徒弟制度、社員のキャリアが監督になっている。

運が悪ければ、系列のホテルの支配人というふうな道もあった。

監督を目指しても、撮影部や照明部に配属される。会社が決める人事の中で、ようやく監督になることができる、そういう時代。

わかりやすく言うと、黒澤明監督は東宝の社員監督、小津安二郎監督は松竹の社員監督。

現代をリードするスマートなモダンな映画作りの東宝の社員として、黒澤明監督は、東宝映画として自作を作っていた。

小津安二郎監督も老舗松竹のホームドラマ、家庭劇という伝統の中で、自らの個性を発揮されて、小津映画を作っていた。

もし、歴史にもしということを言えば、もし小津安二郎さんが東宝の社員で、黒澤さんが松竹の社員だったら、日本映画史は『七人の侍』も『天国と地獄』も『東京物語』も持ち得なかった。

そういう制度の中で映画が作られていた。

だから、一つの企業の中に外部の人間が入り込んで映画を作るということは、まず端からあり得ないという状況だった。

ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』のような、極めて技術的な実験的なアバンギャルド映画。こういうものが我々の目指す映画であった。

海外では、著名になった監督たちが、若い時代に、そういう10分、20分の実験的な映画を作って、彼らはそこから映画界に入ってくるということがあったけど、日本は全くそういうルートがなかった。

だから、大林宣彦監督にとってのコマーシャルは、スポンサー付きの個人映画。当時はコンテもなく、任されて、その商品さえ映していれば、どんなものを作ってもいい。しかも、始めの頃は3分、あるいは90秒、短くても60秒の時代だったから、自分なりの映画を作ることができた。

ハリウッド映画をコマーシャルでやって楽しんでいて、これがどんどんヒットした。

1965-66に作っていた『Emotion=伝説の午後 いつか見たドラキュラ』という映画。

コマーシャルを撮影しながら、土曜日の夜からみんなで集まって日曜日の早朝に出かけていって、1年がかりで撮影して仕上げた映画。

これが、のちにアングラと言われるようになるアンダーグラウンドムービーという、世界の映画史の中で一つのエポックになった。

反ハリウッド派の個人映画作家たちが結集して、特にサンフランシスコとロサンゼルスで起きた一つの運動。

その流れを汲んで拵えた『いつか見たドラキュラ』。これが日本で上映された。(上映といっても小さなホール)

これが若い人たちの人気を呼んで、大学の文化祭などに招かれて、全国の大学の5分の3が上映した。

後の大林宣彦監督のヒット作である『時をかける少女』、『水の旅人』の5倍ぐらいの人が見たという小さな16mm映画。

いろんな人から、あなたのような人が作らないと日本映画は面白くならないと、応援をしてもらったけれども、そういう徒弟制度の中で、日本映画を撮ることは考えられなかった。

ところが、当時、日本映画は本当に予算がかけられなくて、だんだん貧しくなっていき、コマーシャルは逆に、高度経済成長期の幕開けですから、30秒や60秒のフィルムに1本の映画ぐらいの予算がかけられるという時代が来る。

そのため、だんだん使われなくなったスタジオをコマーシャル撮影に貸すようになった。

コマーシャルの撮影を東宝の一番大きなスタジオを借りてしていた時に、東宝のプロデューサーの角田健一郎さんに、東宝でジョーズのような映画ができないかと言われた。

そこで、映画館でかけるような映画を作るとしたら、どんな映画を作りたいかということで、作っていたシナリオ。檀一雄が原作の『花かたみ』、これを作りたいと。

(日本にはないトリュフォーのような切実で、愛おしくて、ちょっと痛ましくて、そんな映画、つまり個人映画の延長として作りたかった。)

こんなものならありますよと、企画をお見せたけども、「素敵な文学作品ですけど、これだったらうちの監督でも企画できるし、うちの監督でも撮ることができます。やっぱりジョーズみたいなのはできませんか。」

観客として見るのは楽しいですけどね。そんなものはまさか自分が作ろうとは思ってなかった。

でもまあ、求められれば答える。それがエンターテイナー。しかも期待された以上のものをお返しする。よし、じゃあいっぺん、日本映画のために、ジョーズのような、それに勝る面白い企画を考え出してやろうじゃないかと。

それが『HOUSE』を生む第一段階の物語。