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アジアのシルク。柞蚕と天蚕について


さくさん

柞蚕について

柞蚕の生息地とその特性

柞蚕は現在、中国北東部の瀋陽が最大の集散地となっています。柞蚕は家蚕より糸が2倍~3倍太く、繊度偏差が激しく織物に節ができるため、着物の表地には使用されませんでした。しかし、その軽さから着物の裏地に多用され、昭和50年代までは大量に輸入されていました。日本でも明治初期に長野県穂高地方に中国から移入されましたが、大きな産業には発展しませんでした。
柞蚕はタサール蚕や天蚕などと同様に野外に生息する絹糸昆虫で、食性や繭の形、大きさはタサール蚕や天蚕と類似しています。糸の色は茶色で、性質や機能性も近似しています。木の枝に付くヘタはタサール蚕より細く柔らかい特徴があります。
柞蚕の染色性は従来方法では家蚕絹と同様には染まりませんが、繊維に含まれるタンニン(色素)と相まって穏やかで家蚕より艶やかな品のよい発色をします。糸は軽くサラッとしているため、和装業界では絹紬として和服の裏地などに多用されてきました。

柞蚕と他の絹糸昆虫の比較

柞蚕はタサール蚕や天蚕などと兄弟とも言われる野外に生息する絹糸昆虫で、食性も繭の形も大きさもタサール蚕や天蚕によく似ています。糸の色(茶色)、性質、機能性も近似しています。木の枝に付くヘタはタサール蚕より細く柔らかです。

柞蚕の染色性

柞蚕の染色性は従来方法では家蚕絹同様には染まりませんが、繊維に含まれるタンニン(色素)と相まって穏やかで家蚕より艶やかな品のよい発色をします。


てんさん

天蚕について

日本固有のシルク?

天蚕は、日本の固有種として知られていますが、その生息範囲は日本だけに止まらず、台湾、朝鮮半島、中国といった地域にも広がっています。これらの地域にもその存在が確認されており、その生態系において重要な役割を果たしています。
また、天蚕は他にも兄弟種と呼ばれるタサール蚕や柞蚕といった種が存在します。これらの種もまた、山野に生息し、クヌギやコナラ、ブナなど、樫系の木の葉を主食としています。食性が類似していることからも、これらの種が密接な関係にあることがうかがえます。


天蚕は一化性・家蚕は多化性

自然の状態では、天蚕は一化性(年1回)を遵守しています。4月下旬から5月上旬にかけてふ化し、7月下旬頃には営繭し、繭になります。その後、8月上旬頃から羽化し始め、食樹の枝に産卵し、卵で越冬します。
しかし、現在では、人間の手によりその生態が少々変化しています。屋内で産卵させた卵を、人工的に植林されたクヌギ林に放つことで、天蚕の生育環境を整えています。さらに、幼虫を鳥や猿などの天敵から守るために、林全体をネットで覆い、産卵から集繭までの過程を人工的に管理しています。
天蚕の繭は、その形や大きさ、機能性といった特性が、兄弟種であるタサール蚕や柞蚕と近似しています。これらの共通点は、これらの種が共に進化してきた証とも言えるでしょう。

グリーンの繭
他の二種とは異なり、この繭の色は薄黄緑で、精錬されて糸になった時も、繭の色ほどではありませんが薄緑色を保ちます。
この色の色素は、植物の葉や茎に含まれる淡黄色、橙黄色、青等を持つフラボノイド(フラボン)と黄色、赤色を持つカロテン(カロチン)です。
フラボノイドは紫外線による活性酸素の害から植物を守る抗酸化作用や、雑菌、病虫害などを防ぐ抗菌作用を持つ自己防衛物質で、カロテンも過剰な光エネルギーを逃がすことで細胞の光酸化を防ぐ物質です。
天蚕は木の葉を食べ、フラボンとカロテンを体内に保留し、吐糸時にこれらを糸に含ませて蛹を守るカプセル(繭)を作ります。
日本では、天蚕の糸を「絹の女王」と称えています。

グリーン色についての詳細
グリーンという色は非常に美しいとされていますが、光に長時間当たり続けていると、その美しさは徐々に黄色へと変わってしまいます。これは、グリーンフラボンと呼ばれる色素の青色成分が光によって分解され、カロテノイドという黄色い色素が残るためです。
特に、高価で繊細な薄緑色の天蚕の着物などは、直射日光にさらされると色あせが進みます。そのため、これらの衣類を長持ちさせるためには、直射日光を避け、なるべく長い時間、光から遠ざけて保管することが必要となります。これは、グリーン色の保持にとって非常に重要なポイントであり、注意が必要です。

歴史に登場しない絹についての深遠な探求
我が国、日本における絹の歴史は、主として中国から伝来した家畜化された家蚕の歴史として語られてきました。この家蚕の歴史は、権力者たちの歴史と深く結びついており、その影響は広範に及んでいます。
しかし、その一方で、我々は野蚕である天蚕の歴史についても忘れてはならないと思います。天蚕の歴史は、大化の改新の頃から伊勢神宮に奉納された話以外、ほとんど史書に記載されていません。しかし、その存在が史書に記載されないからといって、その価値や意義が低いわけではありません。
日本の絹の歴史は、家蚕だけでなく、天蚕の存在も含めて完全に理解することが必要です。そのためには、これまでの歴史の認識を見直し、史書に記載されていない天蚕の歴史を探求することが重要です。

釣り糸から服地への天蚕の旅
天蚕、またはテイエン ツアンと称されるこの生物は、中国で特別な扱いを受けています。この特異な生物は、糸を吐き出す直前の熟蚕の体を切り開くと、絹ゲルという物質が出てきます。この絹ゲルはビニールのように引き延ばすことができ、その柔軟さと強度から、薬品などの高級品を包む荷紐等に使用されています。
釣り糸としての利用価値も発見され、さらなる用途が開拓されました。日本においては、「天蚕」は「てぐす」と読まれ、戦乱の治まった江戸の元禄時代に中国から輸入されました。当初は高級士族の間での遊びとしての釣り糸として普及し始めました。
江戸時代後期になると、日本国内でもテグスの生産が始まりました。釣りは庶民の間にも広まり、テグスは更なる普及を見せました。

天蚕は「絹の女王」

また日本では、天蚕は「絹の女王」と称えられています。その糸は特有の薄緑色を呈し、これは天蚕が食べる植物の葉や茎に含まれるフラボノイドとカロテンという色素から来ています。この美しい色は、天蚕の繭から作られた布地にも引き継がれ、その美しさから高級な着物の材料としても使われるようになりました。
一方で、1730年頃からは長野県の安曇野で、服地としての使用も始まりました。しかし、その生産量はごく僅かでした。
現在では、全国各地に天蚕組合や愛好会が存在し、その活動を通じて天蚕の文化が広がっています。これらの組合や愛好会は、天蚕の糸を使った製品の普及活動を行うだけでなく、天蚕の飼育や繭からの糸取りなどの技術の伝承活動も行っています。また、天蚕の繭から取れる糸の色の美しさやその環境に優しい性質から、「緑の絹」とも称えられ、その価値が再認識されつつあります。


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