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【棚卸し】マネージャーは面白い①プロローグ

これは、自己理解がうっすい私が、過去を振り返り、人生を棚卸ししながら、自己理解を深める、私の、私による「棚卸しマガジン」です。

棚卸しマガジン序文より

新年が明けると、毎年お正月から走っていました。
全然体力ないけど、ないからこそ、今から始まるハードな生活をやり抜く為に、胸には炎をたぎらせ、走っていました。

気合いを入れ過ぎて、だいたい30分走っただけで、気持ち悪くなりながらヘロヘロになって家に帰っていたけど。

それが、社会人になってからのお正月でした。

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私は、「アルティメット」というフライングディスク競技のチームスタッフをやっていました。
日本で言うところのマネージャーです。
英語のManagerの本来の意味と少しずれるかもしれませんが、こっちの方が馴染みがあるので、以下チームスタッフのことをマネージャーと呼ばせていただきます。

ちなみに、アルティメットとはなんぞやと思う人ばかりだと思うので、こちらをどうぞ。

はい、わざとスーパープレー集を載せて、印象操作しています!

会社の同僚に「アルティメットというスポーツをやっていた」と話したところ、こういうカッコいい動画を見て、あなたもこれほどエグいプレーをするのかと言われたことがありますが、こんなことできません。

ただ、目の前で繰り広げられるスーパープレーに、目を奪われたことは、数知れずです。

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私は主に、女子社会人チームに所属していました。
そのチームから日本代表が数多く出ていました。

選手ですら、全て自費で遠征、合宿、大会に行っている中で、私のようにプレーもせず、自費負担で、貴重な土日にひたすらサポートに徹するマネージャーなんていう超奇特なポジションを担っている人も、当時ほとんどいませんでした。

マイナースポーツの中の、超マイナーなマネージャー。

完全なブルーオーシャンの掛け算によって、私はこのトリッキーな海で悠々と泳いでいました。
そして、これが追い風となり、日本代表に帯同するスタッフとして、10年ほど活動していました。

当時の私の思いは、常にひとつでした。

チームを日本一、世界一にすること。

実際には微力だったとしても、この為に私は存在し、この為だけに動き、走り、声を出していました。

もうひとつ、強い信念も持っていました。

選手がコート内で思いっきりプレーできるように、送り出すこと。

その為に、できることは全てやっていました。

うまくいかないこともめちゃくちゃありましたが、選手がのびのびプレーできるチームが一番強いんだと信じて疑いませんでした。

そして、世界大会で3度も決勝の舞台に立たせてもらいました。

今でも、その時のチームメイトには大変感謝しています。

連載としては、少し長くなるかもしれません。
自分の記憶の限り、ちょっと美化した話を今年は書いていこうと思います。

今日はそのプロローグということで…

続く!

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