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『肉の庭』を読んだ感想

マジック:ザ・ギャザリング、背景ストーリー記事の『肉の庭』を読んだ感想です。長々と「面白かったです。」という旨のことを書いてあります。

また、そのためネタバレを含む記事になっています。直下に『肉の庭』へのリンクを貼っておきますので、先にそちらをご覧ください…!


タイトルを考えてみる

そもそも「肉(Flesh)」とは何を指すのでしょうか?

少々異質な雰囲気をまとう『肉の庭』というタイトル…内容に言及する前に、そのタイトルの意図を探ってみます。

まず、読前の事前情報として、『肉の庭』は新ファイレクシアでのエリシュ・ノーンに関する物語であることが明かされています。

新ファイレクシアは機械化されてしまった次元…
その新ファイレクシアに限って考えるならば、「肉」は機械に対をなすものだと予想できますね。

「機械」が新ファイレクシアであるならば、「肉」は旧ミラディンに与する概念なのでしょうか…
なにか対称的な構造があるのを予感させます。

おそらく『肉の庭』は、それを示唆するタイトルだったのでしょう。

良い文章にはそれを骨子として支える良い構造があるもの。
ことにMTGの短編ストーリーは、構造的な作品が散見されるので今回の作品も期待できそうです。

それでは本編の内容に触れていきましょうか。


※ここから本格的に作品本編のネタバレを含みます。
その前にエリシュ・ノーンの素敵なカードを2枚挟んでおきますので、未読了の方は先に作品本編をご覧になってください。



《骨髄の破片》
《総くずれ》



アショクの意図を探る

◆肉の鏡

大胆不敵にもあの、エリシュ・ノーンに対して幻影(悪夢)を見せたアショク。

その幻影の内容とは、

  • 完全無欠な機械聖典の庭園が、

  • ミラディン人のどろついた血液によって汚染され、

  • 肉に蝕まれていく

というものでした。


注目すべきは2番目の項、「血液によって汚染された」こと。
これと、触れた金属を汚染し、ファイレクシア化していく「ぎらつく油」との符号は偶然ではないでしょう。

  • 完璧で端正なファイレクシアの庭園を侵し、肉で乱していくミラディン人の血

  • 同じく端正できらめくミラディンを侵し、機械化していったファイレクシアの油

この鏡写しのような対称構造は、アショクの意図なしには生まれ得ないでしょう。

アショクは侵略と迫害を受けるミラディン人の感情を、あのエリシュ・ノーンに「鏡写し」にして見せたのです。
ミラディン人の恐怖を、ファイレクシア人にも理解できるよう「翻訳」してやったとも言えるでしょうか。


そのことを補強するかのように、以下のような描写もあります。

アショクの煙が素早くそれを取り巻き、うねり、大気そのものから長身の、堅固な姿を作り上げた。しなやかな筋肉で繋がり、真珠のような白磁の金属と曲線状の兜に身を包んだそれは、エリシュ・ノーンの神聖なる姿の映し身だった。

アショクは、エルズペスの幻影を、肉でできたエリシュ・ノーンの映し身へと仕立て上げます。

エリシュ・ノーンの肉でできた映し身は、本人の一挙手一投足を真似て見せ…エリシュ・ノーンからみてみれば、まさしく姿見を見る様な格好だったでしょう。
しかしその鏡のあちらとこちらでは、機械か肉かのちがいがあり、それがエリシュ・ノーンにとってはたまらなく不気味だったわけですが…


これは、「アショクの意図によって、機械と肉との鏡写しのような対称構造が生み出された」状況を、シンボリックに再言及しているのでしょう。

「この作品にはこういう対称構造があるんですよ」というのを改めて教えてくれているのだと思います。

技巧的で読み応えのある、すばらしい短編ですね。
マジックのストーリー記事には、文芸的にも感嘆させられる良い作品がたくさんあるので侮れません。



◆アショクの本意は

エリシュ・ノーンにミラディン人の恐怖を伝えてみせる…その行い自体は殊勝で、ヒロイックで、一見弱者に寄り添っているようにも見えます。

ですが、アショクにそんなつもりはないでしょう。

アショクはエルズペスの悪夢からファイレクシアを知っており、その行いによって苦しむ人々がおり、そして眼前のエリシュ・ノーンにはその非道さがまるで理解されていない。
むしろ善行であると確信しているわけです。

これを恐怖によって突き崩すことができたなら…
新ファイレクシアの法務官という高位の存在に、彼女ら自身が虐げるミラディン人の恐怖を与えて当惑させる…アショクにとって心地よいカタルシスがありそうです。
アショクはそれを望んだのかもしれませんね。



◆どうしてエルズペスを使ったのか

あくまで私個人の考えですが…「ファイレクシアとの戦いにエルズペスが重要な役割を果たす」という構想があって、「アショクがエルズペスを戦いへと導く」という構想もあったのではないかと思います。

つまり…もっと、ざっくばらんに言うのであれば、シナリオの都合で無理やり引き合いに出されたのでないかと思います。

あるいは、アショクに「エルズペスが見るファイレクシアの悪夢を、現実のものとして本人に再演させたい」という悪意があったのかもしれません。
そうだと考えても、作品最後のエリシュ・ノーンがエルズペスへと強い殺意を抱くシーンは、やはりいろいろと跳躍してしまっていますからね…

そして機械聖典への信奉と同じほどの確信をもって、エリシュ・ノーンは悟った。この新たな感情を、この恐怖と不安を粛清するためには、あの人間を見つけ出さねばならない。エルズペス・ティレルを、あの女を多元宇宙から取り除かねばならない。

やはりどう考えても、消し去ってしまうべきはアショクです。
アショクこそが、完璧なエリシュ・ノーンの精神を当惑させ得る危険な存在なのですから…

(↑秀逸なコラージュ)

おそらくですが、Lora Gray先生は「アショクがエリシュ・ノーンと接触して、彼女に影響を与える」という点から物語を探って、「エリシュ・ノーンにアショクがミラディン人の恐怖を伝えて見せる」という興味深い展開を思いついた …思いついたのはいいものの、それを綺麗にエルズペスとエリシュ・ノーンを因縁づける糸口が、どうやっても見いだせなかったのではないかと思います。

実際のところ、第三者がエリシュ・ノーンに「エルズペスへの敵意」を強烈に刷りこむ…という展開を自然にやって見せる方法なんてあるのでしょうか?

アショクがエリシュ・ノーンを手玉に取るというだけでも難しそうなのに、それを構造的な美しさとある種の説得力のある形でまとめ上げただけで、十二分に技巧的だと思います。
「WotCは随分無茶な注文をしたなぁ…」と思ったり。


エルズペスを物語にねじ込んだために、エリシュ・ノーンがアショクによって生みだされた肉の映し身と対峙するシーンにて、「エリシュ・ノーン 対 映し身」から「機械と肉とのあらゆる対称構造」を投射したいであろうに、「エルズペス 対 エリシュ・ノーン」という構造もが強烈にちらつきます。

将来的にエルズペスとエリシュ・ノーンとは対峙することになるのでしょうから、これはこれで正解なのですが…これはLora Gray先生の本意だったのでしょうか?

エルズペスは背後に持つコンテクストが膨大で、今回のような形で舞台装置にするには質量が大き過ぎます。それも、物語の骨子となる対称構造が埋もれてしまいかねない質量です。
ここまで計算して物語を組み立てておいて、このことが気にならなかったとは思えないのですが…

あるいは…ウィットに富むアショクが、シナリオ構想に腐心するWotCの方を持ってくれたのかも知れませんね。



最後に

というわけで、『肉の庭』読了後の感想でした…!

舌を巻くほど技巧的な文章でしたね。技術を駆使して描かれた作品を読んでると「そんなことができちゃうのか!?」という、曲芸を見ているような興奮があります。

(素晴らしい作品を執筆なさったLora Gray先生への感謝と賞賛を込めて)




ガッツリ宣伝ですみません💦

普段はブログにて格安なモダンデッキの紹介など、様々なMTG関連の記事を執筆・公開しています。

もしよろしければこちらもご覧くだされば幸いです…!


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