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" こえ "

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" こえ (発声)"にまつわる当事者や挑戦者の記事をまとめております。
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#発声

【こえ #44】声帯を摘出してもなお癌と闘病中

尾関 勝三さん  これまで、癌をきっかけに声帯を摘出し、そこから声を取り戻そうとしている…

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1か月前
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【こえ #42】もう一度声が出せると知って見えた未来

梅木 正仁さん  「建設業だから、現場で声が出ないと仕事にならない」。喉から声が出づらく…

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1か月前
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【こえ #30】とにかく早くコミュニケーションを取りたかった…

鈴木 順雄さん  鈴木さんは、今から約4年前に喉頭がんの手術で喉頭(声帯)を摘出された。同…

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7か月前
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【こえ #28】「孫の顔を見たかったので生きなくちゃ」という気持ちが後押しした…

小林 美智恵さん  小林さんは14年前に脳梗塞で倒れ、右半身不随となった。「絶望しました」…

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7か月前
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【こえ #26】声を失うと聞かされて「娘と泣きながら別れた」…

白井 久美子さん  千葉県在住の白井さんは約29年前、喉頭(声帯)に隣接する下咽頭にがんが…

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7か月前
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【こえ #25】声を取り戻す方法としては、大きく3つがある…

萩原 幹雄さん  私たちは通常、空気の通り道である「気管」と食べ物の通り道である「食道」…

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7か月前
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【こえ #22】喉頭(声帯)を摘出した。まだ40代半ば。「ショックで歩けなかった」…

長沼 優子さん  長沼さんは20年以上にわたり代行運転のお仕事を続けてこられた。毎日19時から24時25時まで続くハードなお仕事だ。そうした中でのどに癌が見つかった。接客サービス業だったから声を失うわけにはいかなかったが、「他の治療なく、喉頭(声帯)を摘出せざるを得ない」と医師に言われ、7年前に喉頭(声帯)を摘出した。まだ40代半ば。「ショックで歩けなかった」。  それでも「声が出ないことで引きこもりたくなかった」。そのため、術後すぐに、喉頭を摘出した人の発声を補助する電

【こえ #21】群馬県にある喉頭(声帯)を摘出した方々の当事者会「群鈴会」にお邪魔し…

齊藤 憲治さん  初めて群馬県にある喉頭(声帯)を摘出した方々の当事者会「群鈴会」にお邪…

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8か月前
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【こえ #18】がんで声帯を摘出し声を失った人の社会復帰を支援する「銀鈴会」は、入会…

永田 洋さん   がんで声帯を摘出し声を失った人の社会復帰を支援する「銀鈴会」は、入会す…

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8か月前
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【こえ #14】タイに移住して10年余り経った2021年、現地の病院で「喉頭がんのステージ…

白田 千明さん  60歳で仕事を引退し暖かいタイに移住して10年余り経った2021年、現地の病院…

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8か月前
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【こえ #11】発声する方法を模索し訓練する方々と話す中で最も感じたのは、当たり前の…

堀家 彩音さん   第9話でご紹介した戸原玄さんが発想し、第10話でご紹介した山田大志さんが…

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8か月前
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【こえ #4】どうしてももう一度発したい言葉は…

篠田 乃武子さん  声を失ってから、どうしてももう一度発したい言葉は「こたろう、おはよう…

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8か月前
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【こえ #3】喉をお蕎麦が通りづらくなった…

木村 孝さん  一度目が2005年に名古屋支社に単身赴任していた現役バリバリの頃、木村さんの…

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8か月前
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【こえ #2】声帯を摘出して1年間は筆談で過ごしたが…

山後 政芳さん  声帯を摘出して1年間は筆談で過ごしたが、相手に申し訳なく感じた。食道に空気を取り込み、食道入口部の粘膜を新たな声帯として振動させ発声する「食道発声」に取り組み始め、自分の声をICレコーダーに吹き込み自分と会話する練習を何年も続けた。今では、声帯を摘出し声を失った人に対して発声訓練を通じて社会復帰を支援する「銀鈴会(ぎんれいかい)」の理事も務める。  静かな会議室で面と向かっての山後さんとの会話に聞き取りづらさは感じない。しかし、「ホームの場内アナウンスと