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" こえ "

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" こえ (発声)"にまつわる当事者や挑戦者の記事をまとめております。
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#障害

【こえ #33】みんな明るくて、病気があるけど、病人ではないよ…

王 美林さん  「感染力」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?コロナ禍を経験した今、ネガ…

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7か月前
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【こえ #32】ずっと営業職。社内外でしゃべるのが仕事だったから…

林 宏一さん  「ずっと営業職。社内外でしゃべるのが仕事だったから。」  人当たりのよさ…

The Elements
7か月前
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【こえ #31】もう一度大工の仕事をしたかったから…

平山 明さん  平山さんに初めてお会いしたとき、雰囲気が歌手の宇崎竜童さんっぽいなと感じ…

The Elements
7か月前
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【こえ #30】とにかく早くコミュニケーションを取りたかった…

鈴木 順雄さん  鈴木さんは、今から約4年前に喉頭がんの手術で喉頭(声帯)を摘出された。同…

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7か月前
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【こえ #27】「第二の声」を習得する活動の裏方として組織を運営するのが副会長の…

石橋 賢一さん  前回”声を失って#26”でご紹介した白井久美子さんが会長を務める『京葉喉友…

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7か月前
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【こえ #29】声を失うことにもポジティブに「命をもらったんだから」と笑顔で…

金安 泰子さん  金安さんは、2015年に喉頭がんの手術で喉頭(声帯)を摘出された。「しょう…

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7か月前
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【こえ #28】「孫の顔を見たかったので生きなくちゃ」という気持ちが後押しした…

小林 美智恵さん  小林さんは14年前に脳梗塞で倒れ、右半身不随となった。「絶望しました」。  それから10年余り、令和元年10月に今度は甲状腺がんが発覚。呼吸困難もあった関係で「生きるには喉頭(声帯)を摘出するしかなかった」。摘出しても声を取り戻す発声方法があると聞いていたので、今度は「絶望しなかった」。  何より「孫の顔を見たかったので生きなくちゃ」という気持ちが後押しした。  摘出した翌月には千葉県で喉頭がんや下咽頭・食道がんなどで声帯を失くされた方々が発声を習

【こえ #26】声を失うと聞かされて「娘と泣きながら別れた」…

白井 久美子さん  千葉県在住の白井さんは約29年前、喉頭(声帯)に隣接する下咽頭にがんが…

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7か月前
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【こえ #25】声を取り戻す方法としては、大きく3つがある…

萩原 幹雄さん  私たちは通常、空気の通り道である「気管」と食べ物の通り道である「食道」…

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7か月前
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【こえ #9】東京医科歯科大学の摂食嚥下(せっしょくえんげ)リハビリテーション学分…

戸原 玄さん  戸原さんは声を失っていない。東京医科歯科大学の摂食嚥下(せっしょくえんげ…

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8か月前
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【こえ #5】国産初の電気式人工喉頭「ユアトーン」を開発した…

須貝 保徳さん  がんなどで喉頭(声帯)を摘出した方など発声が困難な方のための発声補助具…

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8か月前
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【こえ #4】どうしてももう一度発したい言葉は…

篠田 乃武子さん  声を失ってから、どうしてももう一度発したい言葉は「こたろう、おはよう…

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8か月前
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