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「書きたい」「書かなきゃ」でも「自分の中には書く価値のあることがない」と心が折れそうなときには。


そんなに気負わなくてもいいんだよ別に。

読んだ端からすぐに役立つ、経験と実績に裏打ちされた情報や知識をわかりやすく伝達するような文章とかじゃなくてもさ、

自分の好きなものやことについて、全力でなりふり構わず書けばいいんだよ。いまどきはみんなそういうのが読みたいんだよ。

っていうアドバイスもまぁ効果的といえば効果的かなぁとも思うのですが、

でも、

たとえば「自分の趣味や好きなもの」ってのを改めて題材として考えたときに、「まぁ好きなことは好きだけどでも自分程度の知識を持ってる人なんてそれこそいくらでもいるしなぁ」とか「このレベルで世間に向けて物申すなんて笑われちゃうんじゃないかなぁ」とか、そもそも「自分には自信を持って”これが好きです!”なんて言えるようなものが何一つないんだよなぁ」ってこともあるんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。

でもね、でもね、それもでね、

なんか言いたいんです。なんか書きたいんです。なんか発信したいんです。

って思ったとしたら、

それってやっぱり甘いですかね?そんなものには価値無いですかね?


最近、ぼくが「読めてよかった!」と思ったnote

最近のnoteはこれまで人気があった「読んだ端から役に立つ、経験と実績に裏打ちされた情報をわかりやすく摂取できる文章」みたいなものだけじゃなくって、

(CXOの深津さんが「noteではどんなに荒削りでも”情熱”が読みたいんです」的な発言をされてたりする影響もあってか)「自分の好きなものや、好きなことに対する思いを全力でぶつける!」みたいな記事が増えてきているような気がします。で、確かにそういうのってどれも面白いんですよ。

たとえばこれとか、

これとか、

とても面白かったです。ぼくはガンダムにもaikoにも興味ないけど読めてよかった。

で、投稿傾向のデータを比較したわけじゃなくって単なる体感なんですが、なんとなく「なるほど、デザインとか編集とかSNSマーケティングとかに関する情報や知識じゃなくっても”好きなこと””詳しいこと”を書けばいいんだー」って思われる方が増えたんじゃないかなぁ、と勝手に思ったりしています。まぁ、そのためにぼくが何かしたわけじゃないんですけどなんかうれしいです。


だけど、ぼくには書くことがない…。

その一方で、冒頭にも書きましたが、

「なんか書いてみたいなぁ」「読むだけじゃなく自分もなんか世の中に発信してみたいなぁ」なんて思いはありつつも、

「好きは好きだけど、自分ぐらいの熱量の人はいっぱいいるし」とか、「この程度の自分がなんか言うなんておこがましいよな…」とか、そもそも「”これが大好きだー!”って言えるようなものなんて持ってないよ…」

なんて感じで、結局、呆然としちゃってる方も多いような気がするのですがどうでしょう。

書かれた文章を素敵だと思う、書いてる人にあこがれる、自分も書きたい、書いてみたい、そんなことを思っちゃうようなナイーブな心の持ち主だからこそ、なおさらにキーボードの前で金縛りにかかってしまう。そんな感じ。ありませんかね?

なんでそんなこと思ったかというと、まさしくぼくがそうだから、です。


「風の歌を聴け」の衝撃。

もうずいぶん昔のことですが、ぼくが学生だった頃、村上春樹さんはまだ世界的巨匠っていうわけではなくて、まぁ流行作家の一人ぐらいの感じで(まだ村上朝日堂みたいなポップなエッセイとかを連載してた)でも、ぼくら文学部の学生は一応どんなにボンクラでも「風の歌を聴け」か「ノルウェイの森」ぐらいは読んでないとカッコつかないよ的な雰囲気はありまして、例に漏れずぼくも本棚に装備しましたよ「風の歌を聴け」。懐かしいなぁ。うちの高校の体育着と同じ色したハードカバーの単行本でした。

で、もちろん面白かったですし、文体もドライで、格好よくっていまでもときどき拾い読みするぐらい好きな小説のひとつではあるのですが、

でもぼくがこの段落のタイトルにつけている”衝撃”は「風の歌を聴け」という小説そのものからではなくて、その頃どこかで読んだ『「風の歌を聴け」に関する評論』から受けたものでして、

その評論曰く、

『あの小説の主題はつまり「言うべきことは何も無い」ということなのだ』と。

びっくりしましたね。もうアタマをがーんとやられた感じ。

なぜって、それまで地方のそこそこの受験秀才君だったぼくは、すべからく文章というものはまず作者の中に、「外国を見聞してきて得た文物知識を活用して啓蒙をするのだ!」とか、「我々が生きるこの世界の理不尽を問うぞ!」とか、つまり、「核になる主張」があってそれに基づいて創作されるものだと思い込んでいたので、

まさか『「言うべきことは何も無いぞ」って全力で言う』なんていう構造があり得るなんて露ほどにも考えたことがなかったからです。

すげーなー、まいったなー、そんなのアリかよー、と思いつつその一方でいろんなことがものすごくすっと腑に落ちました。たとえばあの小説の魅力が「すごくおしゃれでドライでリズミカルな文章だけど結局なにが言いたかったのかよくわからない難解さ」なのではなくて「言いたいことなど何も無いからこそドライでリズミカルな文体が引き立つのだ」ってところにあることだ、とか。間違ってるかもしれないけれど、ぼくにはそう感じられたのでした。

なんだ、すごく高尚な言うべきことがなくっても、創作って成立するじゃん。

それでぼくは自分の中に言うべきことがなくても(というか積極的にない方がスムーズに)文章を駆使することで仕事が成り立つコピーライターになったのですが、それはまた別のお話。(これについてはあらためてどこかで書くことはありません。すごく酔ったら武勇伝的に自慢話するかもですが、もしそんなことしだしたら止めてください)


「小さくても勝てます」

もちろん、より長い期間に渡って何か発信するという作業を続けたいと望むならば、ある程度の専門性に裏打ちされた「説得力のある視点」を支えてくれる領域を持っていたほうが有利なのは間違いありません。さらにいえば、その知識が深く、関連する領域が多岐に渡れば渡るほど希少価値も増しますから、発信するだけで食べていけるようないわゆる「プロ」への道も開けるでしょう。

でも、もしもいま現状のあなたの中に「そういうもの」がないのだとしたら。

人様に披露できるレベルだと自分が思えるまで自分の知識の集積を待つ、なんて守りの気分に入るのではなく、かといって、慌ててネットで拾ってきた急ごしらえの知識を組み合わせて「なんかそれっぽく見えること」を書こうとするのでもなく、

「自分には書くべきようなことなんて何もないけど書きたいんです。って気持ちをそのまま書けばいいんじゃないか」とぼくは思うのです。

恥ずかしいことなんてありません。だってそれってやってることはデビューのときの村上春樹と同じだぜ。

TTP(徹底的にパクれ)が上達への王道だとするのなら、これをそのまま続けていったらいつかあなたがノーベル文学賞候補になるなんていう将来だってなくはないとも言い切れないとは言えないなぁと誰に断言できましょう。(どっちだ?)

それでもまだ「どうかなぁ、なんか信じられないなぁ…」っていうんだったら、

この本を読んでみるのがいいいんじゃないかと思います。

で、この本のどこがいいって、ストーリーはもちろんなんですがその中で主人公がやった取り組みに対してそれにどのぐらいの年月がかかったのかが明記されてるんですよ。

こんな感じで。

普通、本で読んでると作品中ではものすごく多くの時間の積み重ねで実現したはずのことが「完成形でいきなりぼーんと現れちゃう」みたいに勘違いしちゃうことってあるんじゃないかと思うんですけど、この「○年目の○○」があると、「あ、これってこの効果が出るまですげー時間かかってるんだー」ってのがわかるんです。

実際に、「もうすでに書くべき何かを持ってる人」とか「人に”へぇ!”って思わせるほどの実績が確立されている人」をみると、自分もいますぐあの人たちと同じレベルの知識や武器が欲しい、なんとかしてすぐに追いつきたい、最短距離の近道やノウハウはないのか?って思っちゃったりするじゃないですか。

でも、この本をちゃんと読むと「大切なものほど、一朝一夕にはいかない」ってことがわかるんです。それと同時に「だからといって悲観する必要もない。大切なのはいまはゼロでも、ここからきちんと積み重ね始めること。まずは信じて行動することから」ってのが、なんというかきちんと深く腑に落ちるのでオススメします。


いつかできる日のために、いまがある。

あのね、そもそも「すぐわかるもの」「すぐ手に入っちゃう知識」「誰でもすぐにできちゃうこと」なんていうものだったら、別にあなたがやる必要なんてないんです。

いいじゃん、べつに。

カッコつけないで。正直に「書くことないけど、書きたいんです。ダメですか?」「言いたいことなんてないけどなんか言いたいんです。いいっすよね?」って書けばいいじゃん。

いまは持ってなくたって、いまはきちんとできなくたって、いつかできる日のために、いまからはじめてるってだけのことじゃん。

恥ずかしい?みっともない?笑われたらどうしよう?

大丈夫。もしも誰かがあなたを笑ったとしても、ぼくは絶対笑わない。

なぜなら、ぼくもあなたと同じだから。いいじゃんべつに。笑わせておけば。


すごく大切なことなので、もう一度書きます。絶対に忘れないでください。

いつかできる日のために、いまがあります。


この文章の冒頭、そのままどうぞ。

ここまでいっても「そう言われてもやっぱり自信がないなぁ…」っていう方。

もしよかったらつぎに「何か書きたいけど書けない」って金縛りにかかったら、ぼくのこの文章を冒頭から丸々そのまま書き出しに使ってみるっていうのはいかがでしょうか。(なんならタイトルから全部使っていただいてかまいません)

で、それやるときにはコピペじゃなくて、自分の手で一字一句ぽちぽちそのまま打つのがオススメです。ぼくもたまにいろんな人の文章を拝借してきてやるんですけど、そうすると途中からすっと離陸するみたいに自分が書きたいほうへと自然に文章が流れていくんですよ。(まぁ、ぼくのを使った場合はこんなヘタな文章に付き合いきれないって脳が判断してるからって可能性もありますが…)

ま、本当にそんなことする人はいないかもしれませんが、もしも「書いたよ」「使ったよ」という方がいらっしゃったらぜひにご一報を。

「言うべきことは何もないけど言ってやったぜ!」っていうそのまっすぐな心意気と勇気に敬意を表して。憧れのBar Bossaで一杯ご馳走いたします。















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