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③ 会社やめるってよ

前回の記事はこちら(転職戦線異常あり)

転職エージェント
「面接後、すぐに不採用の連絡が来ました。面接で何を話したんですか?

僕はエージェントに面接で話した内容を共有した。
僕が落ちた理由は明確だった。

僕の転職理由がネガティブだった。

面接で転職理由を聞かれた時に、僕は現在の会社に対する不満を伝えていた。残業時間の割に給料が安いなど(笑)
会社に不満があるので、転職したいと説明していた。
僕はそれは当たり前のことだと思っていた。

確かに当たり前ではあるのだが、ビジネスでは「本音と建前」というものがある。

正しいことを言えば、人が動くというわけではないのだ。

採用側は、面接でこういった不満を言う人を採用すると、また同じ理由ですぐに辞めるのではないかと思ってしまう。

ということで、僕は選考ですぐに落とされたようだった。

エージェントからは、転職活動ではネガティブな会社の不満を言うのでなく、ポジティブに自分のキャリア、将来について語ってくださいと言われた。(仮に会社に対して不満があっても伏せて)

僕は転職活動を新卒の転職活動と同じようなものだと思って舐めていた。
転職活動には転職活動のやり方があるのを知り、そこから転職活動の本を買って勉強を始めた。

コンサルティングの選考ではフェルミ推定やケーススタディがあるのでそれについても対策をした。

フェルミ推定やケーススタディというのは以下のようなものだ。
・日本に郵便ポストはいくつあるか。
・通信会社の売上を増やすためには。
・自動車メーカーでリコール問題が発生した場合、企業価値にどのように影響を与えるか。

上記は明確は答えが求められているというよりは、考え方をチェックしており、面接では面接官とディスカッションをしながら進める。

コンサルティング以外にもM&Aアドバイザリーの会社を受けたりした。

M&Aアドバイザリーの会社の面接の時は、直前に近くのトイレの個室で、
自分で作った転職活動ノートを取り出して、日経平均株価、日経平均Per(株価収益率)の数値、企業価値の算出方法を復習して、面接で聞かれてもすぐに答えられるようにした。

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また、面接では自分がどういう経験をして、いかに魅力的かを伝えるように意識するようにした。その結果、面接の通過率が上がった。
皮肉なことに、面接で自分の経験を魅力的に説明しているうちに、
自分が今の会社でどれほど貴重な経験をさせてもらっているのか気づかされた。
むしろ、転職しないほうが良いのではとさえ思った時もあった。

最終的に、何社か受けて、M&Aアドバイザリーの会社からオファーをもらった。新卒で内定をもらった時ほどの感動はなかったが、
オファーレターを何度も見ては、自分が働いてる姿を想像した。
今思うと隣の芝生は青く見えていたんだと思う。

僕はこの会社に転職することを決意した。

転職を決めた後は、今の会社に辞めることを伝えなくてはいけない。
正直とても重い気持ちだった。
翌日の定時後、誰もいなくなったオフィスで上司に話しかけた。

僕「少しお話よろしいでしょうか」
上司「どうした?」
僕「いやちょっと、会議室に来てもらえますでしょうか」

上司も僕のただならぬ雰囲気を感じたのだろう。
会議室に入って、僕は緊張しながら、会社を辞めること伝えた。

上司は「わかった」と一言。
上司も何度か転職をしており、僕の気持ちがわかったのか、
転職する理由を聞かなかった。

その日から僕が辞める話は社内に広がり、
お世話になった部署の人たちとランチや飲み会に行く日々が始まった。

最初は早く転職したいと思っていたが、
久しぶりにいろんな人たちを会って、会えるのもあとわずか、と考えるとなんとも言えない気持ちになった。

そして、あっという間に最終出社日を迎えた。
引継ぎも終わっていたので、最終日は特にやることはないが、一つだけ重要な仕事があった。
それはお世話になった人へのお菓子配りである。
最終出社日にお世話になった人のデスクに回って、お菓子を配りながら挨拶するというものである。

僕は前日に大丸で大量購入したお菓子を持って、お世話になった人の席を回って、一人ずつ挨拶して回った。
お菓子を渡しながら、一人ずつと昔話をしていく。昔の記憶が思い出されて懐かしくなった。

僕の場合は、経理、経営企画、事業開発と様々な部署を異動したので、
配る人が多くいた。
その中に一人だけ謝らないといけない人がいた。

それは前の部署である経営企画の元上司だった。
僕が悪いのだが、僕が経営企画を異動した後に、些細なことがきっかけでギクシャクしてしまい、1年近く会話をしていなかった。

このまま謝らずに退社するという方法もあったが、
当時の本部長に「人との繋がりは将来どうなるかわからないからちゃんと挨拶をしておきなさい」と言われた。

当時の僕はその言葉の意味はわからなかった。
転職したらそれっきりで今後接することはない。
だったら今更わざわざ謝る必要もない。

しかし、自分の中で心残りを作っておきたくなかった。

恐る恐る元上司のデスクに行き、迷惑をかけて申し訳なかったと謝った。
上司に転職を伝える以上に緊張したが、元上司は何事もなかったかのように優しく対応してくれた。

この時に謝って良かったと今でも思う。
年を重ねるにつれて、この時の本部長の言葉の意味がわかるようになった。
人と人の繋がりは本当によくわからないもので、後々に仕事で再会することがある。どこでどう人が繋がるかわからない。

その時のためにも、立つ鳥跡を濁さずであるが、去り際は円満に綺麗にしておいたほうが良い。残念ながら、今まで頑張ってきたのに去り際が雑でむしろ敵を作る人を何人も僕は見てきた。本人は自覚がないのだろうが、それは本当に勿体ないことだと思う。僕もそうならないように気をつけようと思う。

こうして、最終日は挨拶周りで一日が終わってしまった。
最後は同じ部署のメンバーに見送られ、会社を出た。

柄にもなく、最後に本社ビルに向かって、お辞儀したのを今でも覚えている。 


メールボックスを読み返すと当時のメールが残っていた。

最終出社日のその日の夜のメールである。
僕から当時の本部長宛へのメールだ。

2017年3月10日
To ○○さん(当時の本部長)
プライベートのメールアドレスから失礼します。(僕)です。
本日無事に退社することができました。
たくさんお菓子を用意したのですが足りませんでした。それだけ自分の想像以上にいろんな人にお世話になりました。■■さん(経営企画の上司)とも最後ちゃんと話をして、また機会があればご飯にでも行こうと言われました。
正直、どこか心の奥で自分がここまで来れたのも自分の力だと思っていました。
しかし、今日いろんな人に挨拶をする中で、この人たちのおかげでここまで来ることができたんだと最後の最後になって気づきました。忘れていたいろいろなことが思い出されました。
■■さんも含めて上司の方々には仕事を教えてもらったり、スタッフの方にもいろいろと連携を取り合ったり。
 いつも僕は気づくのが遅すぎますね。。
○○さん(当時の本部長)もいろいろとお気遣いいただきありがとうございます。
また落ち着いたら連絡させてください。
 本当にありがとうございました。

それに対する当時の本部長の返信だ。

To(僕)へ
メールありがとね。
気がつくのが遅いのと気がつかないのとでは大きな差があるので、
次のチャレンジでは途中で立ち止まって振り返って貰えればと思います。
説教されたくなったらいつでも呼んでください。
ワシもまだまだ(僕)に負けないで頑張るつもりなので、これからも色々揉まれながら頑張ろう!!成長楽しみにしてます!


そこから3年が経ち、僕は色々な経験をして揉まれた。
昔より少しは成長したかなと思う。

しかし、いろいろ経験をした今でも、
最初の会社、特に新卒1年目は本当に特別だったと思う。
他の経験に比べて、今でも記憶に残っている。

社会人になったばかりの時は、仕事、人間関係、会社の仕組み、いろんなことがわからなかった。
社内にメールを送るのにも最初のころは先輩にチェックをしてもらっていた。
帰宅後に仕事をやり忘れたのではないかと、
気になって、誰もいない深夜のオフィスにわざわざ出社したこともあった。

日々、無駄に肩に力が入って、家に帰っては疲れてすぐに寝ていた。
   
その中で今でも覚えていることがある。
僕が経理の時に決算対応で仕事がパンパンになり、回らなくなっていた時だ。
会議室で先輩達と一緒に、ホワイトボードに僕が持っている業務を全て書きだした。そして、その横に僕の業務を巻き取る先輩の名前を書いていった。
今でも悔しくてそのことは覚えている。

今思えば、当時の僕は些細なことを気にしすぎていた。
いろんなことを気にしすぎて、困ってパンパンになって回らなくなった。
今では、仕事で手を抜くポイントもわかるし、何か起こっても、これは運が悪かったとか、数ある内の一つだと思うことができる。

でも、当時の僕は目の前のことが全てで、
俯瞰してみる余裕もなく、全てが全力投球であった。
全力投球してもうまくいかず、逆に迷惑をかけて、空回りして、
落ち込んで疲れて家に帰る日々だった。


辛い日々であったが、必要なことだった。
今はもう懐かしくさえ感じる。

感謝しかない。

つづく

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