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当たり前が、それぞれ違う

【はじめに…】

スマホやタブレット、パソコンなどの端末と
それぞれに伴ってのデジタルコンテンツやサービス。
それと共に生活する事が
日常となっている現代の子供達。

自分達の子供の頃は、言葉一つ調べるとなれば
国語辞典や広辞苑なんかの書籍で一枚一枚ページをめくり
言葉の意味や定義を調べていた。

今と昔を相対比較して観ると
『調べる』と言う事柄一つとっても
まず行動の仕方が違う。
そして、答えを得るスピード感も違う。

【それぞれの言い分】

辞書を開き、調べたい内容へと辿り着くまでに
本来目的ではない事柄も目にする。
故に、調べたい事柄以外の事も知る事が出来る為、
書物を開き物事を調べるという事は、知識の拡張に繋がる。
調べたい物事だけピンポイントで、
しかも手軽に情報が得られるなどと、
きっと、覚えもしないだろう。と、アナログ派。

逆に、デジタル派の言い分としては
すぐに調べれる。そして、より多くの情報が得られる。
辞書を常に持って歩いているわけでもなく、
調べたい時に、すぐに調べれないのは非効率でしかない。

と、双方の言い分があるだろうが、
今が良くて、昔が悪いとう話ではなく、
どっちも良いところ、不都合なところがある。
ゆえに、良いとこ取りするのが一番良いと思う。

一番良くないのは、どちらかに偏っている事。
つまりは、固定観念の中に留まっている事が
一番良くない。

【話を戻します(笑)】

今の子供達と 、以前、子供だった自分達の
観察角度やモノの捉え方、そして解釈は全然違う。

この構図は、現在に始まった訳じゃなく
以前からあったのだが、なかなか表には出てこなかった。

なぜか?

シンプルに集約して言うと
『先輩と後輩』と言う風習や概念がそうさせている。

どういう事かと言うと、
************
自分より年上、もしくは自分よりも先に物事をしていた人、
つまりは先輩という人達は、
自分より経験や知識が豊富であるに違いない!
先輩が発言する事は、まず間違いじゃない。
*************
という考え方や風習や概念がある。
なので、先輩の言う事を聞き入れておいた方が良い
という、考え方や概念があった。

しかし、時代の流れと共に
今までの“当たり前”と、されて来た事が
これからも“当たり前”という事はありえない。

なので今まで自分が経験して得てきた知識
つまりは自分の当たり前が、
これからも通用するわけでもなく
しいて言うなら、同じ時代を過ごしてきた人達にしても
その人達の考え価値観と育ってきた環境と共に
当たり前となっている事が違う。

【結論】

自分の当たり前が、他者の当たり前じゃない。

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