マンハッタンカフェのふかいり —第四章—

日々のトレーニングと、カフェからの絶え間ない質問。
その繰り返しの中で、僕の心は次第に追い詰められていく。

夜遅くのトレーニングを終え、制服に着替え直したカフェがトレーナー室に戻ってきた。
だが、その顔はいつもより深刻そうな表情だった。

「トレーナーさん・・・・・ワタシのこと、嫌いになってしまわれて・・・いませんか?」

落ち着きのない様子で手を前に組み、もじもじと動かしながら尋ねてきた。

『そんなことないよ。どうしてそう思ったの?』

「最近・・・トレーナーさんが少し遠く感じるんです。・・・ワタシもわかっているんです。毎日のように質問攻めにして・・・迷惑、ですよね?」

彼女の目に涙が浮ぶ。

正直に言えば・・・毎日のようにプライベートを根掘り葉掘り聞かれることを重荷に感じている自分はいる。

本当は、互いの境界線をきちんと引いて、距離感を正すべきなんだろう。

けれど・・・

『そんなことないよ、カフェ。君の気持ちは・・・・・その、嬉しいんだ。僕みたいな人を知ろうとしてくれて。話しかけてくれて。僕はどこにも行かない。君のそばにいるから、大丈夫だよ。』

きっとカフェは、これまで深い付き合いをしようとしてこなかった僕に、ただ歩み寄ろうとしてくれているだけなんだ。
僕が勇気を出して彼女に踏み出そうとしなかったから、代わりに彼女が踏み出してくれた・・・彼女なりの優しさなんだ。

だから、彼女を否定することは、できない。
彼女の優しさを踏み躙ってはいけない。
彼女に・・・嫌われたくない・・・。

「!・・・よかった・・・♡」

そう言いながら、カフェは突然僕に抱きついてきた。

「トレーナーさん・・・私、もっとアナタを感じていたいんです。もっと近くに・・・。言葉だけではなく、もっとアナタを・・・。」

カフェの体温が伝わってくる。全身に感じる彼女の温もりに、心臓が大きく脈打つ。

『カ、カフェ?ちょっと、これは・・・』

カフェから一度離れようと身を捩った・・・が、優しく包むように抱きしめられているはずなのに、体が微動だにしない。

『ね、ねぇ、カフェ?一度、離れよう?』

優しく諭すように声をかけながら、彼女の腕をとり剥がそうとするも、びくともしない。
か細い腕は鋼鉄の刺股のように、僕の体を捉えていた。

「イヤですか・・・?・・・こうしていると、安心するんです。・・・トレーナーさんの鼓動、トレーナーさんの体温、トレーナーさんの・・・匂い・・・♡」

すーっ、はーっと深呼吸する彼女の熱い吐息が、シャツ越しに伝わる。

僕の体を抱きしめながら、カフェは頭をぐりぐりと擦り付けてくる。
その艶のある黒髪から、先ほどシャワーを浴びたからなのか、ほんのりとシャンプーの香りが漂ってきた。

頬が、体が、熱くなっていく。血流が早くなっていく。
それは彼女の高い体温が伝わってきたからなのか、あるいは・・・。

「・・・少しだけ・・・少しだけでいいんです・・・。このままでいさせてください・・・。」

そう希う彼女の体は震えていた。
彼女の抱えている、僕が嫌っているかもしれないという不安。
絶対そんなことはありえないのに。むしろ、僕の方が君に嫌われてしまわないか、恐れているというのに。

トレーナーとして、大人として、なにもしてあげられない無力感を感じながら、震える彼女の背中をそっとさすった。



———カフェの行動はさらにエスカレートしていった。

質問の合間に、突然手を握ってきたり、肩に寄りかかってきたりするようになった。
そして、僕はだんだんと、それを拒絶することをしなくなっていった。

「トレーナーさん、子供の頃の夢は何でしたか?」

そう尋ねながら、カフェは僕の腕に抱きつく。彼女の柔らかな髪が頬をくすぐる。

『えっと・・・宇宙飛行士になりたかった・・・だったかな』

「そうなんですね・・・とても大きくて素晴らしい夢ですね・・・」

カフェは僕の胸に顔をうずめ、大きく深呼吸をしている。
胸に当たる彼女の熱い吐息と、彼女から香ってくる甘い甘い花のような匂いが、僕の理性を溶かしていく。

「・・・ワタシのことを、どう思っていますか?」

今度は僕の手を取り、自分の頬に押し当てる。頬擦りをしながら、気持ちよさそうに目を細める。
僕の親指を手に取り・・・自分の唇をなぞらせるように、動かす。
ぷるぷるとした薄紅色が、余計に艶やかに見えてしまい、思わず顔を背けてしまう。

『それは・・・』

・・・応えに窮し、言葉を詰まらせる。
カフェの肌の柔らかさに、思考がさらに掻き乱されていく。

「・・・ワタシのこと・・・・・、好きですか?」

僕の目をじっと見つめながら、カフェが距離を縮める。
金色の瞳に映る情けない自身の姿が見えてしまうほどに、彼女の顔が近づいてきていた。

『カフェ、ちょっと・・・』

「答えてください、トレーナーさん」

彼女の吐息が顔に当たり、コーヒーの香りが鼻をくすぐる。
あまりの距離の近さに、鼓動が激しく脈打ち、頭が真っ白になる。

カフェのことは、確かに好きだ。でもそれは・・・あくまで一生徒として好印象を持っているというだけ・・・・・・そうであるはずだ。

そうは言っても、ここ最近のカフェの行動は、教職者と生徒の間柄としては・・・いささか近すぎる。
もちろん、信頼してくれていることの表れなんだとは思う。
けれど、近すぎる距離は、やがて衝突を生んでしまう。

太陽に近づき過ぎれば、融けてしまう。
月に近づき過ぎれば、ぶつかり砕けてしまう。

連星は、適度な距離感を持っているから、連星でいられるのだ。

だから・・・。

『・・・カフェ。僕たちの関係は、あくまでトレーナーとウマ娘だよ。だから、これ以上のことは・・・ぐぁっ!?』

一旦距離を置こう、そう素振りを見せた瞬間、体に痛みが走った。
・・・な、なんだ・・・!?全身が痛い・・・!
う、動かない・・・!?

「違います・・・。私たちはもっと特別な関係です。」

まるで見えない鎖で縛られているかのように、体が全く動かない。
見えない”ナニモノ”かに、全身を拘束されているみたいだ。
必死に腕を動かそうとするが、腕どころか指一本すら動かせない。

焦りと恐怖で冷や汗が額を伝う。

どうして?何が起きているんだ?

パニックに陥りそうになる僕の目の様子を、カフェはただ微笑みながら見つめている。
逃げたくても逃げられない。この異常な状況に、心臓が先ほどとは異なる早鐘を打つ。

カフェは僕の胸に手を当て、瞳を潤ませながらさらに顔を近づけてくる。
このままじゃ・・・

『カフェ?何を・・・』

言葉を遮るように、カフェは僕の唇を奪った。
柔らかく、湿った感触。

『んむっ・・・!?』

驚きと戸惑い、そして言い知れぬ快感が全身を駆け巡る。
体がどんどん熱くなっていく。頭では「ダメだ」と叫んでいるのに、カラダは正直に反応してしまう。
だんだんとふわふわしてくる脳内が、理性の警鐘を小さくしてしまっていた。

『ん・・・ぷぁっ・・・。だ、ダメだよ、カフェ。こんなこと・・・』

かすれた声で言う僕に、彼女は更に体を寄せてきた。
ほっそりとしていながら、女の子らしい確かな柔らかさが、僕の理性を狂わせてくる。

「嫌でしたか・・・?・・・でも、トレーナーさんのカラダは違うと、言っているようですよ・・・♡」

カフェの吐息が鼻先をまたくすぐり、思わずびくりと身震いしてしまう。

『ち、ちがっ・・・これは・・・』

「ワタシは・・・いえ、”ワタシ達”は、トレーナーさんのことが大好きなんです。友愛や親愛を超えて・・・一人の男性として恋慕っています。お友だちも・・・ずっとアナタのことを慕っていたんですよ・・・?だから、こうしてワタシに協力してくれた・・・。」

あっけに取られた僕の隙を逃さず、カフェは再びキスを仕掛けてきた。
今度は舌まで絡めてくる。

柔らかく、そして貪るように。

『ん・・・んん・・・!』

「んっ♡ちゅ・・・れろ・・・♡」

僕の口内を、侵入者が探るように蠢く。
ぬらりとした彼女の舌が、探り当てた僕の舌を器用に絡め取り、擦り上げる。
舌を摩擦されるという未知の感覚が、電流のように背筋を駆け上がり、意識がぱちぱちと火花を散らす。
時折、彼女の長い舌が喉奥をこづかれ、息が詰まりそうになってしまう。

「れちゅ・・・♡ちゅぷ・・・♡♡ほれぇなぁひゃんトレーナーさん・・・♡」

舌同士を絡ませ、互いの唾液のカクテルを口内で作り、それを流し込まれる。
溺れているかのような感覚に襲われる中、カフェは一向に止める気配を見せない。

甘美な味が口内に広がり・・・理性がまた少し、また少し、溶けていく。

「んん・・・♡れろれろ・・・♡♡ちゅ・・・♡」

『ぷはっ・・・はぁ・・・はぁ・・・』

何十分にも及んだような濃厚な口付けから解放され、尻餅をつく。
口が離れる瞬間、違いの唇からも舌先からも、唾液の銀橋が幾重にもかかり、ぷつりと途切れた。

「ごくっ・・・はぁ♡これが・・・トレーナーさんの味・・・♡初めて知りました♡」

酸欠の脳に酸素を送るため、荒い呼吸を繰り返す。
一方のカフェは頬を紅に染め、潤んだ瞳で僕を見つめながら舌なめずりをしていた。

離れ・・・なきゃ・・・ダメ・・・僕は、トレーナー・・・
立つこともままならない膝で、必死に後ず去ろうとする。
だが・・・先ほどまでの”拘束”はいつの間にかなくなっていたが、今度は別の原因でうまく動けなくなってしまっていた。

一歩、また一歩、彼女が歩み寄ってくる。
やがて追いつかれた僕の体が、再び彼女の体に抱きしめられ、拘束された。

カフェは自身の胸の辺りに僕の顔を埋めさせ、優しく撫でる。

柔らかなカラダが密着し、甘い香りと汗の匂いが鼻腔を犯してきた。
彼女のさらに高まった体温が、服を通して僕の顔全体に伝わる。

「んっ♡もっと・・・♡」

再び唇を奪われ、カフェの舌が絡みついてくる。

「んっ♡♡れちゅ・・・ぷは・・・♡好き・・・大好きです・・・♡」

囁くようなカフェの声に、僕の中のナニカが音を立てて崩れていく。
そして、自身が築いていた砂の城壁は、彼女の愛という波に飲み込まれていった。


トレーナーとウマ娘。

それ以上でも以下でもない関係のはずだった。
なのに、今はその境界線が霞んでいる。

カフェの温もりが肌を、彼女の香りが鼻腔を、そして深い執着が心を満たしていく。
気づけば、重荷だと思っていたそれが、恐怖していたものが、僕の存在理由になりつつあった。

もはやこの関係から抜け出す術はない。
そして、心の奥底では、抜け出したくないとさえ思っている自分がいる。
その矛盾した感情に、僕はもう抗えない。

カフェの胸の中で、僕は静かに目を閉じる。

これからどうなるのか、微睡んだ頭では考えることすらできない。
・・・いや、考える必要さえないのかもしれない。

ただ、彼女が想ってくれるのなら・・・もう何もいらない・・・。

「トレーナーさん・・・・・・今度は、ワタシとお友だちのことを知ってください。たくさん、たくさん教えてあげますから・・・。 どんなものが好きで、どんなものが苦手で、どんなことが気持ちいいのか・・・。まだトレーナーさんに見せたことのない、私達のココロもカラダも・・・隅々まで♡」

優しく撫でてくれる手が、気持ちいい。

そうか・・・僕が本当に欲しかったものは・・・こんなに近くに・・・

「さぁ・・・ワタシの・・・私達の、楽園へユきましょう・・・トレーナーさん♡」