マンハッタンカフェのふかいり —第二章—

あの日曜日以来、カフェとの関係が少しずつ変わっていった。

トレーニングの合間、ミーティングの後、ちょっとした休憩時間。カフェは僕に様々な質問を投げかけてくるようになった。

「トレーナーさん、学生時代はどんな部活をしていたんですか?」
「休日は何をして過ごすことが多いんですか?」
「好きな音楽のジャンルはありますか?」

最初は戸惑ったが、カフェの純粋な好奇心に、僕は少しずつ心を開いていった。

「なるほど、トレーナーさんはジャズも好きなんですね」
「そうなんですか・・・トレーナーさんの意外な一面を知れて・・・嬉しいです・・・♡」

カフェは僕の話を熱心に聞き、時折メモを取ることさえあった。
その真剣な眼差しに戸惑いを覚えつつも、否定せずに受け入れてくれることに胸が温かくなるのを感じた。


ある日、トレーニング後のミーティングを終えると、カフェが珍しくやや躊躇いがちに声をかけてきた。

「あの・・・トレーナーさん」

『どうしたの、カフェ?』

「今日の夕飯は・・・何を食べるんですか?」

予想だにしない質問に、僕は少し驚いた。

『え?まだ決めてないけど・・・どうして?』

「ワタシ・・・トレーナーさんのことをたくさん知りたいんです。だから、どんな些細なことでも教えてほしくて・・・」

カフェは少し頬を赤らめながら答える。
・・・が、僕は彼女から、何か異質なものを感じてしまった。
カフェは恥じらいつつも、その目は真剣そのものだ。
けれど、そこには好奇心を超えた、何か強い情念のようなものが宿っているような・・・そんな気がした。

『そっか・・・でも、僕の夕飯を知っても面白くないんじゃないかな?』

「そんなことはありません。トレーナーさんのことなら・・・全てが大切なんです。」

・・・僕は言葉を失ってしまった。
眼差しの強さに、少し怖気づいてしまったから。

『あ、ありがとう。じゃあ、そうだな・・・今日はカレーでも作ろうかな。』

「カレー・・・ですか。トレーナーさんの好みは・・・辛口ですか?それとも甘口?」

『うーん、無難に中辛、かな』

「・・・わかりました。覚えておきますね。」

答えを聞いた彼女は満足げに頷く。その表情には、まるで大切な宝物を手に入れたかのような喜びが浮かんでいた。

その日以降、カフェの質問はより具体的に、より深く、そしてより頻繁になっていった。僕の一日の行動、好みの細部、些細な習慣まで。カフェは本当に、全てを知ろうとするかのように、質問を重ねてきた。

最初は彼女の熱心さと、僕のような人間のことなんかを知ろうとしてくれることに、嬉しさを感じていた。
同時に、その“執着心“のようなものも感じ始めてしまった僕は、だんだんと戸惑いを覚え始めていた・・・。



それからというもの、日々のトレーニングやレースの合間を縫って、カフェの質問は続いた。

「トレーナーさん、昨日の夜は何時に寝ましたか?」
「今朝の朝食は何を食べましたか?」
「おやすみの日は、どこで過ごすことが多いんですか?」

質問の頻度が増すにつれ、僕は次第に息苦しさを感じ始めていた。カフェの純粋な好奇心から始まったはずのこの関係に、いつしか重荷を感じるようになってしまっていたからだ。


ある日、少し早く終わったミーティングの後・・・・・。

「トレーナーさん・・・今日はこの後、お時間ありますか?」

『え?ああ、今日は早く終わったからね。少しならあるけど。』

「よかった・・・。実は・・・トレーナーさんと一緒にコーヒーを飲みたくて・・・」

カフェの目には期待の色が浮かんでいる。

別に彼女といるのがつらいわけではない。けれど、なんとなく・・・本当になんとなく、遠慮しようと思ってしまった。
・・・けれど断ろうと思った瞬間、彼女の表情が曇るのが見えた気がして、つい言葉が出てしまう。

『わかった。じゃあ、少しだけ・・・。』

カフェが部屋で淹れてくれたコーヒーは、相変わらず僕好みの味がして美味しかった。
だがその良い香りでさえも、僕の緊張を解くことはできなかった。

「トレーナーさん・・・最近のワタシの質問、迷惑・・・でしたか?」

その問いに、一瞬口篭ってしまう。

『・・・え?あ、いや、そんなことは・・・』

「嘘をつかないでください・・・。トレーナーさんの表情を見ていれば・・・わかります。」

カフェの目には、悲しみの色が浮かんでいた。

『ごめん、カフェ。迷惑というわけじゃないんだ。ただ、少し・・・』

「ワタシ、トレーナーさんのことをもっと知りたいんです。今まで知ることなく過ごしてきた分、もっと・・・もっと・・・。でも・・・それが、アナタの重荷になっているんでしょうか?」

そう問いかける彼女の声には、か細い震えが混じっていた。

『カフェ、君が僕を知ろうとしてくれる気持ちはすごく嬉しいよ。でも・・・僕のような人間のことをそこまで知っても・・・あんまり役に立たないんじゃないかなって・・・』

つい自虐の言葉が漏れ出し、それに居た堪れなくなって、顔を俯かせてしまう。

「違います!」

カフェの声がトレーナ室中に響く。

普段の大人しい彼女とは思えないような大きな声に肩がびくりと震える。
恐る恐る彼女の顔に視線を戻すと、少し怒ったように眉間に皺を寄せていて・・・その眉はすぐに八の字に垂れ下がった。

「トレーナーさんは・・・ワタシにとって、かけがえのない人なんです。だから・・・アナタのことをたくさん・・・たくさん知りたいんです・・・。」

その言葉に、僕は戸惑いを隠せなかった。何か・・・何かが、おかしいような・・・。

カフェの眼差しには、今まで見たことのないほどの、強い感情が宿っていた。

そして僕は、この状況がどこかおかしいことに・・・気づき始めてはいた。

でも、彼女を傷つけることを恐れて、僕は何も言えなかった。
カフェの親切心を否定すれば、彼女との関係が壊れてしまうかもしれない。
そんな不安が、僕の口を封じてしまった。