他者とともに

https://www.asahi.com/articles/ASN880GTZN7YUHBI03P.html?iref=pc_rensai_article_short_1087_article_8

上記の記事をラストまで読み切っていない。
が、上記の趣旨から想像するに、
幸運にも外の世界へのこころの扉が開かれ、
うまく関係をきずくことのできたものたちのことであろう。
多くの日本の若者は、難しさを抱えているのも事実。
一方で、いまや自然界は人間の都合よくなってはいないのも
現実である。
どうしようもない不条理を避けては通れなくなっている。
そこで飛躍するが、己の道理にかなった正しい情報というものは、
一人歩きし、同調圧力の強まる傾向にあることにあらためて
こころにとどめておきたい。
ある熱血、元プロテニスプレーヤーが
引きこもりの子どもたちについての
コメントをインタビュアーから求められ、
「いいか! 勇気を出して一歩踏み出せ!」
「世界はひろいんだ! そんなことしていたって
何のとくもないぞ!」
風なことを以前耳にしたことがあった。
自分のどこが間違っているのか?
世の常識って?
大人の常識って?
質問する言葉すら口をついてでてこない、
昨今の子どもたちが抱えている、
たゆたうほどの心の揺らぎ(=わからなさ=不確定性)
に目を背けた、
大人社会に心が摩耗した、鈍感なこたえのように、

戦時下、日本帝国陸軍のとった硬直した絶対的な正論への依拠?
(権威主義的乃至官僚主義的思考・精神主義への偏重?)
のように、
聞こえてくるのは、こちらに問題があるからか?

そうはいっても、海外にでてしまえば、世界が広がるといった
言説(多くの人たちはそう感じられる)は、
水がこわく、泳ぎ方のわからない子に大海原に放り込んでしまえば、
いやでも泳ぎをおぼえるといった昭和世代の荒治療?のように
聞こえてしまうのは、今の時代、あながち言い過ぎとも
いいきれないだろう。
あらためて気づいておきたいこととは?
ひとりひとりの心のうちを排除せず、
ひとりひとりの心の内には
まったく別個の人生(時間)が流れているおり、
ひとりひとりの複雑な心のありようを
ひとくくりにせず、人と人とが触れあったとき
権力関係でなく、ひとりひとりの人生(時間)が孕みだし、
自然と笑いがこぼれおちてくるような、
つい触れてしまい、優しく撫であい、慰みあうような、
ゆったりと流れる時のなかで共生していくような、
そして、つい大空を仰ぎ見てしまいたくなるような、
そんな至福に近い情景のように思えてならない。
おそらくYさんもなんとなく出会ってしまった海外の人たちとの
交流であったにせよ、正直に自らの体験を述べられたんだと思う。
Yさん自身とも共有しあえると願っている。。。
と同時に、コミュニティにもセーフティーネットのような
避難できる安全安心な場が求められることも大切なことのひとつ
であろう。
いま出会っている人と人とがそれまで過ごしてきたお互いの
時間、場、思いを大切に、いまできうるかぎりのことにからだ全部で
生きていかねばならないのだろう。
だまって眠ってしまえば、必ず新しい一日がはじまるのだから。。。

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