それは無意識に突然訪れるんです。

久しぶりの投稿です。

今日はカレーとかの云々は抜きに、とある女優さんの自死について、自分の体験と合わせて、ただ指の赴くままに書きます。

私が20才の時、母が脳梗塞で倒れました。発生時の状況などから後遺症が強く残り、私自身は一人っ子で、働き盛りだった父との共同の介護は本当に苦労しました。(というか、ほぼワンオペに近かった、、、)

母は発症から1年半ほど、自宅介護と入院を繰り返しましたが、病状は良くならず、最後は入院先の病院で看とりました。

もともと母とは姉妹のように仲が良く、父とは中学に入った辺りから反抗期で、ほとんど会話がなかったので、母が亡くなった時は、正直「これから、父と2人で暮らすのか」ということに心が重くなったことを覚えています。

(今は年に数回、一緒にお酒を飲むくらいの親子関係になりました)

母が亡くなった時の父は、体だけがそこにある、というくらいに魂が抜け果てた状態で、それを見かねた私は、葬儀の最中ずっと気を張っていました。

さすがに火葬場で扉が閉まる時と、母の親友に抱き締められた時は、ただただ子供のように泣きましたが。

昔から周りに迷惑を掛けまいと振る舞う性格もあり、母の葬儀がすべて終わった後、学校やアルバイトにもすぐ戻りました。

けど、今にして思えば「最愛の母を亡くした」という衝撃は、当時の私の心身に対して、想像以上の大きさだったことを、後日知ることになりました。

ある冬の朝、いつも通り学校へ行くために、地元の駅で電車をホーム近くで待っていました。で、本当にここから、次の瞬間までの記憶がないのですが、気が付いたらホームに入ってきた先頭車両に向かって、足を踏み出していました。

車両の風圧で、ハッと我に返り、怖くなって体が震えたのを覚えています。この間、おそらく数秒の出来事だったんだと思います。

当時、長く付き合っていた恋人がいて、母が亡くなった深夜、彼に報告の電話をしたら、まるで自分のことのように電話口で泣いてくれた。友達を含め、周りの人達が心配してくれて、色々と守ってくれた。精神衛生は、それで保たれていたと思い込んでいた。母の死に対する後悔は山ほどあったけど、それでも「死にたい」なんて、これっぽっちも考えていなかった。なのに、魂は死のうとしていた。

自死って、きっとこういうことなんです。「死のう」「死にたい」と頭で思っている時は、きっと魂は「生きよう」としている。だから、思い止まれる可能性が高い。

魂が「ダメ、もう死ぬ」っていうレベルになった時って、きっと頭は魂に支配されている気がします。だから、何かしらの衝撃が来ないと、衝動的にスーっと逝ってしまう。

もちろんコレは、私個人の見解なので、人それぞれ考え方があって当然です。

今でも自死のニュースなどを聞くと「何かしてあげられなかったのかな」という思いに駈られますが、頭じゃなくて魂が死を選んでいる以上、どうにもならないことってあるんだと思います。

何をどうしたら、そもそも自死を選ばずに済むのかは、色々あると思います。どんなことでもいい。小さな目標や小さな幸福感を日々持つことが、その回避方法になるのではと、今は思います。

飲食店は生きていく上で必要な物を提供する場。その一端を、これからも担い続けていけたら良いなと思っています。

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