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蕎麦変人おかもとさん #5

第五話 京都手打ち蕎麦ブームの立役者『味禪』

第四話 銀閣寺そばに戸隠『實徳』

 数日後、岡本さんと共に京都市右京区の太秦にある『味禪』へ向かった。今回で二度目の訪問だ。初回はJRで大阪から京都を経由して山陰本線に乗り換えて行ったが、今回は岡本さんの提案で、阪急京都線からの京福電鉄パターンで行こうということになった。ネットも携帯電話もないのに、本当によく様々なアクセスが思いつくものである。

 阪急西院駅を降り、地上に上るとすぐそこに京福電鉄の西院駅があった。チンチン電車式のこじんまりとした簡易な駅で、券売機も改札もない。

 すぐに二両編成の可愛い車両がカーブの向こうからゆっくりと入ってきた。前がベージュ色と緑色のツートンカラーで、後ろの車両は濃い紫色である。乗る時に整理券を取り、支払いは降りる際に支払い機の中に入れるのだそうだ。

「この電車は西院の次の駅四条大宮から嵐山と、北部の北野天満宮(北白梅町駅)を繋いでいて京都では嵐電(らんでん)と呼ばれているんですよ。なんだかバスみたいでしょ。妙心寺や仁和寺、広隆寺、車折(くるまざき)神社など寺社仏閣ともうまくつながっていて御寺巡り線とも言われてます。『味禪』さんへは途中の帷子ノ辻(かたびらのつじ)という駅で北野白梅町方面に乗り換えて太秦撮影所の次の駅で降りるのが近いのかな」

 岡本さんは京都の町のことも詳しい。

 次の西大路三条駅を過ぎると赤信号で一旦停止。ここから路面に出た。周囲は企業と工場と住宅が入り交ざっている。

「京都って不思議ですよね。この町も地元民は殆どうどん民族なのに本なんかには蕎麦文化の町などと書かれているし。実際、老舗蕎麦屋がいくつかあって、なぜか温かいにしん蕎麦が名物とか。それに対して今回の新興系の蕎麦屋三店は、一切の種ものを跳ねのけて一様に冷たいざる蕎麦を全面に打ち出している。実に面白いです」

「ほんまですね。京都はその派ごとに戦っている印象があります。大阪にも老舗蕎麦屋はあるけどみんなのんびりとマイペースでやってる感じ。隣なのにこの空気の違いはなんなんでしょうね」

「まったくです。いずれにせよ、双方ともうどん王国とは言うものの、目だってないだけで実際には蕎麦文化は存在してるってことですよ。最古参の御所近くの『本家尾張屋』を筆頭に市役所前の『晦庵河道屋』、祇園四条の『総本家松葉』、寺町三条の『本家田毎』とか。大阪なら堺の『ちく満』、通天閣新世界の『総本家更科』とか。これ全部ゆうに一〇〇年以上の店ばかりです。その後は先斗町『有喜屋』、大阪では『家族亭』、『瓢亭』、『喜庵』、『美松そば』、『北本家更科』など他にも続々と。ある一定数の蕎麦ファンが関西にもいることは間違いないでしょう」

「何やら一説には江戸御三家のうちの一家、砂場蕎麦の発祥は大阪西区の堀江あたりという話もありますね。まぁ、そのことを大阪人はほとんど知らないし、知っても、あぁそうかいな、で終わるでしょうけど」

「何かきっかけがあると蕎麦ブームがやってくるかもしれませんよ。今回三店のご主人は周囲から変人扱いされてますけど、将来パイオニアとして崇められたりして。そうなるとまさに京都蕎麦維新、関西蕎麦ルネサンスですね」

「京都蕎麦維新、関西蕎麦ルネサンス。すばらしいです。ほんま岡本さんはキャッチーな言葉がずばすばと出てきますね。絶対新聞記者、ジャーナリスト体質ですよ」

 我々は帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)で北野白梅町行きに乗り換える。ここからは一時単線となり、住宅街の隙間を走り抜け、太秦の撮影所前、そして次の常盤駅で料金を支払い下車。左手には学校のグランド、前方には嵯峨野の山が見えている。我々は右斜め前方の住宅街の道を進み、七、八分で店に到着した。時刻は二時過ぎ。まもなく昼営業が終わる頃である。

 店に入ると奥様の日詰真喜子さんが満面の笑みで出迎えてくれた。

「あら、いらっしゃい、待ってましたよ。今日はありがとうございます」

 するとカウンターの向こうにいたご主人、正勝さんも気が付いてこちらを振り向く。

「あぁお世話になりますっ。なにっ、歩いてきたの」

「ええ、今日は嵐電できました。完全に観光気分です」と岡本さん。

 僕は挨拶を済ませて、バッグからカメラとノートを取り出した。

「ま、ま、そう焦らんと。お腹空いてるでしょ。まずは蕎麦でも食べてから。その方がいい記事書けるやろし」

 日詰さんは僕の目を見て舌をペロリ。てきぱきとした動きと話し口調の合間に、ちょくちょくこうやっておどけて見せるのであった。

 我々はテーブル席に座り、向かいに真喜子さんが腰かける。

「どう、全部もう取材してきたの。『實徳』と『拓朗亭』と」

「ええ、あとは『拓朗亭』さんのところへ行って、もう一度お話を伺って写真を撮らなければいけません。僕は蕎麦のことがまだまだよくわかってなくて。岡本さんがいるから何とかなっているものの、一人だとたぶん一年くらいかかるんちゃうかな」

「蕎麦屋をやるような人はみんなややこしいねん。『拓朗亭』なんて強烈やろ」

「いやほんまに、粕谷さんがおっしゃるようにとてつもないヘンコですね。話の一割も理解できませんでした。岡本さんにこの際書くのをお願いしたいくらいです。でも確かにおいしくて驚きました」

 蕎麦が出てきた。こちらはせいろではなく、丸い竹で編んだ笊である。『實徳』よりは気持ち細め、『拓朗亭』とほぼ同じ太さに見える。最初に汁をつけずにそのままいただく。

 スバッスバッ―――

 ススッ、ススッ……

 まずは喉越しの良さを感じ、数回噛み締めるとふんわりと枝豆のような味がした。もう一度そのままたぐう。やはり軽快な喉越しと、ほどほどの枝豆感がある。次に汁を少しだけつけてすする。

 スバッスバッ、スバスバスバッ―――

 ススッ、ススッ、チュルチュル……

「あ、やっぱり今回の三店の中で一番汁のキレが強いですね。あと鰹節の味と香りが明瞭です。もうほとんど江戸流というのでしょうか、東京の蕎麦屋のイメージです」

「ほんまにそうですね。明らかに汁の味が濃い」

 すると日詰さんがすかさず突っ込んできた。

「自分ら、毎日蕎麦食べてるんとちがうか。えらい細かいことまでわかってしもうて。一杯やるか」

 日詰さんは飲兵衛で、店には地酒が十数種類置かれている。岡本さんは下戸だ。僕は日本酒も好きなのだが、さすがに取材だし昼間から飲むわけにもいかない。

「うちのんはそんなに蕎麦の味が濃くないでしょ。もっと喉越しの良さを出したいんですよ。かといって喉越しだけではあかん。それなりに蕎麦の味と香りもするやつをね。まだまだ手探りやけど、今は生粉打ちと九一でやってます。まぁ九一言うてもその時々の調子でちょっとずつ変えていくんやけどね」

 今頂いているのは九一とのこと。しっかりとコシがあってとてもすすりがいい。その上でちゃんと蕎麦の味と香りがある。それにしても汁が他店とは明らかに違っているのが印象的だ。

「僕はね、蕎麦屋としては遅咲きで四四歳ではじめたんよ。『拓朗亭』今四二歳やけど彼は店開けたん早いでしょ。『實徳』はまだ三〇代やし。店をやる前はサラリーマンやってたんですわ。営業職やったから各地へ出張することが多かって、そのたびに蕎麦屋へ行って。ほら、僕は飲むし、それも楽しみで。全国津々浦々やね。おそらく三〇〇軒以上は食べ歩いてたと思う。メモを取ってあるだけで二〇〇軒以上やから。

 で、やっぱり東京は層が厚くて、かなり影響を受けたね。だから汁の材料は、千葉のヒゲタしょうゆの超特選・そば膳という濃口本醸造醤油、三河みりん、和三盆のかえしに、利尻昆布と鰹本枯節と鯖節、うるめ節のだしがメイン。東京流に関西流のうまみを加えたという感じかな。和三盆を使うと後味の抜けがええんよ。蕎麦の味を邪魔せえへん。原料だけは絶対に手を抜いたらあかんと思うねん」

 醤油の辛みとだしの膨らみ、すっきりとした甘み、きりっとした味に蕎麦のうまみが浮きあがる。

 蕎麦の食べ歩きだけでなく、会社員時代から友人知人を集めて蕎麦打ちを披露していたという根っからの蕎麦好きの正勝さん。東京風を意識しているとはいえ、真喜子さんもとても人懐っこく、蕎麦屋にありがちな堅苦しさは一切ない。お二人ともとても人間好きなのであった。

「あと、これだけはわかっておいて欲しいねんけど、この店はお客さんが作ってくれたみたいなもんやねん。僕、百万円しかなかったんよ。そこで店あける前からやってた蕎麦会に来てくれてた人たちが出世払いでいいからと総額二百万円を支援してくれた。そのお金を元手にして銀行から融資を受けて開業できたんよね。ほんまにありがたいことやで。その分頑張らなあかん」

「『實徳』の粕谷さんからお聞きしましたよ。『味禪』さんの常連客の方々が昨年の『野だてそば会』のお客さんをたくさん集めてくれはったって。いかに『味禪』さんが愛されてるかがわかる話です。また、京都にそんなに隠れ蕎麦ファンがいてはるということにも驚きます」

「そうやねん、うちには蕎麦会という、まぁ蕎麦好きの集まりがあってね。中でも一番の粋狂なんが会長さんで、この方は店に来たらまず蕎麦を一枚食べて、つまみと酒で一時間たったら〆にまた蕎麦を食べるような人。この蕎麦会の面々が野だてそば会を盛り上げてくれてますねん。今年もかなりチケット売れてるみたい。ほんま、僕も驚くほど蕎麦好きっておるもんやね」

 撮影用にもう一枚茹でてもらい、早々に撮り終え二人して平らげた。と、その時に扉が開き、昼休憩時間だというのに一人の男性客がつかつかと入ってきた。顔を見るとなんと水戸黄門の助さん役で知られる俳優さんではないか。

 すかさず日詰さんが言い放つ。

「あ、すみません。今取材を受けてまして、こちらは河村さんと岡本さん。今すぐ蕎麦ゆがきますので」

 挨拶をするとその俳優さんは僕の顔を見るやいなや目を丸くしてこういった。

「あれぇ、君は大きな顔してるねぇ。鼻も大きいし声も太くてよく通るし。え、ライターだって。いやいや役者向きだよ」

 僕はたじたじになりながら苦笑い。

「よく『味禪』さんにいらっしゃるんですか」

「撮影の時は必ず。最初、髪結いさんから教えてもらったんだよ。それ以来ずっとね。僕は蕎麦好きだから、本当まさか京都の撮影所近くでこんなにおいしい蕎麦と出会えるなんて、嬉しいよ」

 目の前に座る真喜子さんが言う。

「ほら、うちから東映の撮影所までって歩いて十分もかからんような距離にあるから。そこに出入りしてはるスタッフや役者さんなんかがちょくちょく店にきてくれはるんよ」

 この後、俳優さんを中心に日詰さんご夫妻、岡本さん、僕と五人で楽しく歓談させていただき、あっというまに夜営業が始まる時間となった。

「あ、遅くまですみません。そろそろ失礼します」

 岡本さんが席を立った。僕は調子に乗ってずけずけと一言。

「居心地が良すぎるんですよ。蕎麦会や撮影所の方々など、常連客がまた別の客を呼んでくるのが分かる気がします」

 そう言うと真喜子さん。

「お客さんの喜ぶ顔を見たら私らかてまた元気になれる。やってる甲斐があるというもんやで。あんた、ほんまにまたきてよ」

 我々と同時に俳優さんも店を出た。

 帰路は花園駅からJR山陰本線に乗って帰ろう。御室川沿いの道を南東に進み、丸太町通りを左折。嵐電とは比較にならないほど近代的で大きな駅である。

「しかし、まさか助さんが常連客とはびっくりしましたね」

「ほんまですね。蕎麦もおいしいし、汁は東京風だし、地酒は豊富で肴、鍋まであって、撮影所に通う役者さんたちも根が生えてしまうでしょうね。役者なんてほとんどが東京からでしょ。きっと街中の立派なホテルに泊まるやろうにね」

「やっぱり奥様のあの人懐っこさにみんな吸い込まれていくんじゃないですか。河村さんのこと、ずっと男前だって言ってましたよ」

「それは光栄ですわ。家が遠くてよかった。近所にあったら絶対ハマってまうパターンです。それにしても、ご主人は目がぎょろっとしていてるのがちょっと渡辺謙似で、声もすごく通るし活舌がいいですよね。ご主人こそ役者みたいやな人やなと思いました」

「そういえばそうですね。日詰さんは話もお上手だし、みんな耳を傾けてしまうと思います。まもなく毘沙門堂での野だてそば会があることだし。京都のニューウェイブ蕎麦を世に知らしめていかれることでしょう」

 京都蕎麦維新の名立役者だ。

「あ、そうだ、河村さん。今から亀岡『拓朗亭』さん行きませんか。この山陰本線を反対方向へ行くと亀岡です。このあいだ夜に行ったらもう売り切れで店が閉まってたんですよね」

「もう無理です」

「うまい蕎麦があるならどこまでも」

「いや、ほんま」

 岡本さんは僕の倍は食べる腹を持っている。

第六話 我らがホーム、ミナミの『かしわぎ』

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