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幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第四章


第四章 別れと新たな出発


 一九九八年の十一月、僕は正式に離婚した。やるだけのことはやったが、どうにもならなかった。だが、白黒ついて心が落ち着いたせいか、その後の松阪の暮らしはどんどんと楽しく感じられるようになっていった。

『かしわぎ』へ行くことはかなり減ったが、それでも岡本さんがしょっちゅう遊びに来てくれていたので柏木さんの近況は耳にしていた。おそらく僕のことも柏木さんの耳に入っていたに違いない。

 月日は流れて翌年の夏のある日の朝。
 岡本さんから不自然な電話が入る。彼はいつも電話をしてくるのは決まって夕方なのに。

「どないしはったんすか、朝から電話をかけてくるなんて」

 すると岡本さんは一呼吸を置いてから神妙な声でこう言った。

「うぅん、あのね、時間がないので簡潔に用件だけお伝えしておきます。驚かないでくださいよ。住本さんが亡くなられました。つい数日前のことのようです。どうやら列車事故に遭ったようで」

 全身が硬直した。よく『かしわぎ』でばったり会ってはくどい酒に付き合わされていた、あのおっさん的おばはんの住本編集長。住本さんというのは大阪ローカルの老舗グルメ雑誌の編集長を務めており、僕がまだライター駆け出しの頃、創作料理研究家として採用してくれたり、タイ・バンコクまでレストランや市場の取材に行かせてくれたり、プロライターとして育て上げてくれた大恩人だ。

 僕が松阪へ引っ越すときも、「わたしがあんたの送別会をしたる」と言って、『かしわぎ』と梅田のとある割烹で、二人送別会を二回も開いてくださった。彼女は若い頃、東京のマガジンホームで勤めていたことがあり、柏木さんの部下でもあったのだ。

「そんなアホな。何でですか、なんで列車事故に」

「詳細はわからないんです。とにかくこれは事実です。新聞にも載ってますから見てみてください」

 すぐにコンビニへ行って新聞を漁ったが、松阪は中部圏。この町で情報を得ることはできなかった。
 その日の夜八時頃、いてもたっても居られない僕は店をさっさと閉めて、エアコンなしの重ステ手漕ぎウィンドウのポンコツ軽自動車に乗って『かしわぎ』へ向かった。

 夜の十一時頃、東長堀の地下駐車場に入庫。激しい振動とエンジン音で身体中が痺れ、頭がぼーっとしたまま地上へ。今日もタクシー渋滞が酷い堺筋を10分ほど歩いて店に到着。

「柏木さんっ、住本さんが亡くなられたって本当ですかっ」

 久しぶりというのに、挨拶もせず、開口一番そう切りだした。柏木さんは釜の前からゆっくりとこちらに身体を旋回させて、ぽつり。

「あぁ、カワムラ君。うぅん、いやぁ、本当」と言って視線を下げる。

「なんでですか。なんで列車事故に」

「どうもその日はかなり酒が入ってたみたいでね。どっかの帰りだか行きだかに、駅で電車の連結部分に落っこちたみたいなんだよ」

 ゆっくりとカウンターの椅子を引っ張りだして腰をおろす。

「それ以外のことはよくわかんないだよねぇ。とにかく彼女は酔っぱらって電車に轢かれちゃったって。京都の河原町駅らしい」

 電子レンジの前でカックン運動をしながらオカンが口を開く。

「本当あの人さぁ、毎晩のようにここで朝まで酒飲むような人だったけど、さすがに死んじゃったって聞くと気の毒だよねぇ」

「まぁ彼女らしいっちゃぁ彼女らしい死に方だねぇ。酒いっぱい食らって、よくわかんないうちに逝っちゃったわけで」

 柏木さんはタバコに火を点けて深呼吸する。そして、毛糸の帽子をさすりながら、遠くを見るような目でぼうっと彼方を眺めた。さすがに寂しげな眼差しをしている。

 僕はおでんの大根とビールを注文して、柏木さんにもビールを注ごうとした。柏木さんはグラスを取り出しこちらに傾ける。

「人間っちゅうのは、こう、死ぬとどうなっちゃうんだろうね。なんだかまだその辺で一杯やってるような気がしてね」

 献杯。

 この日は〇時で暖簾をしまう。オカンがよたよたと階段を上り二階の片付けに取り掛かる。柏木さんは肩を落としてカウンターの隅に置いてあるパイプ椅子にどっかと座った。しばらく沈黙が続いた。

「僕、今日はこれで帰ります」

「え、車でしょ。難波千日前に”エムザテン”っていうカプセルホテルがあるからそこで休んでいきなよ。一泊二千いくらかで泊まれるから」

「あ、はい、そうします」

「前に一度泊まったことがあんだけど大きな風呂とサウナがあってよかったよ。ただ、そこは男同士のアレの出会いの場でもあるらしくて。それだけ気をつけてね」

 柏木さんはそう言って精一杯の笑みを見せてくれた。
『かしわぎ』を愛し、柏木さんが愛した酔っ払い編集長がこの世を去ったのは一九九九年八月のことである。


 住本さんが亡くなって以来、僕は『かしわぎ』へ行くことが増えた。月に一回か二回。別に柏木さんが心配というわけではない。やっぱり『かしわぎ』のそばとおでんはおいしいとあらためてそう感じたのと、便利な場所に安価なカプセルホテルがあることを知って気持ちに余裕ができたのだ。

 行くのは決まって自分の店の定休日である月曜日。ポンコツ軽ではしんどいので、近鉄特急に乗って日本橋駅か終点の大阪難波で降りる。『かしわぎ』までは一駅分くらいの距離なので歩いても知れている。

 ある月曜の夕方。難波駅から久しぶりに戎橋へと向かい、橋の上から観光客に紛れながらグリコサインや道頓堀を眺める。どこからか山下達郎のヘロンが聞こえてくる。

♬鳴かな~いで~ヘロン 雨を呼~ばないで この街を やわらかな 光 み~た~すまで♪

 僕は口ずさみながら橋を渡り、商店街を北上。ヨーロッパ通り(周防町筋)を右折し、二つ目の筋を左折、すぐに到着。

 五時頃、すっかり日が暮れている。「手打ちそば おでん」と書かれた白い提灯には光が灯っている。暖簾をくぐり戸を開けた。

 店内はまだ換気扇が回っておらず、BGMのジャズだけが流れていた。鍋に入ったおでんを菜箸でつんつんとやる柏木さんの背中が見えた。オカンの姿はまだない。客が来るまでは二階で休んでいるのだ。

「やあ、いらっしゃい」

 おでんとビールを注文する。がんもどきにからしをべっとりと塗り付けて頬張る。

「いやさ、あれからいろいろ探してんだよねぇ。やっぱし郊外がいいなって思ってんだけど、なかなかね」

 唐突過ぎて何の話か分からなかったが、すぐに思いだした。

「あっ、店の移転のことですね。あの不動産屋の彼は、なんかいい物件を案内してくれましたか」

 僕が松阪へ越す直前、柏木さんから店を郊外に移転したいと相談を受けていて、知人の不動産会社を紹介していたのだった。いろいろあってすっかり忘れていた。

「あぁ、彼はよくやってくれてるよ。先日も豊中一帯を一緒に回ってくれたんだよね。あすこは家賃が高いからやめたほうがいいとか、こっちのほうが集客しやすいとか、ほんと親切過ぎてなんだか悪いなって思っちゃうくらい」

「そりゃ、よかったです。で、どうですか、どこかよさそうな場所はありましたか」

「それがまだこれだってぇのと出合えてないんだよねぇ。こないだは豊中の緑ヶ丘ってところや、地下鉄御堂筋線の緑地公園なんかを見て回ったよ」

 緑ヶ丘といえば、若いカップルなどがドライブデートするレストランや料理屋が並ぶ有名な通りがある。大阪中心部の外郭を走る自動車道の中央環状線を区切りとし、北に位置する箕面市まで三キロほど続く通りだ。

「あの通り、ええっとロマン、ロマンス、何つったっけかな」

「ロマンティック街道ですね」

「あ、そうそう、そのロマンス街道。あすこも歩いてみたんだけど、どこも家賃が高いね。一坪一万円以上は軽くすんだよ。だったら、ミナミのはずれとそう変わんない」

「そうなんですか。不況といってもやっぱり人気が高いんすね。大阪では珍しく品のある土地柄やし」

「でさぁ、あの辺て駅がないんだよね。阪急豊中駅まではバスで行かなきゃなんないし、モノレールの駅も中途半端な場所だし。車が多いってことかね」

「そうですね。豊中という町は、電車と車、下町と山手、なんて感じで両極端を兼ね備えたところなんですよ。電車も三線もあるのでそれなりに駅前の商店街なんかもあります」

「あと住宅街の上野や桜塚ってぇの、あの辺りも歩いてみたらちょくちょくと店はあんだね。東京の荻窪みたいな感じで。ロマンス街道とは客層が全然違ってて。なかなか複雑で興味深いよ」

「かもしれないですね。中高年のゆとりのある落ち着いた人たちが多いような。店もそういう層に向けた感じのが多くて、サイズもこじんまりで。ただし、東京のように新陳代謝は激しくはないと思います。家にしても店にしても次世代の若い方が入り込む隙がなく、今後どうなっていくのかという不安もなきにしもあらずと」

「岡もっちゃんから聞いたけど、カワムラ君がやってた店もあの辺だったとか。今でもあるんだってね」

「そうです、九五年頃、うちに住み込みで働いていたスタッフに譲渡しまして、その彼がまだがんばってます。場所はもっと北へ何キロも行った場末で裏は田んぼ、ワンルームマンションの中二階という立地です。来るのは二十代の若いのばっかりで桜塚やロマンティック街道とは次元が違います」

 おでんを平らげ、二八そばを注文する。柏木さんはゆっくりと身体を釜の方へ向けて、換気扇のスイッチをパチン。延し台の上に積んである黒い漆塗りの木箱に入った生そばを摘み取り、茹った釜の中にそれを放り込み、タイマーをセット。

 店内にはオールドジャズと換気扇の低い音。一分もしないうちにステンレス製の大きなザルにそばを集める。珍しく釜の湯を吹きこぼさなかった。

 僕はそば猪口に汁を一センチほど入れ、そばを一つかみ落として勢いよくすする。十割ほど荒々しくなく、小麦粉の甘さが入り交ざりマイルドな香り。その後、わさびを塗って最後まで。

 大根おろしと青ねぎはそば湯の薬味とする。そば湯は、わざわざそば粉を加えて釜湯で溶いたポタージュタイプ。柏木さんがそば打ちを習った名門『一茶庵』ゆずりの濃厚で辛口な味のつゆとよくあう。

 柏木さんはパイプ椅子に腰掛けて、ひたすら計量カップに忍ばせた酒をちびちびとやっている。そしてまたまた辞めていたはずのタバコにを火つけた。客が僕だけだからか、二階からオカンが降りて来る気配はない。

「ふぅぅ、やっぱりタバコはうまいねぇ。むふふ、郊外は諦めて同じミナミの中で引っ越すかなぁ。なんだかしんどくなってきちゃったよ。ダメだね、もう歳いっちゃってて面倒くさくなっちゃう」

「そんなもんですか。条件さえ合えばいいんじゃないですか。わざわざしんどいところへ行かなくても。知人の不動産屋は気にしないでください」

「実は今住んでるところの家主が言ってくれてんだよね。堺筋の向こう側なんだけど、マンションの一階にテナントがあるから安く貸してやるっつって。島之内ってところで大昔は花街で賑やかなところだったらしいけど、最近は新しく日本にやってくる韓国人がたくさん住みだしてるようでね」

 そこは現在の場所から歩いて十分ほどの距離らしい。最寄り駅は堺筋線の長堀橋か日本橋となる。

「飲み屋街のこの辺りとは全然違うけど、黒門市場に近くなるし、まぁ一応ミナミ圏内だしね。家賃とお客の流れと駅の利便性を考えたら、それがいいような気もしてきたなぁ」

 もっと盛況を目指して新天地へ、ではなく、よりゆっくりとできる場所へ、という意味での移転計画であった。

 しばらくして店を後にした僕は、普段なら心斎橋筋商店街に沿って南下していくところを、東へ足を運んだ。柏木さんの言う島之内を見たくなった。

 ヨーロッパ通りの一つ南の八幡筋を東へ進み、堺筋を渡り切ると、途端に呼び込みの黒服や鼻を劈くコロン女がいなくなり、落ち着いた感じの居酒屋や飲み屋が点在していた。それらの隙間にハングル語で書かれた料理屋や薬局などがちらほらと。

 しばらく進むと左手にスーパー玉出(現在は一本北側の周防町筋沿いに移転)が登場。大阪の下町西成区を拠点に複数店舗展開する、おそらく全国的に見てもトップクラスの激安スーパーである。心斎橋とは比較にならないほど静かで薄暗い街角に、黄色いド派手な電飾看板を煌々と光らせている。店内に入り、ペットボトルのお茶を買おうとしたら、目の前で白ネギと焼きそばをかごに入れた女性がレジの女性と大きな声でハングル語で話していた。

 物件はこの辺りと言っていたがそれ以上のことは不明。周囲には数軒のこじんまりとした飲食店が並んでいるだけで空き店舗は見当たらない。

 青白い街灯が立つその辺りの路地を歩きながら僕は思う。

 柏木さんはいったいどこへ行くのか。


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