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เท่าไหร่?เท่าไร?正しいタイ語とは何か

今回は、「語学における正しさとは何か」というお話。

先日、こういうツイートをした。
 ↓

ツイートの内容は、
「タオライ」のつづりに関するもの。

タイ語の「タオライ(いくら)」という言葉には、
じつは、2通りのつづりがある。

เท่าไหร่ thâo-rài
เท่าไร thâo-rai


こんなにも基本的な単語なのに、
つづりが2通りもあるなんて、

なかなか初心者泣かせだ。

ただし、、

僕はここで、「どちらが正式か
という話をするつもりはない。

いわゆる「語学垢」、
「語学専門家」と呼ばれる人たちは、
こういうとき、とかく、

「どちらが正式か」
「役所や学校ではどちらが使われているか」
「タイの国語学会は、どちらを認めているか」

みたいなことを調べようとする。


そして、いわゆる「エビデンス」みたいなものを出して、

こちらが正式です!
みたいなことを主張したがるのだけれど、、

僕は、正直言って、
そんなことは全くどうでもいい。



ツイートにも書いたが、
「別に、どっちでもええんちゃう?」
というのが、僕個人の意見だ。

実際、SNSでは、
両方とも普通に使われている。



たとえば、、

もしも、あなたが普段親しくしているタイの友人が、
SNS上で「เท่าไร」のほうを使っているのなら、

あなたも、友人に合わせて「เท่าไร」を使えばいいと思う。


なぜなら、

あなたと友人との関係性においては、
「เท่าไร」のつづりで通じ合っているので、

「เท่าไหร่とเท่าไร、どちらが正しいのか」

ということは、あまり意味をなさないからだ。


友人と、つづりについて議論したいなら、
大いに議論すればいいと思うが、

もしも、そうではなく、
ちゃんと別の話題があって、
その会話上で、

単語のつづりがเท่าไหร่なのか、
それともเท่าไรなのかは、
特に重要ではない。


重要なのは、

友人と会話を楽しむこと、
友人との会話そのものであって、

タオライのつづりではないからだ。


もちろん、明らかな誤用や
深刻なスペルミスであれば、
訂正した方がいいと思うが、

タオライについては、当のタイ人も、
2通りの書き方をしている以上、

我々日本人が、つづりの正確さなどを議論する意味は、あまりないと思う。


なので、

タオライ(いくら)のタイ文字つづりは、
別に、どちらでも良く、

「話し相手に合わせればいい」

というのが、僕の一貫した立場である。


ツイッターのタイ界隈には、会社員が多いので、

「タイ社会では、正しいタイ語を使わないといけない!」

なんて言う人も多い。

でも、果たしてそうだろうか??

そう思う人は、タイの会社で仕事して、
正しい(とされている)タイ語を使えばいい。

それは、個人の自由だ。

でも、、

オフィスにはオフィスのタイ語があるし、
現場作業者には現場作業者のタイ語がある。

バンコクのタイ語と、地方のタイ語も違う。

女と男も違うし、大人と子供も違う。

それらをすべてひと括りにして、

タイの社会で生きるには、、
などと仰々しく御旗を掲げるのは、僕は傲慢だと思う。


少なくとも、

タイ語を使う場面や目的は、
人によって違うのだから、

何が正しくて、何が正しくないか、

そんなことを他人に強要することはできないと僕は思う。


ツイートにも書いたが、
言語は生き物だ

30年前に正確だった書き方が、
30年後にはなくなってしまうことだって、よくある。

だから、「正しさ」を追求することに、
僕はそこまでの意義を感じない。


ただし、グーグル翻訳というものがあって、
そこでは「เท่าไหร่」が採用されている。

グーグル翻訳は、ユーザー数も多く、
一応、信頼に足るものだと考えられているので、

つづりに迷った時は、とりあえず、
グーグル翻訳の書き方を参考にすればいいと思う。

なので、今回のテーマは、

グーグル翻訳の書き方を参考にしておく

というのが、一応の解答、ってことになる。


しかし、、

そういうのを、いったん全て横に置いて、

あえて、「正しさとは何か
というものを追求していくならば、、

僕は、最も優先すべきは、
「コミュニティ」だと思っている。



コミュティ、つまり、

あなたが属しているコミュニティで使われている、書き方や話し方に従うのが、一番正解だろう、

ということだ。


冒頭にも書いたが、

あなたと友人とで
通じ合っているフレーズがあるなら、

友人とのつながりの中では、
それが正解だということ。

それは、「あなたと友人」というコミュニティ内の言語だ。


極端な話、

人口10人の村があったとして、
その村だけで使われているフレーズがあるなら、

その村では、そのフレーズが正解になる。

もしも、僕の受講生が、
「その村に行く」と言ったら、

僕はきっと、そこで使われているタイ語方言を教えるだろう。

それが「村」というコミュニティの言語だから。


これを専門用語で、
「位相(いそう)」という。

位相とはつまり、

国語的に正しいかどうかとは別に、
コミュニティやグループによって、
正しいとされる言語は違う、

ということを指す。


「いやいや、村特有の言い方なんて、会社に入ったら恥かくよ!」

と、会社員は言うかもしれないが、
それは、会社に入ってから覚えればいいだけのこと。


会社に一生入らずに生きる人もいるのに、

「会社に入ったら、、」
という前提条件は、
無意味だし、ただの傲慢だ。

それもまた、「会社」という1つのコミュニティ内の言語に過ぎない。


むしろ、村で生きる人にとっては、

村内で通じる言語を習得した方が、生活はスムーズだろう。


特に、近年は、「タイ沼」という大きなコミュニティが出来上がっているので、

タイ沼の住人にとってみれば、
「国語的に正確かどうか」よりも、、

「推しはどう書いているか」
「推しのファン同士はどう書いているか」
「タイ沼内のタイ人は、どう書いているか」

を考えた方が、有意義だし、楽しいと思う。


…以上、

「言語の正しさは、コミュニティによって違う」

というお話でした。


なお、タオライについては、
一応、うちの講座では、

「ห」ありの「เท่าไหร่」の方を採用しています。


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