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遊び心を大切に〜好きなことに熱中するだけで、運は良くなる

先日、「サンスクリット語の原文で般若心経を写経する」という試みをやってみた。
 ↓

お陰様で、ものすごく達成感があったし、
多くの反響があった。


しかし、そもそも、

なぜ突然、こんな酔狂(?)なことをやってみようと思ったかと言うと、、

実はこのところ、プライベートでちょっと行き詰まっていたのだ。

(機会があれば、そのこともまた話してみたいと思う)


先が見えない状況で、どうしようかと思い悩んでいた矢先、
とあるYouTuberの人が言っていた言葉が、僕の心に飛び込んできた。

いわく、
「好きなことに熱中している人を、神様は助ける」
とのこと。


確かに、その通りだと思う。

好きなことに熱中している人を、神様は助ける


そこで、僕は考えた。
「じゃあ、僕が好きな事って、何だろう?」

好きで、しかも、ずっと熱中できるぐらい、得意なこと

僕にとって、それはやはり、
語学だと思った。


ここ数年、お陰様で、タイ語を教える仕事が忙しくなり、タイ語どっぷりの生活になっていたのだが、

僕にとって、もはやタイ語は「仕事」であって、「語学」ではなくなりつつあった。


語学の楽しさとはやはり、

わからない言葉を自分で調べたり、読めない文章を必死に訳したりする、そのプロセスが楽しいのだ。


そしてこの時、僕にふっと降りてきたのが、

般若心経のサンスクリット語を書写しなさい

という、天からのメッセージ。


これは、なかなか大変そうだが、
同時に、「楽しそう」とも感じた。


僕はもともと、漢字の般若心経は何度も読経をしたし、写経をしたこともあったから、意味はだいたいわかる。

また、サンスクリット語の文字も、昔ひと通り覚えたことがあった。


だったらもう、これをやるのは今しかない。

「般若心経のサンスクリット語の原典を、写経してみようじゃないか!」

と思い立った。


また、ちょうどうちの地元で、美術展の作品を募集していたから、

八つ切りの大きな画用紙に、サンスクリット語で写経をして、出展することになった。


しかし、言うは易く行うは難しで、これはかなりの難行だった。

「こんなの、原稿があったら誰でもできるんじゃないの?」
などと安易に考えている人は、試しにやってみるといい。

ただ写すだけ、という、その作業が、なかなかできそうでできないのである。


まず、画用紙に書くとなると、罫線を自分で引かないといけない。

えんぴつで罫線を引くだけで、小一時間かかる。

それに、フリーハンドではさすがに書けないから、すべての文に下書きが必要だ。


そして、せっかく頑張って罫線を引いて、えんぴつで下書きをしても、

清書の段階で書き損じてしまったら、また罫線からやり直しである。


僕はツイートで、「写経しました!」などとしれっと書いているが、

ここに至るまでの間、僕はノートに何回も練習しているし、
画用紙を何枚も書き損じているのだ。

結局、トータルで
丸3日以上かかった。


3日以上も部屋にこもって、サンスクリット語を書き続ける……そんなこと、普通はなかなかできないと思う。


では、なぜこんなにも難行を、最後まで貫徹できたかと言うと、理由は2つある。

1つ目は、仏様との約束だから。


般若心経は、仏様の言葉なので、写経をしている間は、仏様の前に座っているようで、なんだか特別な感覚になれる。


そして、もう一つの理由は、、

やはり僕は、そもそも
語学が好きなのである。


中でも、「アジア系の文字」が特に好きだ。

学生の頃にタイ語をやろうと思ったのも、元はと言えば、タイ文字の可愛さに引かれたからだ。


しかし、タイ語に熱中して、
はや十数年、、

タイ語講師の仕事は順調だったが、いつしか僕の中で、タイ語は趣味ではなく、職業になっていった。


気がつけば、ここ数年、タイ文字以外の文字には、ほとんど触れなくなっていた。


でも、文字を学ぶ喜びは、
僕の活動の原点だ。

だったらやっぱり、他の文字も、
継続していかなくっちゃぁいけない。


今回、久々にサンスクリット語を読んで、すごく楽しかった。

好きなことだから、何時間やっても苦にならないのだ。


僕が丸3日間、サンスクリット語の写経に熱中していたあいだは、

文字や単語がみるみるうちに頭に入っていたし、

心なしか、運気もどんどん上がっていったような気がする。


ここで、冒頭の言葉。

「好きなことに熱中している人を、神様は助ける」

僕が思い悩んでいたプライベートの問題は、いつの間にか、自然に解決していた。


そして、問題が解決したタイミングは、
奇しくも、僕がサンスクリット語の写経の清書が完成したのと同じタイミングだった。

好きなことに熱中すれば、どんどん上達していくから、能力もどんどん上がっていく。

これがつまり、才能ということだと思う。


そして、今度はその才能を使って、他の人を幸せにすることができる。


他者を幸せにすることを、
神様は最も喜ぶ

だったら、神様が助けてくれないはずがない。

得意なことに熱中していれば、
神様が必ず助けてくれるのだ。


このことを悟った僕は、今度は、これまた若い頃に中断していたネパール語を再開してみた(笑)

じつは、僕はこれまで、新しい言語にチャレンジすることにちょっと引け目を感じていたのだ。


何だか、自分の生徒に申し訳ないような気がして、

「生徒が、一生懸命タイ語をやっているのに、僕がタイ語以外をやってていいんだろうか…」

という思いもあった。

でも、どうやら、その考えは間違っていたようだ。


生徒はみな、タイ語が大好きで、タイ語を学ぶことで、幸せを感じている。

だったら僕は、全力でその手助けをしつつ、

僕自身も、サンスクリット語やネパール語に熱中して、幸せになっていけば良いのである。


また、好きともう一つ、
遊び心」も重要だ。

仕事や課題などの、
義務感でやるのではなく、

何の必要性もないけど、遊びの延長で、思わずやりたくなるようなことが良い。

遊び心って、じつはすごく大切なのだ。


というわけで、

僕はしばらく、ネパール語を頑張ってみようと思う。


これを読んでいるあなたも、何か1つ以上は、好きなことがあるはずなので、

ぜひこの際、寝食を忘れるぐらい、熱中してみてほしい。


好きなことに熱中して、上達すれば、それは「才能」になる。

そして、あなたの才能を必要とする人が、いつか必ず現れるので、
人助けもできて、運も良くなる、という好循環になるのである。


今回は、「好きなことに熱中している人を、神様は助ける」のお話でした。


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