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【文献紹介】ジョン・ハワード「ゲイアメリカ史における場所と移動——第二次大戦後の南部における一事例」

Howard, John. “Place and Movement in Gay American History: A Case from the Post-World War II South.” In Creating a Place For Ourselves, 211–25. Routledge, 2013. (本書は1997 年に出版された初版の再版)

 この論文は、第二次世界大戦後25年間のバーミンガムにおける白人男性ゲイ文化を、一人の個人の経験を通して記述したものである。1917年に生まれて以来、第二次世界大戦への従軍を挟んで生涯この都市に暮らした白人中産階級のゲイ男性、バリー・クライン(Barry Kline、仮名)に対して1992年9月5日と1993年1月12日の2回、合計6時間にわたって行われたインタビューとその後の紙上・口頭でのやりとりを主たる一次資料とする。
 クラインの経験に即して、ハワードは主に三つのことを主張する。第一にこの時期のバーミンガムにおけるレズビアン・ゲイの経験は個々人の社会階層、性別、人種によって大きく異なっていた。社会階層は二つの意味で重要だった。まず、ゲイという性的指向を持つもの同士の中でも階級的な断絶があったことが挙げられる。クラインは自らのカミングアウトの時期を1946年のある日、子供の頃からの知人で同じ中産階級に属し、すでにゲイを自認していたロバート・ハリーとキスをしたときだと述べる。クラインは以前から同性愛行為を経験していたが、この日以前にはゲイを自認していなかったという。ハワードはその理由を、ハリーとそれ以前の相手の属する社会階層の違いに求める。ハリーが中産階級だったのに対して、それ以前の相手はより下層に属していた。自分と同じ中産階級に属していたハリーを相手に得て初めて、クラインはゲイアイデンティティを共有することを受け入れられたのである。さらに、これとは違う次元においても社会階層はレズビアン・ゲイの経験に大きな違いをもたらした。それは様々な形をとる差別から逃れるために利用し得るリソースの差である。クラインが特に恐れていたのは警察の弾圧と親類にゲイであるのが露呈することだった。母親と同居し、また仲間とのパーティに出かけたところを警察に捕まったこともあったクラインだったが、後には自宅とは別にパーティ用のアパートを賃貸することによって同士と安心して集うことができるスペースを手に入れた。また、父親から受け継いだ会社の経営者という職業とそれに伴う資金力を生かして頻繁に他の都市に旅行に出かけることもできた。その際にはバーミンガムでの差別から解放された。これらはより貧しいゲイには得られない特権だった。ジェンダーに関しては、レズビアンは経済的なハンデを負っただけでなく、女性であるためにさらに行動範囲が制限された。また人種については、公民権運動に注目が集まる中、黒人のゲイ・レズビアン・バイセクシュアルの苦闘が周縁化されたことが指摘されている。
 第二に、一般的な理解に反してクラインに関して言えば医療と宗教はアイデンティティ形成に大きな役割を果たさなかった。クラインは一度だけ、自分のセクシュアリティに関する問題を医師に伝えたことがある。従軍中の医師との面談で徴兵前に結婚を考えた女性がいたがその人に対して性的な欲望を抱かなかったことを告白したのである。しかし、担当医は「あなたは同性愛 queer ではない」との判断を伝えた。だが、このことがクラインに大きな影響を与えることはなかった。クラインがゲイを自認する過程において、精神科医を含む医師の影響は全くなかった。また、南部のレズビアン・ゲイ・バイセクシュアルに対する宗教の影響は一般に非常に大きいが、クラインは例外だった。ユダヤ教徒だったクラインがセクシュアリティに関してラビなどの聖職者の指導を受けることはなかった。
 第三に、クラインの事例はレズビアン・ゲイ史における都市の位置付けに再考を強いる。ハワードはこの分野では「アイデンティティと文化の形成についての都市資本主義モデル the urban capitalist model of identity and cultural formation」が支配的であることを指摘する。このモデルは19世紀後半における農村から都市への人口の移動が、都市におけるゲイのコミュニティとアイデンティティの形成に重要であったことを強調する。しかし、ハワードはクラインの事例はこのモデルから逸脱するものであることを指摘する。バーミンガムに生まれ育ったクラインのゲイアイデンティティの確立・維持にとって重要だったのは、地元と社会経済的な背景を同じくする友人たちとのつながりだった。つまり、従来支配的だった見方においては、ゲイアイデンティティの獲得には農村から都市への移動によって生まれ育った共同体における人間関係から離脱することが重要とされていた。しかし、クラインは生まれ育った場所で、自分が家族と共に依然から属していた社会経済的なコミュニティの中に片足を置き続けながらゲイアイデンティティを獲得したのである。従って、この事例は従来のモデルが掬いきらないものを示しているといえる。さらにハワードは、レズビアン・ゲイ史における都市の捉え方そのものにも刷新が必要であると主張する。従来都市は「遠心的な力 centrifugal forces」と理解されていた。つまり、それはいわば「諸個人が自らのセクシュアリティを認識し、同志を見つけ、コミュニティを作ることができるような都会の巨大な中心地に、後背地の孤立した諸個人を引き寄せる磁石」(221)であると見なされてきた。これに替えて、ハワードは都市を「求心的な力 centripetal forces」と見なすことを提案する。つまり、「その多くは短期のものであり、さまざまな遭遇、出会い、密会の機会に繋がるような、旅の出発点となる場所」(221)である。この発想の転換によって、ハワードは従来の農村から都市への一方向的な移動を過度に重視する見方を修正しようとするのである。
 以上三点が本論文の主な論点である。そもそもこの論文を読んだのは、バーミンガムにおけるクイアコミュニティの形成に関心を持ったからだった。6月はプライド月間ということもあり、ここでも様々なイベントが開催されている。6月8日には7th Avenue Southでプライドパレードが行われた。この通り上には大きなゲイバーやアダルトグッズ専門店も位置しており、またここからほど近いBirmingham Festival Theatreは6月14日から6月30日の間、Rocky Horror Showを上演している。イギリスの劇作家リチャード・オブライエンの筆になる、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』の大胆なクイア翻案ものの戯曲である。つまり、7th Avenue Southはバーミンガムクイアコミュニティの中心地の観を呈しているのだ。この空間がどのように形成されたのかにとりわけ興味が湧き、文献を探していたところこの論文に出会った。この点収穫はあまり芳しいものではなかった。1945年以降の25年間に焦点を絞った本論文では、7th Avenue Southへの言及は一切ない。これ自体がこの地区におけるクイアスペースの発展は1970年代以降であることを示唆するので、その意味では貴重な情報を得ることができた。
 論文自体の主要な主張については、東部および西部の大都市についての研究を基に出来上がったアメリカレズビアン・ゲイ史の枠組みを相対化する事例として興味深いと思う。しかし、三つ目の論点に出てくるcentrifugal forcesとcentripetal forcesは何度読んでも中身と名前があべこべではないかと思う。

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