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「信念」 4年 上加世田達也

平素より大変お世話になっております。
澤田から紹介にあずかりました今回ブログを担当させていただきます、E類生涯スポーツコース4年の上加世田達也です。
 
まず初めに、今シーズンも多大なるご支援ありがとうございました。
 
ここ数ヶ月ずっと矢口、成瀬、澤田にサイコパスと言われてきましたが、自分ではそんなことないと思っています。笑

実際1番のサイコパスは矢口だと思います。
だって、ニンゲンじゃないしね、

まあ、この話はここまでで。

澤田とは荷物の置き場が近かったことからよく練習前後に話していましたが、高校時代は部室でほとんど話すことはありませんでした。
理由は澤田がアイドルの話で夢中だったからです(笑)
 
かれこれ7年目の付き合いでしたね。空中戦、地上戦と、隣でいつも跳ね返し続けてくれて感謝してます。とても心強かったありがとう!
彼は表にはあまり出しませんが実はとても負けず嫌いで、内に秘めている闘志が随所に感じられる、そんな選手でした。
 
これからもお互い切磋琢磨して頑張っていきましょう。
 
 
 
ここから本題に入りたいと思います。
サッカーをしてきて感じてきたことを率直に書きます。
 
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
 
 
 
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関東大学サッカーリーグ2部降格
大学サッカー引退試合
 
試合終了の笛が鳴り、降格や引退が決まった瞬間、ピッチで泣くことはなかった。ベンチでも家に帰ってからでも泣くことはなかった。ピッチにうずくまるでもなく。
僕は涙を流せば、泣いたということに満足して悔しさを忘れてしまうからだ。
泣いても試合に勝てるわけではない。泣いても泣かなくても結果は変わらない。悔しい気持ちを表現するかそうでないかの違い。大事なのは悔しさを忘れずに持ち続けて練習できるかどうか。1週間や2週間じゃなく。
こんなこと、誰でも理解している。本気で夢を追うものは。
 
 
 
将来の夢、それはプロサッカー選手になること。ただこれだけを考えて練習に取り組み、自主練を繰り返しやってきた。一度もブレることなく。
と言いたいところだが、僕はそのようなサッカー人生を送れてきた訳ではなかった。
 
 
思い返してみれば、小学校からサッカーを始めて約16年間、1度も試合に出れないという状況に陥いることはなかった。小学校でも上級生に混じって試合に出させてもらったり、中、高でもほとんど最初からスタメンを張って試合に絡み、大学でも入学してすぐにチャンスをつかんだ。幸いにも、大きな怪我をしたこともなければ、大きな挫折を味わいどん底に落ちた感覚もない。
 
周りから見れば、羨ましがられるだろう。
ただ、そんなサッカー人生を過ごしてきた僕は、何度もサッカーから離れたいと思ったことがあった。
 
また今日も練習か、また明日も練習か、明後日も、、、
オフが早くこないかな。顧問になったら週3でオフを作る、というような会話をしていたことも懐かしい。
何回憂鬱な気分になりながら練習をしてきたかわからない。
あと何分で練習が終わるのかと、よく時計を見ていたり、今何時かを聞いたりして、本当にサッカーが楽しくてやっているのか、やりたくてやっているのかもわからないような状態だった。
 
うまくいかないプレーや苦手なプレーがあると、そのことに目を向けず、他のスポーツの方が自分は向いているのではないか、とよく逃げてばかりいた。
 
 
 
自分は選抜チームにほとんど選ばれたこともなく、地域レベルの選考会にやっと参加できるかようなレベルの選手でした。関東選抜やナショナルトレセンに選ばれている選手がプロサッカー選手になれない現実を目の当たりにし、夢を目指している自分をダサいと感じ、本気で諦めていた時期もあった。
 
 
 
高校生の時、プロ目指してやってる奴いるか聞かれた時、手をあげないと本気でサッカーをやってないと思われ、怒られるような気がして、自信なさげに恐る恐る手をあげた時があった。
 
特に言及されなかったが、嘘だと見透かされていたと思う。
本気で上を目指す奴の目つきは他の人とは違う、表情を見れば分かる。
と何度も言われ、言われるたびにそうなりたいと思うには思うが、自分はそんな目つきや表情になれないまま卒業を迎え、大学に入学した。
 
 
高校1年目の選手権で、準優勝まで駆け上がり、素晴らしい景色を見せてもらっただけで満足し、なんか強くなったような勘違いもして、そんなこんなで3年間ただ過ごしてきた僕は何も成長しておらず、2年目以降全国出場は無し。クラスメイトに鼻が完全に伸び切っていると冗談交じりに言われ、そんなことないと笑いながら返答していたが彼らの言葉が現実となっていた。
その間に周りはどんどん成長している。特に中学同じだった流経組。インハイ優勝、選手権準優勝、そして優秀選手選出、日本高校選抜。プロ内定。
 
 
あっという間に置いていかれた。
同じレベルでやっていた彼らが、よく怒られていた彼らが。
手の届かないところまで成長を遂げていた。
 
 
現実的な話で将来何になりたいかを3年時に友達と話したことがある。
その時、「大学で通用したらプロになりたい。」と完全に自信を無くし、弱気な自分がいた。
今思えば、「通用したら」なんてなんとも甘い。
 
 
 
 
まもなく大学に入学した。
第1希望は企業に就職すること。大学の授業でそう書いたこともあった。
刺激を受けていた中学の同期に速く追いつきたいと思う反面、もう追いつくことは厳しいのではないか。本気のサッカーから少し距離をとり、言い訳を作ってサッカーに取り組む方が楽でそういう状況を作っていた。以外にも悪くない。普通に楽しくて純粋にサッカーを「楽しい」とまた思えた時期にもなった。そう思わせてくれる先輩方がいたのもあって。
 
 
最初はそれでよかったけど、それだけでは結果が出やしない。そんな状況でも僕はいつも通り練習して、試合に向かう。この繰り返し。
 
 
でもそんな時、大学で出会った同期たちは違った。
問題を真剣に捉え、練習からチーム全体で変わろうと厳しい姿勢で臨むことを訴えかけてくれていた。時には、面と向かって強く要求してきたり、ぶつかってきてくれた。2年前の前期リーグ戦、日大に負けた後、魁人(4年鈴木魁人)が本気で思いを伝えてくれた。
「もっとできる」「俺もまだまだだからもっと頑張ろう」って。
 
 
 
 
高校まではユースの超第一線で活躍してきていた彼らも、大学にきて順風満帆な日々を送っていたわけではなかった。
一緒に試合に出て、上手くいかないことが多く勝ち点を積み上げられない。苦しいはずでした。プロになれないのではないかと思わされるほど苦しいシーズンを共に過ごしてきた。特に1年目、2年目。
 
 
だけど、ユースからトップ昇格できなくて、4年後またクラブに戻るために這い上がろうと必死な彼らの目標や夢を真剣に目指し、口だけでなく行動で示す彼らのそんな姿勢が僕の心をガラッと入れ替えてくれた。
 
 
本気度とその熱量が、プロかそれ以外の道かで迷っていた僕を導いてくれた。こうして今現在も最後まで夢を諦めることなく闘うことができているのは本当に彼らのおかげです。
 
 
 
 
 
そんな一番近くにいた同期に影響され、僕がこの4年間で大事にしてきた2つの考え方がある。
 
 
まず1つ目、
「無駄なことは何もない」ということ。
 
 
都リーグに降格したことも、1部昇格が果たせなかったことも、悔しいけど無駄なことではなかったのかなと思う。
 
 
僕はもう1度本気でプロを志してやってきたが、その最中に就職活動をしたり、サッカー以外のスポーツに使う時間が多かったりと、プロサッカー選手になるために誰もが認めるような行動をしてきたかと言われれば、そうではなかった。
 
 
結果が出ないときに聞こえてくる、だから負けるんだよとか、練習しろよとか、そういうことを言われても仕方ない。
だけど僕は、だからといってその生活を変えるつもりは全くなかった。
 
 
 
その理由を遡ること10年ほど前、小学4~6年生の頃の話。サッカーを本格的にやり始めた時期ですが、他にも習い事をしていました。
そろばん、習字、水泳、と4つの習い事を掛け持ちしていた。
 
習字に行き、終わったらサッカーに行き、終わったらそろばんに行くという日もあり、友達との遊びに参加できないことも多く、外で遊んだり、ゲームをしたりしている子たちを羨ましく思うことが多くあった。
 
 
そんな僕は心ここにあらず、といった感じでただその場所に行って時間が過ぎるのを待っている時もあり、1日がとても長く感じていた。
 
ある日、どうせやるんだから自分のものにしよう、と1つの習い事に全エネルギーを使うくらい集中しようと思った日がある。そうしてやってみると、時間があっという間に過ぎる、そんな感覚だった。
当然1つの習い事でエネルギーも切れるはずはなく、最後の習い事まで続いた。
習い事同士が気分転換になって、思いっきり楽しめるという相乗効果を生み出してくれたという感じだった。
 
そろばんの頭の回転はサッカーの状況判断に、何桁もある数字を1つも間違えないで何回も計算してやっと正解できる正確さ、習字の点、はね、払い、の細部にこだわるところ、落ち着いて取り組むこと、これらは、サッカーにもつながるし、他の習い事にもつながっている。
こんなことを感じ、自分で経験することによって確かな感触を手に入れた。
 
 
習い事の時間を遊びに使いたいと思っていて、時間の無駄だなと思っていたことは、決してそうではなかった。
気づくのに時間はかかったけど、習い事をさせてくれてありがとう。
 
 
 
また就職活動は「逃げ」だと言われるが、自分にとってはむしろ逃げではなく必要な時間だった。就活を通じた人との出会いや、時間をかけて自分のこと、企業のこと、業界のことを調べ研究し、面接を繰り返し行ってきた。
 
 
自分ってどんな人なんだろうと考え、弱点とどう向き合うか、ピッチ内の事とピッチ外の事を結びつけ自分という人間をアピールしていく。
 
 
「私は目立つよりもチームを後ろから支え、勝利に貢献するということが原動力で今までやってきました」とアピールしてきたが、それでプレーを評価してくれるのは面接官、スカウトの人ではない。もちろんプロへの道は1歩も進んではいない。
そして内定も取れなかったりする。
だけど、そこで味わった悔しい感情をプレーにぶつけたり、よりプロサッカー選手という職業を魅力に感じることもできた。
 
「就活もサッカーももっと覚悟を持ってやっている人は大勢いる。」
そう叱ってくれたことも就職活動を通してではなければ言われることはなかった。
 
 
 
他のスポーツだって(野球)、サッカーと共通する部分はたくさんある。意識すればサッカーの為に活かせる部分はある。
落下点を読むのに、サッカーを野球も関係ない。球が速くて、より早く認知しなければいけないのが野球である。
サッカーで必要な身体の使い方を習得するために、野球の動作を参考にしていたり、全く同じでなくともヒントとなるような動きがあったりもした。
 
 
 
都リーグに降格したことも、またチームを作り直す、個人の力を見つめなおす、リーグのレベルが下がったことによってできるプレーが増え自信を取り戻す、という時間になったと思っている。
 
 
1部昇格を果たせなかったことは、次のステージまで悔しさを忘れずに取り組むチャンスを与えてもらっている、来年以降の後輩たちが4年生を超えたいと思ってハングリーさを出してくれる、ということにつながるのではないか。
 
 
 
今は正解が分からない。あとで振り返ってみて正解かどうかわかるから。でも、考え方次第でほとんどの事は正解だったといえることだと思う。
 
鵜飼のブログにも似たようなことが書いてありましたね。
 
僕と同じ考えでなくても、少しでも参考になれば。
 
 
 
 
続いて2つ目
「いつも今が耐える時」
 

 この4年間だけを切り取ってみても、上手くいかないことだらけでした。


そんな時期にいつも思うのは、今日妥協しなければ何か良い事ないかな、成果がでないかな、ということ。何回もそう思って過ごしてきた。
 
今日くらいやらなくてもいいか、という感情もあったが、今日やれば何か変わると思って信じてやってきた。
 

笑っているのは、その辛さを誤魔化す為と、その後にやってきて欲しい笑顔を引き込もうとしているからかもしれません。無意識に。

でも、確実に笑わせてくれるみんながいることに変わりはないです。


また、昔ツイッターでこんな画像を目にしたことがある。
あともう数センチ深く掘っていれば宝石を手にすることが出来たのに、寸前で掘ることをやめてしまい、引き返してしまうという画像。
あとほんの少しで未来は大きく変わっていたでしょう。
 
 
いつもこの画像を思い出し、自分と照らし合わせ、投げ出さずに今を乗り越えることで手にできる成長を掴むために大切にしてきた。


そして、このブログを書いている今もです。(笑)
 
来年の進路がまだはっきり決まっていません。このチームで僕だけ。
「チームはいつ決まるの?」「もう決まっているの?」「どうするの?」
 
この質問をよく受けてきましたが、はっきり答えることができなかったのが辛かった。
 
 
そう、まだまだこれから、今が耐えどき。逃げ出すのは簡単なことだけど、あと少し、あとほんの少し諦めずにやり続けたら、何かきっかけが掴めると信じて、できることをやり続けていきたい。
 

 
僕にとっての「宝石」であるプロサッカー選手になるという夢を叶えるために。
同期と同じJリーグの舞台で戦える日を迎えるために。

今度は俺が這い上がろうか。
 
 
 
今日もそんな感情を抱いてトレーニングしてきます。
 
 
僕はこれら2つの事を大事にしてきました。
正しいことだったかどうか今はわからないですが、正しかったと胸を張って言えるように結果を残していきます。
 
 
 
 
最後に感謝を述べさせてください。
 
 
同期へ
しっかり者が多くていろんな場面で助けられました。本気でもう1度夢を叶えたいと思えたのは、1番近くにいる同期の存在でした。将、魁人、一翔、稜太、いつもふざけてしかいないけど、サッカーには本気の熱量を注いで取り組んでいて頭が上がりません。結果が出ないとき、現実から目を背けず常に問題と向き合って、苦手な事でも妥協せず継続してきたことがプロへの道につながっていると思います。
今からでも遅くはありませんよね。
だよね将!NEVER TOO LATE
がんばります。
 
先輩方へ
いつも可愛がって面倒見てくださいましてありがとうございました。先輩方のプレーを参考にして自分の成長につなげてこられました。
有観客試合の時は会場が遠くても駆けつけてくださいました。ありがとうございました。
特に、遼太郎コーチ、嵩大くん、光一郎くん、大河くん、めちゃくちゃ楽しかったです。笑いを供給していただき本当にありがとうございました。
 
後輩へ
入学してからとんでもないほど成長している2年生、関東リーグでも十分やれる力はある。苦しくても上手くいかないことがあっても、めげずに頑張ってください。
 
くさ、右サイドにいてくれてとても頼りになりました。マークの付きなおし、ライン統率、ポジショニング修正、ご迷惑をおかけしました。ありがとうね!プロスピの話とても楽しかったよ(笑)来年も存分に存在感を発揮して頑張ってくれ!
 
しゅうや、センターバック一緒に組んだ時も左サイドで一緒だった時も、上手さに感激しました。いつも褒めても謙遜するけど、ほんとに頼りになったしすごかったぞ!(笑)
 
こうたろう、何度もこうたろうのシュートストップに助けられました。1年間を通してとても成長したと思います。来年も成長し続けてチームを救ってね!
 
やす、本気になれば間違いなく大学トップクラスの選手だと思う。素直にしっかり頼むよ!(笑)高校大学と3年間ありがとう!
 
 
 
両親へ
学生サッカーはもう終わりになりました。2人の支えなしではここまでサッカーを続けてはこれませんでした。小学校から遠征が多く遠出の週末が多かったけど文句1つ言わず寄り添ってくれました。ありがとう!
負けた試合の後でも上手くいかなかった試合の後でも、「残念だったね」の一言で、他にも何か言いたいこともあったと思うけどそれ以上は何も言わず我慢して、次に切り替えられるように配慮してくれていました。
とても居心地の良い安心した場所を作ってくれていたおかげで、本当に不自由なくサッカーをすることができました。ありがとうございました。
 
 
今まで指導していただいた方々
Jacpa
サッカーと出会ったのは幼稚園の頃でした。初めてやったサメゲームが楽しくて、それがきっかけとなって今でもサッカーを続けられています。怪我が多かったことや合宿で体調が悪くなることも多々あり、ご迷惑をおかけしましたが、愛情のある野口さんや西沢コーチをはじめとする多くの方々のおかげで成長することができました。
ありがとうございました。
 
Forza
Forzaで教わったことを今でも心のよりどころにしています。中学生の僕たちにはもったいないくらいのことを教えてくださいました。戦術の事や心の持ちようなど、困った時、迷った時、不安な時、いつも当時の事を思い出して支えてもらっていました。
本当にありがとうございました。
 
久我山
入学して間もない頃から信頼をいただき、3年間ほとんどの試合に出場させていただきました。試合に出続けることで徹底的に管理されたストレッチやトレーニングを3年間継続してやれたことは、大学にきてとてもありがたみを感じています。これからもサッカー人生につなげていきます。どんな時も向き合って指導していただき、ありがとうございました。
 
学大蹴球部
この4年間でプレーでの幅が広がりました。檜山前監督、星監督を始めとする熱心に指導をしてくださる学芸愛溢れるコーチングスタッフとの出会いがあったからこそ成長することができました。
本当にありがとうございました。
特に、桐田さんと南コーチには当時2年生だった僕に期待をしてくれ信じてくださいました。当時かけてくださった言葉は本当に嬉しかったです。2年間だけでしたがありがとうございました。
 
 
以上でダイアリーを終えさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
 
 
 
明日は、課題抜け駆け王子荒川滉貴のダイアリーです!
12月にはもう書き終わっていたのかな?(笑)
 
2年生の時、試合前に森山直太朗の「生きてることがつらいなら」を聞くほどメンタルがやられていたのが懐かしいね。(笑)
 
大怪我を負いながらも関東リーグ最終節で復帰してきてくれたあらこー。みんな超嬉しかったよね。

仲間想いで超真面目な一面を持つ彼が最後に何を語ってくれるのかとても楽しみです。
是非ご期待ください!

#紫志尊々 #jufa   #大学サッカー

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