「当たり前」4年 井原嵩大
4年の井原嵩大です。
なんでいま?なんで大学サッカーラストイヤーの年に?学芸大学蹴球部にとっても非常に重要なシーズンのこのタイミングでこんな大規模なパンデミックが起こるの?なんで?
こんなことを考えても答えなんて出る訳ありませんが、どうしても考えてしまいます。
関東リーグが開幕しているのを見て、
もし僕たちが関東リーグに所属してたら。
もし去年降格してなかったら。
もしあの試合でもっと体を張れていたら。
もしあの時のチャンスを決めきれていたら。
現状は違ったんじゃないかと考えてしまいます。たらればの世界がないのは分かっています。こんなことを考えたところで何も変わらないのは分かっているけれど、どうしても考えてしまいます。
しかし、今シーズンの目標を見失ったわけではありません。
考えた末に行く着くところは、いつも必ず、昇格決定戦で勝ってみんなで喜んでいる姿です。
自分の中で「関東リーグ復帰」がブレたこともありません。
キャプテンをはじめ、部員にもzoomトレーニングをしてくれたり、ミーティングのアイディアを出してくれたりとチームのことを考えて行動してくれる人がいます。
今は「関東リーグ復帰」のために、この状況でできる最大限のことをするしかないです。
今シーズンが終わった時に、後悔することがないように、たらればの世界を考える必要がないように、この状況の中でできる本当に最大限のことをするしかないです。
3月末に活動自粛が始まり、当初は数週間の活動停止、長くても1ヶ月くらいで再開できるだろうと思っていましたが、活動は未だ再開していません。
そんな中、様々な方の協力のおかげで活動再開、都リーグ開幕の光が見えてきました。
この新型コロナウイルスで悩まされている期間に、当たり前だと思っていたことがどれほど特別なことだったかということ、当たり前だったことが当たり前でなくなることの辛さを思い知らされました。
家にいれば食事が準備されていること。
毎日弁当を作ってくれること。
部屋が埃まみれになっていないこと。
トイレが綺麗に保たれていること。
高校生の頃の当たり前は、当たり前にあるのではなかったんだと一人暮らしを始めてから気づきました。お父さんお母さんがやってくれていたんだなと。
そして今、新型コロナウイルスの影響で生活は一変し、当たり前に感じすぎていた日常の中に、多くの特別があったんだということに改めて気づかされました。
あれもこれも当たり前ではなかったんだと気づきました。
「当たり前」の対義語があるとしたら「感謝」なのではないでしょうか。
当たり前だったら感謝はしませんよね?
当たり前のことに「ありがとう」を伝えませんよね?
でも僕たちは今、それが当たり前ではないということに気づくことができました。
サッカーを何不自由なく全力でできることは当たり前ではありません。
もちろんサッカーができるグランドがあることも当たり前ではありません。
リーグ戦ができるのも当たり前ではありません。
だからこそまた思いっきりサッカーができる日には、サッカーを全力でできる喜びを噛みしめ、サッカーができることへの感謝を胸にトレーニングをしたいと思います。
そして、これまでの当たり前が当たり前ではなかったことに気づけたからこそ、みんなが些細なことにも感謝の気持ちを持つことができれば、もっと優しい世の中になるはずです。
医療従事者、宅配の人、学校の先生、お店の人、ガストのデリバリーなどなど多くの方の働き、支援によって、多くのことが成り立っています。
当たり前にあるなんてことはありません。
必ずどっかで誰かが動いてくれています。
そんは日常に感謝の気持ちを忘れずに過ごし
ていきたいと思います。
こんな「当たり前」のことに今さらになって気づきました。
まだまだ普段通りの日常に戻るのは難しく、苦しい時期が続くと思いますが、「関東リーグ復帰」という変わらない目標に向かって突き進みたいと思います。
僕たちの活動を通して、みなさまに勇気や希望を届けられるよう、そしてこの苦しい時期に少しでもポジティブな報告ができるよう、日々頑張っていきますので、今後とも応援よろしくお願い致します。
【過去の記事】
Vol.79「関東リーグ復帰」3年 井原嵩大
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