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「それでも人生にイエスと言う」4年 山口耕平


――後悔のないプレーを選択してほしいーー

引退試合の前日、主将の住田がLINEでBチームの同期に向けてメッセージを送ってくれた。そのなかにこのセリフがあった。
なぜかこの言葉が目に止まり、とても惹きつけられた。
思い返すと、僕は、後悔のない人生を歩みたくて東京学芸大学蹴球部を志した。


大変お世話になっております。A類情報教育選修の山口耕平です。
蛯名からおじさんと言われましたが、大切なのは心の若さです。決して年齢ではありません。いつまでも若いおじさんでいようと思います。
みんな口をそろえて言うことですが、僕の大学サッカーもあっという間でした。ついに最後の部員ブログを書くことになりました。これを書き終えると、もうお終いなんだなと思うと少し寂しく切ない気持ちになります。

それでも今日は、これまでの想いを、素直に綴っていこうと思います。最後まで読んでいただけますと幸いです。


後悔のない生き方ってなんだろう。

その答えが知りたかった。

正直、此処を志したのは直感だった。何か自分の心をメラメラと燃やしてくれるような、そんな言葉にはできないなにかが大学サッカーにはあるんじゃないか、と思った。
結局、大学に合格するまで2年もの歳月を費やしてしまったが、なんとか東京学芸大学蹴球部の門を叩くことができた。

入部するにあたってある程度の覚悟はあったと思う。最初は思い通りにならないこともわかっていた。
それでもやはり現実を目の当たりにすると、とても苦しかった。周囲のレベルについていけないこともそうだが、何よりもこれまでできていたプレーが全くできなくなっていた自分を受け入れるのが、とても苦しかった。


振り返ってみると、いつからだろうか。

やはり、心のどこかで、二浪したから、という言い訳がしつこく付き纏っていたと思う。
サッカーができるという喜びにただ浸っていただけだった。うまくいかないことが多すぎてそこから目をそらしていた。ダサい自分を見たくなかった。正面から苦しさと向き合うことをやめていたと思う。しばらくしてから苦しくなくなった。うまくいっていたわけではない。多分、苦しさから逃げていたのだと思う。自分と向き合っているふりをしていたのだと思う。
自分と正面から向き合うことが怖かった。情けない自分を見るのがたまらなく怖かったのだと思う。どこかで、二浪しちゃったしまあ仕方ないっちゃ仕方ないよね、どーせ誰も見てないし、どーせ誰からも期待されてないし、と思ってしまっていた自分もいた。

そこに自分の精神的な弱さがあったと思う。


あっという間に時が過ぎていった。


大学サッカーも折り返しに差し掛かった2020年のプレシーズン。新型コロナウイルス感染症が猛威をふるった。毎日、当たり前にできていたサッカーをすることができなくなった。いつも隣にいてくれたサッカーは、当たり前ではなくなった。サッカーを失った。

非常に傲慢だったと思う。
二浪しているときあれほど、毎日サッカーに打ち込めることの貴さを知っていたくせに。僕はまた、大切なものを失ってから、やっとその存在の大きさに気づいた。

そうはいっても、この状況では何もできないよな。まあ仕方ないよね。自粛期間、そんな考えが浮かんでくることが多々あった。
今回起きたパンデミックは100年に一度の疫病といわれているから、もう二度とこんなこと起きないだろう、とか考えていた。
しかし、それもやはり傲った考えであったと思う。
ちょうど10年前。1000年に一度とされる大災害があった。人生には予期せぬ出来事が連続して起こる。ありえないと思っていたことが、突然やってくる。そんなはずじゃない、なんで自分が。と思うこともたくさんあったし、これからも絶対にあるだろう。

うまくいっているときに頑張るのはとても簡単だと思う。楽しいし嬉しいし、何をやってもまたうまくいく気がするから。たぶん多くの人がそうだと思う。
そう考えたときに、人生をどう生きるかということは、うまくいかないときにどれだけのことができるかであるような気がした。

何かを待っていても、何かを期待していても、運命はこっちを向いてくれないと思う。

人生に対して何かを期待することは間違っているんじゃないかな、とこの歳になって何となく分かってきた。たぶん正反対なんだと思う。人生というものが自分に期待してきているんだと思う。人生が「君は、どう生きるか。」と問いかけているんだと思う。

苦しいときは、人生が自分に問いかけている合図だと、僕は思う。
苦しみという問いに、どれだけ答えていけるかが大切なのだと思う。

人それぞれ苦しみの種類は違うだろう。僕は僕で苦しかったけど、トップチームで活躍する選手も、アイリーグに出ている選手も、スタッフとしてチームを支えてきたマネージャーやトレーナーにも、その人だけにしかわからない苦しみがあるのだと思う。

本当の幸せは、苦しみを乗り越えた先にしかないと思う。
深く悲しんだことがなければ、深く喜ぶことはできないのではないかと思う。
希望と絶望はコインの表と裏のようなものだと思う。見る角度が違うだけで、実は同じもののような気がする。

デンマークの哲学者・キェルケゴールの言葉のひとつに
ーーしあわせへの扉は、「外に向かって」開くーー
というものがある。
つまり、幸せを追い求めその扉を必死に押したところで幸せは手にできないのだという。

ここからは、僕の個人的な見解であるが、希望と絶望が表裏一体の関係であれば、くるしみへの扉は内に向かって開くのではないか。つまり、その扉は自分の意思で開くことができるのだと思う。苦しみの先に幸せがあるのであれば、僕はよろこんでそのくるしみの扉を開きにいきたい。

後悔のない生き方ってなんだろう。

2021年も12月に突入した。結局、新型コロナウイルスは変異に変異を重ね、未だに僕たちの前に不気味に立ちはだかっている。
そんな中でも、僕たちは、サッカーのある日常を少しずつ取り戻すことができた。

2020年は東京都リーグから関東リーグの舞台に一年で復帰することができた。
2021年も勢いそのまま快進撃は続き、終わってみると一部昇格は逃したものの関東リーグ二部3位、アミノバイタルカップ3位、そして14年ぶりとなる総理大臣杯への出場も果たした。
チームの調子とは裏腹に、大学サッカーを折り返しても僕個人としては相変わらずからっきしであった。
結局、振り返ってみると、アイリーグの出場時間は4年間を通して、引退試合の45分間だけだった。この数字が僕の大学サッカーを象徴している。

ラストシーズンが開幕して間もない頃に、僕はCチームに落ちた。6月のことである。正直苦しかった。練習環境もあまりいいものではなかった。大学のグラウンドも平日はほとんど利用することができなかった。仕方ないから陸上トラックを走ったり、筋トレやタバタをしたり、外部の土グラウンドを予約してそこで練習したりと、とても苦しい時間を過ごした。
しかしそんなときこそ自分と向き合わなければと思った。服部コーチの「どんな環境であってもサッカーがうまくなるかどうかは自分次第」という言葉を何度も何度も繰り返し自分自身に投げかけ続けた。それでもやっぱり苦しかった。
でも、あのCチームで過ごした数ヶ月は、僕にとって意味のある日々であったと思う。今思うと、真剣にその現実と向き合い、見たくない自分から目をそらさなかったからこその苦しみであったと感じている。自分なりに答えを出そうと、もがいていたのだと思う。苦しかった日々にひとつも要らない日はなかった。

ただやっぱりもっと試合に出たかったし、ゴールも決めたかったし、チームに貢献したかった。

――後悔のないプレーを選択してほしいーー

将の言葉通り、最後の45分間のプレーに後悔はない。自分のできる最善のプレーを尽くせたと思う。ただ、それでもチームを救うプレーはできなかった。それが悔しいし、とても情けなかった。しかし受け止めるしかない。僕にできたのは、一瞬一瞬に対して、全力を尽くすことだけだった。

サッカーも人生も同じだと思った。

僕たちにできることは、またたく間に過ぎ去る「今」に対して、全力で立ち向かうことだけだと思う。「今」この瞬間に与えられた人生からの問いに対して、答え続けるしかないのだと思う。「今」に意味を付け加えていくしかないのだと思う。人は過去を変えることはできないし、未来を変えることもできない。変えることができるのは「今」だけだと思う。刹那に過ぎていくこの日々のなかで、自分から全力でその日を摘んでいかなければならないのだと思う。


あっという間に引退を迎えた。

引退後、母親から「これまでのサッカー人生で一番得たものは何?」と聞かれた。すぐには答えられなかった。あまりにもたくさんのものを得た。それでも強いてひとつ挙げるとするならば、「人」だと思う。サッカー人生を歩むなかで出会った人たちで僕という人間が形成されていると思う。もしあのとき、今とは違う生き方を選択していたら、たぶん少し違った自分になっていたと思う。あのときの選択が正しかったのかどうかはわからない。それでもあの選択をしてよかったと思う。

今日という日まで僕のサッカー人生に関わってくださったすべての方々に感謝を申し上げたいです。
特にコロナ禍という大変厳しい社会情勢のなかであってもサッカーを続けることができたのは新海先生や星監督はじめとするチーム関係者の皆様のおかげです。ご尽力いただきありがとうございました。
蹴球部で出会うことができた先輩(特に南達明?)や後輩(特に南達明?)、そして同期のみんな(特に丹野成瀬)の存在は大きかったです。ありがとう。
大学サッカーへの挑戦に背中を押してくれた高校の同期のおかげで、素晴らしい日々を送ることができました。また、国分寺高校サッカー部の先生方、指導者スタッフの皆様、OBの方々にもたくさんサポートしていただきました。ありがとうございました。

そして最後に。
サッカーという素晴らしいスポーツに出会わせてくれ、今日という日まで僕を最も近くで支えてくれた家族に感謝したいです。本当にありがとう。恩返ししていきたいと思います。

もっともっと感謝を伝えたい人たちはたくさんいますが、このへんで割愛させていただきます。


サッカーを通して実に豊かな感情をはぐくんできたと思う。それは曲がりなりにも愚直にサッカーと、そして自分と向き合うことができたからだと思う。心の底から喜び、時には苦しみ、それでもみんなで一つになって抱き合う、そんな素晴らしい想いを手にしてきた。関東リーグ最終節もそのひとつだった。心の底から感動した。あの景色はピッチ外からでも絶景だった。今でも鮮やかな記憶としてはっきりと覚えている。でも僕はあの景色を少しずつ忘れていくだろう。だけど、それでいいと思っている。おぼろげゆく記憶とともに感動は普遍性を帯び、僕らの心のなかで生き続けることができるのだと思う。もし、あのときの景色をはっきりと覚えていたら僕はこれから先、感動というものを手にすることができなくなると思う。これまでサッカーを通して得た数々の感動は、僕の人生を色鮮やかなものにしてくれた。またいつか、言葉にできないほどの感動を味わうためにも、僕は大学サッカーでの感動を忘れたいと思う。


大学サッカーから人生の酸いも甘いも教わった。
おそらくこの道を選択しなかったほうが、苦しくなかったと思う。



それでも僕は、東京学芸大学蹴球部という生き方を選択したことに、イエスと言います。




長くなりましたが、以上となります。ありがとうございました。
次回は、遊び嫌い!お酒嫌い!女の子大嫌い!!の三拍子が揃った金城拓くんです!沖縄を愛し、沖縄に愛された彼の卒業ダイアリー、とても楽しみにしています。皆様、乞うご期待ください!

#紫志尊々 #jufa  #大学サッカー

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