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「"誰か"のために」4年 岩田俊太朗

4年岩田俊太朗です。
部員ブログの企画長を務めております。
文句言わずに書いてくれる皆さんに本当に感謝です。これまでの4年生のラストシーズンへの想いは読んでいただきましたでしょうか?どれも熱い文章ばかりです。
なかなか直接蹴球部の様子を見せることができない今、あらゆる手段を使って蹴球部について知ってもらおうと試行錯誤している最中です。
部員ブログもその一つです。
是非ご一読ください!

僕は4月から6月までの間山形にいました。
免許更新の為に帰省しなければならず、その中、学校側から活動禁止の連絡が来て今もなお十分に活動ができていない状況が続いています。

実家で3ヶ月も家族と過ごした事は高校生以来で懐かしく感じました。
朝起きると祖母はもう畑に出かけ
母は絶対僕より早く起きて朝飯の準備をしている。早朝からサッカーがあれば家を出る頃には起きてくれる。
社会人になった姉の生活を継続してみたのも初めてで、自分も学生が最後の年になるのかと痛感させられました。
父は休みの日でも仕事があると職場に出向いていました。少しくらい休めば良いのにと内心は思っていました。
家族トークはこのくらいにしておきます。

山形では様々な協力やご縁があり、高校サッカー選手、中学生ぶりに会う選手や、お互い知ってはいたものの初めて一緒にサッカーをする選手、
そして多くの指導者やサッカー関係者の方々とお話しする機会がありました。

新一年生としてこれから大学サッカーに踏み入れようとしている選手
社会人として地域リーグに参入している選手
海外を経験した選手
Jリーガーを目指している選手
プロを目指していないけれど大学でも第一線でサッカーをしている選手
サッカーは一区切りつけ社会人になった当時のスター選手

など様々なサッカー観をもつ仲間たちとボールを蹴った日々は本当に楽しく、このまま社会人チームを作って一緒のチームになりたいなと思うくらいでした。

たまたまその集まった仲間の中で大学4年生は僕だけであったため、様々なことを質問されました。

プロを目指しているの?
Jリーガーを目指していなければ大学サッカーは意味ある?
就活はどうだった?
卒業後なにするの?
なんでサッカー続けてるの?

僕は答えられる限り全て答えました。
しかし、僕がトップチームに在籍していたのは自粛前の2週間ほど、それまではずっとチームの中で1番の下のチーム。Jリーグなんて目指せるわけもないし、就活も途中で辞めてしまった。
僕の経験の浅さ、大学で成し遂げたことの少なさからあまり多くのことを伝える事は出来ませんでした。

伝えたいけど自分が経験していない故、いまいち説得力がない、本当に歯痒い気持ちになりました。

"これからの山形の将来のサッカー選手のためにも、自分はもっと頑張らなければならないな"

こんなことも思いました。

思い返せば高校の時に1人で選手権まで残ったことも、推薦などを使わずに誰でも可能な一般受験で学芸を目指したこともそうなのかもしれません。
いずれ同じような思いを持つ後輩達に少しでも道を知って貰えば、なんて思いがあったかもしれません。

高校時代に恩師から言われた言葉があります。

"自分の為だと妥協してしまうことも、
誰かを想えば頑張れる事が多いぞ"

やっぱりこの気持ちは今でも消えていないのかなと再確認しました。

山形の進学校からきた小さいGKが
東京学芸大学でのポジション争いに勝つ事ができれば
"俺も大学でサッカーをやりたい"
こんな想いが山形でも多く生まれるのではないかと思っています。

チーム内で競う相手は強敵ばかりです。
僕には実績もなければ身長もチームのGKで一番小さいです。
それでも僕は絶対にトップでポジションを掴む事を諦めません。
これまでの経歴、育った環境、サイズを考えると僕の立場は妥当かと思い、諦めていた時期もありました。というかほぼ諦めていました。

でもそうじゃないことは立一(副将一木)やしゅうた(4年井原)が示してくれてします。
一般入部組のお手本であり、
どこか彼らに嫉妬している部分さえあります。
火をつけるのが遅すぎたかもしれませんが、消したままでは当然明るくなりません。

多くの人から支えてもらいながら、続けられているサッカー。
今の状況をすごく気にしてくれている地元の仲間や恩師の方々が沢山いる幸せな状況。

自分が好きなサッカーだから、自分の為だけにやれば良い、試合に出られる環境で楽しみたい、いつ辞めても関係ない、自分が納得いくところまでやれば良い。

こんな事を思っていた昨年までの自分に恥ずかしくなりました。

山形から東京に戻ってきた頃には
自分の中でのサッカーは
もう自分"だけ"のサッカーではなくなりました。

"んじゃ自分の為にサッカーしないの?"

これは違います。
僕はサッカーが死ぬほど好きなので
そもそも「サッカーをする事」自体が自分の為です。好きな事をするって、自分の為にならない訳はないですからね。
その上で"誰かの為"という想いを自分の中に持つ事で、さらにサッカーは楽しくなるなと思いました。

僕の力不足で、まだ学芸の仲間を代表してピッチに立ったことが無いので、「学芸の仲間の為に」という想いでピッチに立つことは出来ていません。

もしピッチに立てた頃には"学芸代表"として
東京学芸大学の歴史のために、そして本当に出会えてよかった自慢の同期、後輩の為にサッカーをします。
学芸を志す、経歴のない低身長高校生GKの皆さんの為に勇気を与えます。
同じポジションのライバルで、毎日バチバチに意識していますが、一緒に練習してくれる後輩達の希望になります。
「あいつみたいにプレーしたいな」みたいな感情を持ってくれたら嬉しくてたまりません。

こんな気持ちでサッカーが出来る、試合に出ている選手達は本当に羨ましいです。
はやくその土俵に立てるように毎日積み上げていくしかありません。

ピッチ外の活動も同様です。
部署活動なんて誰かの為にという気持ちがなければ成り立たないとも思います。
自分の行動で"誰か"が良い思いをしてくれれば、"誰か"が喜んでくれれば、それは僕の喜びです。

この"誰か"は近い仲間かもしれないですし、
一方的に僕のことを知っていただいている方かもしれません。恩恵なんて返ってこないかもしれません。

それでも僕はその"誰か"のためにサッカーをします。
その"誰か"のために生きていきます。
それが自分の満足であり自分の好きなことです。
僕は"誰か"を想って行動したほうが熱量が湧いてきます。結果として良い影響を自分にも周りにも与えられる気がします。

思い返してみれば、冒頭で触れたように父が休みの日にも職場に毎週出向く理由もわかった気がします。
母が前の日に遅くまで仕事をしていても
必ず僕が出かける前には朝飯を用意してくれたり、どれだけ朝早く家を出ても同じ時間に起きてくれたりしてくれた理由が分かった気がします。
家族のために、子供のために、他人の将来のために自分の時間を削って尽くしてくれていたんですね。
休みの日くらい家にいてもっと話してくれよ
と思っていた自分が馬鹿らしいなと感じました。

人の為に頑張りたい性格は間違いなく親譲りです。親の背中を見て子供は育つって本当ですね。こんな性格に育ててくれてありがとう。
学生ラストシーズンも1番のサポーターでいてください。

これまで多くの人に支えられてここまでサッカーを続ける事ができました。サッカーを通じた全てのの出会いに感謝します。

最後になりますが、これを読んでくださっているあなたのために残りのシーズン全力でプレーする事を誓います。これからの人生を生きていきます。
これからも東京学芸大学蹴球部に、そして岩田俊太朗にご注目していただけたら幸いです。

岩田俊太朗

#紫志尊々 #jufa #大学サッカー

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